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保健所職員だった話①〜コロナ草創期〜

こんにちは。はれなです。

私、新卒で就職してから今の職場に異動になるまで保健所職員をしておりました。ちなみに、文学部卒の事務職です、医療の経験も知識もありません。

コロナ草創期から大盛り上がりを見せた第6波まで保健所職員として過ごした時間。ここまで社会の流れに振り回される経験はこれまでもこの先もそうないと思うので、記念に書き留めておこうと思います。

COVID-19襲来

新卒で就職して1年目の2019年末、中国でコロナが流行りはじめます。当時、年末で少し残業していたときに、ベテランの保健師さんがコウモリから移ったとかそんな記事を読んでみんなに聞かせてくれてたのを覚えています。その時は、なんとか日本には来ないでおくれよアハハみたいな感じでみんな受け止めていました。

年が明けてしばらくすると、ついに日本にもコロナが入ってきました。入ってくるともう瞬く間に社会を混乱の渦へ陥れましたよね。ダイヤモンドプリンセス号でしたかね、クルーズ船での集団感染などもはや懐かしい。

テレビのニュースでコロナがどんどんと自分たちのところにも近づいてくる感じがしてソワソワした日々を過ごしていました。だって、知らない間にコロナについては保健所が矢面に立つ形に社会的に知らされていて、でも対応とか厚生労働省から来る通知はまだまだガバガバで実例も少なくて、その通知の内容も日々というか半日もあれば更新されたりして、本当に情報が錯綜していました。

そうはいっても、時間とともコロナはどんどん広がっていき、ついに私がいた保健所の管轄地域でもコロナ患者さんが登場するようになりました。主な対応は感染症担当の保健師さんがしてくださり、第一号は事なきを得ました。しかし、そこからというものぽつりぽつりと患者さんが増えていきます。陽性患者の濃厚接触者が陽性になって、そのまた続きがあって、あれよあれよと大規模なケースが増えていきます。それに伴って、患者さんの周囲の方からの問い合わせや苦情電話などもどさどさと増えていき、みるみる業務がパンクしていきました。(その様子はまた別の記事で詳しく書きます。)

緊急事態宣言

私がいた保健所がパンクする頃、人口の多い都会の保健所やクラスターが発生しまくりの地域など、全国的にどこの保健所も医療機関もその他諸々も、もうどうにもならないくらい混乱していたと思います。そうこうしていると、緊急事態宣言なるものが発表されました。

ステイホームなんて言葉も登場したりして、世の中大半の人はお家で過ごすことを余儀なくされてストレスフルだったと思います。かくいう私はステイホームどころか毎日電車に乗って保健所まで通勤していましたし、職務内容的にも状況的にも職場は誰一人としてステイホームなんてしていられませんでした。

そんな必要に駆られて電車に乗って残業しての日々を過ごしている中で、帰り道にお酒を飲んで騒いでいる若者たちが目に入った時は本当に信じられない光景で蹴り上げてやりたいと思うほど怒りが込み上げてきたのを覚えています。

なぜかって?コロナになるのは仕方ない、けれどコロナになって、周りの人に移したり、それによる対応を迫られて疲労困憊している人たちがたくさんいて、だから政府が宣言を発表するほどの事態。いまどき技術が発達してるのだから電話でもzoomでも他にコミュニケーションを取る方法はいくらでもあるやろ。それでいて、そうやって軽率な行動で感染して周りに文句を言う人がたくさんいる、だからそういう可能性のある人を目の前にして舌打ちせずにはいられなかったのです。

Go Toキャンペーン

このキャンペーン、はじめに知った時は耳を疑いました。たしかに経済の観点からみればとても大切なことだとは思いました。けれど、このキャンペーンが始まった頃はまだまだコロナに対する世の中の捉え方が混沌としていて、医療体制が整ったとはいうけれど、何度でも繰り返す波の度に新たな混乱が生まれるような状況でした。

自己責任で全部できるなら話は別だけれど、結局コロナ患者が増えた時に皺寄せが来るのは保健所職員や医療関係者、その立場にある以上このキャンペーンを快く思うことはできませんでした。もちろん開き直って利用する気にもなれなかったです、もし旅行に行って保健所職員が感染なんてしたら晒し者もいいとこ。

けれど、このキャンペーンは何度も延長されたことを思うと、医療や福祉と同じくらい経済も社会的に大切なことなんだなと後々考え直しはしました。

長くなりましたがコロナ草創期編はこの辺りでおしまいにしておきます。次回は、コロナ対応業務大フィーバー編をお届け予定です。

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