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現代社会で甦った日本語「気霜」について

「気霜」とは、吐く息が冷たい外気にふれて白くみえるもの。(学研国語大辞典)

志賀直哉の長編小説『暗夜行路』にはこう書かれている。
「牛は垂れた首を大きく左右に振りながら鼻から出る太い気霜を道へ撒き撒き通り過ぎた。」(後編 三 十四より)

文中には「きじも」とふりがなが振ってある。
しかし、文献によっては「きしも」とも、「きそう」とも書かれている。
あまりにおかしな読みでなければなんでも良いだろう。

この言葉は、広辞苑やネット版辞書であるコトバンクには記載されていない。(『日本国語大辞典 第二版』には記載されていた。全13巻からなる超大型辞典である。)
広辞苑の、あの片手には収まらない2.4kgの中に、「気霜」という文字を記しているインクは1μgも無いのだと思うと少し寂しくもある。
なのでおそらく、これを読んでいる人の99%は知らない単語なのではないだろうか?

しかし、Twitterにて「“気霜”」と検索すると、この語彙を用いているツイートが月に10件ほどのペースではあるが見つかるのだ。(ダブルクォーテーションを使うとその言葉がそのまま入った純度100%のツイート検索ができる)

これは一体どういうことだろう?

この語彙を用いてツイートをしている人が全員、志賀直哉『暗夜行路』を読んだり、『日本国語大辞典』でこの言葉を探し当てたり、マニアックな単語集などを読んだりしているとは少し考えづらい。

ここまでを聞いて、日本のTwitterユーザーなんて何百万、何千万といるだろうからその程度のツイート数では特段おかしなところはないだろうと思ったかもしれないが、そんなことはない。

「技癢」という言葉がある。
これは有名どころでは森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』にも使われている単語で、他人が何かするのを見て腕がむずむずすることを指す。
しかも広辞苑に記載もされていて、一見すると「気霜」より知っている人、使っている人が多そうな単語だが、Twitter検索をしても月2件ほどのペースでしかツイートが出てこない。
これを書いているのが4月初めなので、冬の間に使われる単語である気霜が冬ブーストを得ているだろうことを考慮しても少し違和感が無いだろうか?

実はこの疑問には明確な答えがある。

Googleで「白い息 名前」と検索すると、一番上にとあるブログがヒットする。

このブログにて気霜という言葉を取り上げているのだ。
しかもページを開かなくとも、検索した段階でブログ中の文章を引用し答えを明示している!

こんな具合に



つまり、「寒いときに吐く白い息の名前ってなんて言うんだろ〜?」と思い検索した人は真っ先に、この広辞苑にも載っていないような語句に辿り着き、自らの蓄えにできるのだ。検索エンジンとは凄いものである。
かくいう私も、上記のように検索してこの語彙を知った、いわば“仲間”だ。(上記のブログ筆者である岩槻秀明氏ありがとう)

そして、このブログが書かれたのは2021年10月27日である。
そこでTwitterにて「“気霜” until:2021-10-27」と打ち込み再度検索をしてみた。(指定した日付以前のツイートを調べられるコマンド)
すると驚くことに、気霜という言葉がそのまま、その意味で使われているツイートは、月何件どころか、その日付以前では10件ほどしかヒットしない!

つまり、上記のブログで気霜という言葉を知った人が殆どだということは明白である!

これは物凄いことではないだろうか?
PPAPを取り上げ世界的バズを引き起こしたジャスティン・ビーバーとは違う。
何百万というフォロワーが居るような超人気インフルエンサーが紹介したわけではない。
それなのにも関わらず、上記のブログで一つの言葉が多くの人間に認識され、“蘇った”のだ。

ネット社会によって人々の暮らしが豊かになった、とよくいわれるが、これはそんな一例だろう。
言葉、語彙はかけがえのない人々の財産であるからだ。

気霜という言葉は、実は1965年に山本健吉が著書『ことばの歳時記』で取り上げている。
それには、「ところで私は、志賀直哉氏の小説に『気霜』という言葉を発見した。そこで、これはよい言葉だと思った。私は俳人たちに提案したい。白息と言いたいときには、気霜という言葉を使ってみたらどうだろう、と」と書かれている。(このブログを書くために文庫版を買いました。)

また、上記のブログで岩槻秀明氏はこう述べている。
「わぴちゃん的には気霜という言葉は味があって好きです☆
このまま死語にするのはもったいないので、
こうして目につく形で残しておきたいと思います☆」

この二人の願いは今、叶えられつつあるのかもしれない。
これはネットが発達した現代社会において発信する人物がいるからである。

気霜という言葉は拾い上げられたものであるが、おそらく、現代では殆ど使われない死語となった、趣のある素晴らしい語彙がまだまだあるだろう。
沈没船と一緒に沈んだお宝を拾い上げるように、“お宝”を見つけ出してみたい。

私はそんな、かつて文豪達が残していった作品を読み、素晴らしい数々の言葉を現代に甦らせていきたい、と心のノートに書き込んだ。

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