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中3の担任について

引き続き、今回も先生について書いていきます。実は、現役の先生達が私の占い鑑定やカウンセリング受けに来られるのです。こういった所で、私の見た教師の顔というか、参考になれればいいなと思ったので、触れています。

3年生最後の担任は、音楽科女性のD先生でした。元々1つ上の代の人なんですよね。実は、3年生になると、学年主任はA先生から副担任だった数学C先生に変わり、1組は2年でお世話になったB先生になりました。が、2組と3組は今まで違う学年の人でした。クラス分けの紙を見て皆驚いてました。2組は当然驚きですよね。だって、こないだ卒業生出したばっかじゃん。って。

D先生は、男勝りの人。声がでかいです。授業も厳しいが生活指導などは特にしてこずマイペースな印象でした。他の先生と同じく1年生をやる予定が、休職してた先生と入れ替わる形でうちの学年に来たようです。補助の形でA先生が副担任となっていました。

この人は、所謂元気な生徒、悪い生徒と上手く接するのが天才的に上手でした。元々うちの中学は、90年代中頃過ぎまで地域内では特に荒れてたようです。2校目の若手教師として赴任してきたと自己紹介でされました。

他区の中学の人が木刀やバットか何かで殴り込みに来た時に、生活指導の先生と一緒に注意しに行って追い返した話は、体育の人から聞いてました。エネルギッシュさを感じたところです。

常日頃のホームルームも、女生徒、男子生徒問わずに別け隔てなく話しかけます。A先生の頃は、勉強が出来る生徒、非行に走りやすい生徒など依怙贔屓してる様子でしたけど、そういったことはありませんでした。B先生のように神経質でもないので、居残りもありません。

国会対策委員長のような人


今、第二次岸田改造内閣が発足しています。新しい自民党役員、閣僚が発表されました。D先生は、まさに国会対策委員長のような人だったのです。国会対策委員長は、そもそも政策を作ることや議会の理事をまとめるとかよりも、他党とのパイプ、法案を通すための時間配分や工程表など決めるポジションであると聞いています。

まず、区内の中学校の部活の先生、教科、高校などあちこちに顔が知れ渡っています。随時、どこどこでどんな生徒がいて、どれくらいお上手なのか、どんな学校に進学しているか常にデータ収集していたと聞いています。

特にうちの学年は、御存知の通り曲者が多い教諭ばかり。けれども、A先生、B先生、C先生、新しく来たE先生など上手く折衝していました。校務や部活のバランス配分など妥協をよくはかっていた様子でした。

暑い夏だった7月の冒頭3者面談を致しました。通知表の内申と模試の偏差値のコピーを手元に置かれ。そんな時にこんな話題をされたのです。

D先生「智聖、Z高校知ってるか?」

「いえ、名前程度ぐらいですけど。」

D先生「丁度、音楽のイベントあるんだけど、直接知り合いの先生紹介するわ。」

最初、意味がよくわからなったんですが、ブラスバンドか合唱の部活をやっていることで、練習試合じゃないけど、イベントが有るようなのです。私は、1の客として参加するんですけど、終わり際に部活顧問している先生がいるから、顔を合わせたほうが良いとのことです。

結局、家の事情で参加出来なかったのですが、こうした気配りなどしてくれたおかげで心がスウッとした思い出がありますね。他の生徒にも、自分の担当じゃない学校であっても他の先生から紹介させるように努力してくれたようです。

ちなみに、前担任のB先生は、こうしたことはしなかったと聞いています。

「小細工はしない。最後は、度胸試しだ。」

といったアドバイスを新しいクラスにご金言など笑

お世話になった話


結局、滑り止めで受験する予定だった男子校Fに私立専願で受けることに年末頃決まりました。D先生は、塾の先生の意見を優先させた親の意見は尊重してくれました。ただ、同時に子供を信頼することも大事であると常々親御さんにアドバイスなどしてたようです。

今でも覚えています。卒業式の最後通知表と卒業証書を一人ずつ渡すのですが、コメントを言ってくれました。

「智聖、貴方はとても優しい。その優しさを与える人になってください。厳しいだけの今の世には大変貴重です。」

ぶっちゃけ通知表の所見にも同じこと書いてありましたけれども、言葉に言われると嬉しく感じました。先生は、その後、1年生を2回連続担当した後、大学院か留学かわかりませんが、どこかへと行かれたようです。我々が卒業した後に入ってきた先生と職場恋愛されて、ご結婚されました。

もう定年を迎えられたと思いますけど、今でも思い出に強く残っています。音楽と占いは全く関係ないですが、大きな声で話すこと、人前で披露すること、それが今の私に通ずる事かなと感じます。

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