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いま

目が覚めた。

いつ眠ったかは覚えていない。
いつも気が付いたら朝になっている。

夢の中は、なんでもありだから、とんでもないジャンプスマッシュも打てるし、僕の周りだけ雨が降らなかったり、君がコジコジみたいにビューンって飛んできてくれたりする。

何度も夢を見ては、途方もない感情に支配された朝を迎えた。

パッと目を開いて、天井を見つめたまま何が何だか分からなくなって涙が出てきた。昨日の出来事は、昨日あったと思われる出来事は、果たして本当にあった出来事なのか。わかってる、答えはスマホの中にある。確認すれば済む話なのに知るのが怖くて動けないでいた。

そんなことをしていると、スマホが鳴った。
かわいい猫のアイコンで"おはよ"とひと言。

夢じゃなかった。

7時前に家を出て、職場に忘れたラケットを取りに行く。電車はとても空いていた。
3ヶ月と少しの間、通勤のこの電車では、岸辺露伴やジョジョ、コジコジまで君の好きなものを確認することが僕の日課になっていた。彼らは僕を救ってくれていた。特に梅田の催事場に出店していたコジコジのお店で、お揃いにしたくて勝手に買ったアクリルキーホルダーは毎日のように僕を満たしてくれた。

ある時から、君の感情が大きく離れていることに気付いた。ふとした時に腕を掴んでくれたりすることがなくなった。ラインの頻度も極端に減っていき、返事がないことも多くなった。


もう好きじゃなくなった。


もう全部遅かったんだ。
まだ大丈夫だって自分に言い聞かせて勝手にやってきたことたちは全部無駄だったんだ。
何の成果も上がらない努力を、自己満足のためだけに繰り返していた。
ラケットについていたはずの、コジコジのキーホルダーは、いつの間にか外され無造作に置かれていることに気付いた。


ポンコツの人生だ。


それからは見るのが辛くなった。
まだ全部途中なのに、見てしまうと電車の中で涙が止まらなくなってしまうから、見るのをやめた。何をどうすればいいのか分からなかった。
知るのが怖かった。

そんなことを考えていたある時、君がSuicaがついにメルカリで売れたと言う話をしていた。

前に話してなかったっけ?

このひと言は、とても辛かった。


もう決着をつけてしまおうと、君のことをいろいろ調べたが、見つかるのは悲しい事実だけだった。

そうしている間に、君はコロナに感染した。
去年の2月3月と、僕の体調が悪い時に君は良くしてくれた。だから、最後にそのお礼だけして、もう終わりにしようと決めた。

弱っている彼女を見るのは辛かったが、4日目にはだいぶ元気になった。5日目には明るいラインが返ってくるようになり、僕はもう不要であると悟った。

最後に確認したい事があったから、それだけ確認できたらもう2度と関わらないでおこうと決めていた。僕のことなど何とも思っていないのだから、何を見られても平気だろうと、むしろ仕返しのためにはちょうどいいと思うのではないかと安易に考えていたけれど、思いの外それは難航した。

机を蹴り飛ばし、胸ぐらを掴んで怒鳴った。
散々罵倒した。お尻を叩いたりもした。
彼女のこれまでしてきたことを責めた。
そんなこと言える立場じゃないのに。
手が震えて頭が回らなかった。
感情を抑えるなんてことは全くできなかった。

明日から仕事だからもう寝かせてほしいという彼女に、そんなこと僕に関係ないと無視してスマホとPCのデータを確認した。

そして、彼女が1番見られたくないであろう日記を彼女の母親にラインで送り、取り消しができないようにと、すぐに発覚しないように細工をした。

彼女は怯えていた。
あの瞬間の出来事がフラッシュバックしていることは容易に理解できた。
でも、僕はやめなかった。

これがあの日したことの全て。


改めて文字に起こして、いつか君がこれを見るのだろう。その時にどう思うか、正直怖い。気持ちが変わってしまうかもしれない。でも、僕は僕のしたことと、その結果を全て受け入れるしかない。


ラケットを回収した帰りの電車は少し混んでいた。僕はこれまでの出来事を思い出して、悲しくて泣いてしまった。人が多かったから膝に抱えた鞄に顔を伏せながら、乗り換えの駅まで涙を止めることができなかった。

彼女のスマホに入っていた動画には、自身の身体を360度ぐるりと撮影した動画があった。腕の状態やカラダのラインを確認するためだろう。そして最後は飼っている猫と戯れて終わる。そこには彼女の人間性の全てが詰まっていた。
なんでそんなことを気にしているんだこの子は馬鹿じゃないのか。
君の魅力は、いいところは、これ以外にたくさんあるだろう。それを知ってるだろ。それなのに、なんでこんなことを。
辛かっただろう。想像するだけで、胸が苦しい。涙が止まらない。彼女に何をさせていたんだ。
馬鹿かよお前は。


乗り換えた駅からは人が少なくなった。
僕はもう何も我慢することなく泣いた。
近くにいたおばさんが大丈夫ですか?と降りる直前で声をかけてきた。

うるさい黙れ。
僕は今から彼女とバドミントンをするんだ。
幸せの真っ只中なんだから邪魔をしないでくれ
と一切のシカトをかまして目的の駅で席を立つ。

涙を拭いて、深呼吸して胸を張って。
何事もなかったかのように、歩き出した。

後ろから彼女が自転車でやってきた。
"おう"と答えたが僕はどんな顔をしていたか分からない。イヤホンをしまう時、つけていたはずのコジコジのキーホルダーが無いことに気がついた。おとといまでは絶対にあったのに。
クリスマス会の変なメガネをかけたコジコジ。どこかへ行ってしまったのか。役割を終えたのだろう。ありがとう。助かったよ。

今日は彼女のお母さんが遊びにくるらしい。
彼女はどこか嬉しそうだった。
そんな彼女を見て、僕も嬉しくなった。


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