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脚本『兎、食す』

兎、食す



【1】


兎、こそこそと何かを食べている。


兎「あ、ほんひひあ、ふぃょっと、わっててくぁさい……あの、改めまして、こんにちは、兎です。どうも。いや、その、照れますね、こんな大勢の方に見られると。ちょっと酷くないですか、人がご飯食べてるところを。兎想うんです、食事ってすごくパーソナルなものなんです。性欲食欲睡眠欲。三大欲求ですよ。普通見ます?寝てるとことか、もにょもにょしてるところ。同じですよ、それと。野生動物だって食中食後はすごく無防備なんです。寝てたりなんだりの時無防備なように。ほら、あの阿保みたいに早く走るチーター、あいつ、もの食った後、腹パンパンにして、のっそのっそ鈍重に動くんですけど、いやあ、滑稽ですよね。兎、飯食った後のチーターになら、勝てます。ふん、この自慢の健脚で、ぼっこぼこですね。華麗にこう、しゃっしゃって。あいつ、腹に重りありますから、ぐるぐる目回して、ドスンですよ。そもそもいけ好かないやつなんです、チーターって。なんか、陸上でいっちゃん走るの早いとか、鼻にかけて、見目がカッコいいとか優美だとかもてはやされて。あいつら飯食った後相当不細工ですからね。ああ、話が逸れちゃった。ですから、食べてるとこ見るなんてさ、酷いと思いません?恥ずかしい、すごく恥ずかしい。だから、共食、共に食べるって、意義深いことなんですって。親しい人とじゃないと気まずいじゃないですか、ご飯食べる姿見せるの。何だろう、いろいろ気にしちゃって、くちゃくちゃいってないかなとか、すごく神経使って。ですから、みなさん、酷いですよね、か弱い兎の、可愛い兎の、そんなあられもない姿、大きな体した、厳ついみなさん、取り囲んで、じっと見つめてるんです。辱しめですよこんなものは。はあ、お嫁に行けなくなっちゃいます。どうしてくれるんですか、みなさんが、兎を養ってくれるんですか?ええ、どうなんです?……ここで「はい」と答えるような輩は兎の可愛さに良からぬまなざしを向けるいやらしい、ああ穢れなんでしょうから、お断りです。あ、あなた、兎のさっきの言葉に身じろぎもせずに綺麗なまなざしを向けてくれましたね。ねえ、あなた、兎を飼ってくださいよ、ほら、可愛い可愛い兎ちゃんですよ。は、欲望のまなざし。あなたもやっぱり変態さんですか。ああ、兎の可愛さは罪なものです。硬派な心をとろかしてしまう。いえいえ、別に悪いことじゃありません。仕方がないのですよ、だってこんなに可愛いんですもの。ほら、見てください、可愛いでしょう?こうしても、こうしても、こんなポーズを取っても、ほら可愛い。360度、365日1分1秒あまさず可愛い。ですからこんな可愛い兎ですから、この柔肌に牙を突き立てんとするけだものは後を絶ちません。みなさんだって、さっきから、ええ、いやらしい。平静を装って、ポーカーフェイス決め込んだつもりでも、瞳の奥は、ほら兎の、この体を射殺さんばかりにぎらついて、唾がどろどろと煮え立って、ゴクリ飲み込む喉の音が、ああ、恐ろしい。はらの中なんて、情欲がぐるぐると、とぐろを巻いて、いっぱいに、今にも、消化管を逆流して、口から飛び出んとしている。ああ、その欲望の毒牙に非力な兎は抵抗も空しく……。最低ですよみなさん。こんないたいけな兎に、こんな小さな体に、そんな巨大な欲望をぶつけようだなんて。世の中、けだものだらけ、兎は安心してご飯も食べられません。さ、どっか行ってください。兎はまだご飯の途中なんですから。あ、想像しましたね、想像したでしょう。兎の小さなお口と、小さな歯と、小さなおててで、ねえ、ハムハムご飯を食べるとこ。よこしまな想像したでしょう。しちゃったんでしょう。わかります。お見通しです。否定したって無駄なんですから。しないわけないんです。だって、兎はこんなにも可愛くて、で、みなさんは野獣で。良いんですよ。慣れました。みんながみんな、兎をそういう目で見るんです。宿命です、可愛さの。見せてあげましょう。大サービスです。兎のご飯を食べるところを。はあ、アイドルって辛いですね。こんなふがふが鼻息荒いけだものたちに。堪能しなさい、兎の可愛さを。ハムハム、ハムハム。可愛いでしょう、可愛いでしょう。ほら、可愛いって言いなさい。はい、よろしい。で、なんで、みなさんは兎を取り囲んで見てるんですか?まあ、理由なんて可愛いで説明がつきますけど。ええ、ええ、兎年?干支。ああ、十干十二支の、今年は兎なんですね。それで来たんですか。はっ、ただでさえ可愛い兎に、十二支ブーストまで乗っかっちゃって、もう無敵なのでは?今なら天下を取れる気がする。ねえ、みなさん、兎と一緒に覇道を進まない?進みましょうよ。みなさん、知恵とガタイは良いんですから、ねえ、さっき兎の食事を見たでしょう?ほら、そんなことしたんだから、働いて返しなさいよ。行きましょう。まずは手始めに他の十二支を倒して、独占するとことから。そうすれば、来年も再来年も、兎年。みなさんだってそっちのほうが嬉しいはずです。牛だとか猪だとかむさくるしかったり下品だったりっする奴らより、可憐でキュートな兎ちゃんが干支の方が。さて、どこから倒しましょう。虎と龍はいったんパスで。強そうだから後回し。うーん、猿は苦手なんです。あいつすごくやかましいじゃないですか。キーキー叫んで。兎、ああいう頭の悪そうなやつ駄目なんです。後回しで。それだと、犬もそうね、あいつらすっごく似た者同士なんだけど、だから友達になれるんじゃないって勧めたら、誰があいつなんかとって、同族嫌悪でしょうか。まあ今は関係のないことです。鶏も割とその部類ですね。後回し。残りは、猪、鼠、牛と蛇に馬、羊、これで全部。この中だと、鼠か牛がよさそう。先ずは牛のとこに行きましょう。あいつ、とろい割に力強いから、最初に軍門に下らせるには丁度いいと思うんです。すごく、平和なやつで、大志なんかこれっぽっちも持ってない、阿保面です。さあ、行きましょう。ほら……何んですか?兎が移動するっていったらそりゃあ兎跳びに決まってるでしょ。ほら、みなさんも。」


【2】


兎「はあ、はあ、兎跳びって疲れる。もうやめます。みなさん、息が切れて、フシューフシューって一層けだものですね。ほら立って、従える軍団がそんな醜さじゃ兎まで変なやつみたいになっちゃうじゃないですか。息整えて、せーのすーはーすーはー深呼吸、すーはー、はいオッケー。あ、牛。ほら、あそこですよ。あの、のんきな顔の。どうせ、今日も道草食ってだらだらしてたんでしょう。きっとあいつはこういいます。『草を食べるのが仕事なんだよ。』って。間抜け面で、鼻の孔広げて。仕事ですって、自由に生きなさいよ、と思うのです。ん、あいつの耳、何か黄色いものが。オシャレ?あの牛が?そんなはず。あれ、何だと思います?知らない?目が泳いでます。知ってるんでしょう?番号?何のための?みなさんが牛にプレゼントで?ふーん。兎には何も持ってこないのに?え、くれるんです?ありがとう。あの黄色いの、できれば、色違いがいいなあ、なんて。特注の?赤いの?みなさん、兎にメロメロですね。あ、牛、いない。見失っちゃった。まだ近くにいるだろうから、見に行きましょう。スンスン。なんだかとてもいい匂い。スンスン。スンスン。ええ、ええ、とても芳醇な、な、人参。それも近年まれにみる逸品。艶、色、形、大きさ、スンスン、そしてなにより、この品の良い大地の香り。ええ、ええ、いいわ、素晴らしい。なぜこんなところに?きっと、神さまが兎を祝福しているんだわ。神さまが見ほれるほどの愛らしさ。それが兎!それじゃあ、いただ―ってなにみてるんですか!?ああ、変態だ、けだものだ。さっきから、やけに素直についてくると思ったら、兎の食事姿を見るために。情欲たっぷり含ませた、よだれ必死に飲み込んで、取り繕って待ってたんでしょう?このときを!一度じゃ満足しないなんて。全く仕方がないですね。ほらハムハム。美味しい。ハムハム。君主と家臣という身分の差を乗り越えてしまうほど、兎の姿が愛くるしいの、罪ですね。人をこんなに獣にしてしまう。さて、美味しかった。次、どうしようかしら。何です?牛?もういです。去る者追わず。逃した魚を追っかけて、別のチャンスを見逃すわけにはいきません。これが王の度量です。二兎追うものは一兎得ずです。え、兎がそれを使うな?なんでです?変なこと言わないでください。わかってますよ。兎が可愛くって、捕まえたくなる気持ちも。どうしましょう。ふぁあ。欠伸が出ちゃいました。そういや、牛、あいつ、牛のくせに、欠伸すると、ふぁあ、って阿保っぽい声出すんです。モーって言えって思いません?思わない?そうですか。牛にこれを言うと『そんな凝り固まった牛像を押し付けないで。』て起こるんですけど。ふぁ、こんないい気持のいい昼、なかなかないですよ。すごくいいところ。ここ、牛のお気に入りなんです。『ここの草はすごく美味しいんだ。人間が手入れしてるから。』って言ってました。なんで手入れしてるんです?なんとなく?そうなんですね。いい天気です。せっかく、一緒に遊ぼうと思ってたのに、牛のやつ。ま、仕方がないですね。ふぁあ。みなさん、なかなかだらしのない顔をしてますよ。兎の配下なんですからシャキッとしてください。なに?兎もとろけている?麗らかな春の日差しに、まどろむ美兎。な、ナルシストじゃあありません……兎が十二支に選ばれた理由知ってます?そりゃあ、知らなくて当然なんですけど。でも、不思議じゃありません?こんなか弱くて、頭脳も、馬鹿ではないけど、飛びぬけているわけでもない兎が、あまたの動物たちを押しのけて、十二支の座についているのは。それこそ虎や龍はその武勇。鼠なんかは賢さ、まあ、ずる賢さ。そのほかのやつにも、あの間の抜けた牛にも、何かしら秀でた所があって、そこを認められて、十二支になったんです。で、兎は美しさ。見てください。この細くて白い腕。柔らかな腿、ふかふかのお腹、長くてかわいらしい耳。どこに力もありはしない。ただ、美しいだけ、可愛らしいだけ。兎の取り柄は、美しさ、美しさこそ、兎の最大の武器なんです。呆けた顔しないでくださいよ。脳みそまで朗らかになっちゃったんですか。ふぁあ、ほんと、いい天気です。春の陽気は、とろけるます。ふぁあ。ん、冷た。雨?ほんとですよ。今確かに、ポツっと、ほら、また。降り始めました。一気に曇りましたね。嵐みたいです。木陰にいきましょうか。急いで。こんな急な嵐はたいてい碌な物じゃありません。きっとあいつが、あいつらが。」


嵐の音。雷。この後、適宜、龍と虎の吠える音、喧嘩の音。


兎「ああ、やっぱり龍です。で。虎。また喧嘩ですよ。あなたたち、ちょっと、こっちに来てください。何です?王様が前線に立つ分けないでしょう。雑兵が立ってくださいよ。あいつらずっと喧嘩してるんです。どっちが強いかって。神さまに武勇で引き立てられた彼らですから、まあ、わからなくもないんですが。ひっ。か弱い兎は巻き込まれただけで一大事です。ほら、あんないかつい顔。恐ろしいでしょう?ひっ、悪口は言ってないです。びっくりした、こっちに吠えたのかと。はあ、兎ずっと不満なんです。龍虎相まみえるっていうじゃないですか。まみえなさいよ。何、兎挟んでんですか。緩衝材にしないでください!兎じゃ緩衝材にもならない?うるさいです!はあ、そういう意味じゃ、鶏のやつも不憫ですよね、猿と犬に挟まれて。あいつチキンだし。まあ、兎の方が断然不憫ですけど。悲劇のヒロインってやつですね。見目がいいと、こういう役を負わされがちです。あ、どっか行った。」


晴れる。


兎「ふう、危なかった。あなたたち、なかなかの勇敢さでしたよ。姫を守らんとする、その騎士道精神だけは褒めましょう。ん、あんなところにキャベツが。なぜ?神の祝福!苦難を乗り越えた兎を神さまが褒めてくださっているのだわ。ああ、素晴らしいキャベツね。何の変哲もないキャベツに見える?目がだいぶん節穴です。こんなキャベツなかなかないですよ。恐ろしいほどに洗練された、正に神の一品です。見目だけじゃない。重さ、匂い、手触り全て完璧。きっと、同量の金と同じ価値があるでしょう。何じろじろ見てるんですか、あげませんよ。まあ、さっきはよく働いてくれましたし、一枚だけなら。え、要らない?もったいない。良いんですよ、信賞必罰。罰するべきところは罰し、褒めるところでは賞与する。これこそ王です。まあ、要らないってんなら、兎が全部食べます。なんでじろじろ見てるんですか。要らないって言ったのはそっちですよ。な、まさか、また兎の食事姿を見る気ですね。途方もない倒錯者だ。はあ、キャベツに代わってこれを賞与にしてやりましょう。全く、変な配下を持ってしまったものです。ハムハム。ほら、堪能してください。兎はキャベツを堪能しますから。ハムハム。止まりません。ペロっと食べちゃいました。良く入る?こんなちいさな体に?まあ、兎は大食漢ですから、人参数本とキャベツなんてぺろりです。まあもう、結構お腹いっぱいなんですけど。ふう。あまりに美味しくて、少しキャパオーバーです。こんな兎を見て皆さんは言うのでしょう?いっぱい食べる君が好き。下卑た笑みして、やめた方がいいですよ。はあ、お腹パンパン、少し休憩を―。」


銃声。


兎「何!あっちの方から大きな音が。行きましょう!……う、お腹が重い。うまく走れません。」


移動。


兎「はあ、はあ、つかれ、た。食後にこんな走っちゃ。はあ、もう、走れません。ん、あれは、猪のやつ?倒れてる。よく見えない。きっと猪です。血、かしら。」


草をかき分ける音。


兎「だれ?人間。銃持ってます。みなさん知り合いですか?あれで、猪のやつを。死んでる?うっ。血抜き。あいつら、笑ってる。『でっかい猪だ、これで、しばらくはもつ。』食べる気なの?猪を?本気?どうしましょう?逃げたほうがいいのかしら。猪を食べるような蛮族です、きっと兎を見つけたら、欣喜雀躍して食べます。みなさん、逃げましょう?どうしたんです?何ですか、こっちにきて。その、あっちですよ、逃げるべきは、その、顔が、怖いです。ねえ、ほら、蛮族が来てますって。なんで、取り囲むように。ねえ、あなたたちも撃たれるかもですよ。ほら、ねえ。あなたたちは兎の配下でしょ?はあ、仲間なんですね、あいつらの。ふざけないでください。もう、一匹で逃げます。脱兎の如し。人の足で兎を捕まえられるなんて思わないでください。う、痛(コケる)、お腹が、重い。足が、動かない。あの、その、ねえ、ほら、可愛い兎ちゃんですよ。ほら、食べようだなんて思いませんよね。ねえ!」


終わり

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