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自分で作った枠に自分を無理やり嵌め込んでた?

こんにちは。
専らつぶやきしかしていない高野豆腐です。
短めな思いつきしか出てこないけど、Xに投稿するのは性に合わないな。ということで、noteさんのつぶやき機能ばかり使ってしまいます。

ちゃんと文章書いたほうがいいのかな。でも思いつかない…つぶやき…を繰り返していたら、ふと記事になりそうなことが浮かび上がってきたので、久しぶりに書いてみました。

お時間がありましたら、ぜひご覧ください。


自分のこと「ネガティヴで心に穴が空いててすぐ落ち込む人間」と思っていて、実際昔はそうだったし、今もそうだけど、

よくよく考えたら、空が綺麗とか餃子がすごく美味しかったという比較的小さなことですぐ幸せ感じるし、自分のできていないところを分析して落ち込みすぎず次の行動してるし、推し活充実してる。

思っていたより楽しく人生生きてない?
と思った。

そこから、なんで自分がなりたいと思っていた状態に近づいていたのに気づかなかったのだろうと思い返してみると、

自分が思っている以上に「嫌な思いをした経験、ネガティヴな状態」をステータスにして、それを無くさないようにと縋り続けていた

ことに気づいた。

そもそも今目指している職業を目指し始めたきっかけも、ネガティブな記憶がある自分だからこそできる仕事だと思ったからだし、このnoteを始めたのも同じような理由。

だからネガティブな自分で、傷ついた記憶を持って、モヤモヤを抱えるからこそ意味があるんだ!レベルまで、嫌なことに特別な意味を持たせていたというか、
それがなければ自分じゃない!くらいの勢いで、必死にその記憶に性質に固執していたのかもしれない。

でも仮にそれが無くなったとして、その時の自分は「自分」ではなくなるのだろうか。

今の私は、それは違うと考えた。

そもそも小さいことで考えるモードに入るのも、マイナス面が見えやすいことも、過去の嫌な記憶もその他全部、綺麗さっぱり消えました!なんてことはないと思う。
少しずつ輪郭がぼやけたり、鳴りを潜めたりすることはあると思うけど。

それに落ち込み時間が短くなったり、楽観的に物事を捉えられるようになったり、嫌な記憶を忘れたとしても、あの時に思った「人に寄り添う」「一緒に戦う」はできると思う。

むしろ経験がある+心が穏やかな今の自分だからこそ、伝えられる言葉や提案できることがあると思う。

心に余裕がないと人に優しくできないしね。これも経験済みだし。

でも、それをステータスみたいにして、しがみつくことも一種の自己防衛だったのかもしれない。
そう考えるとその時間も必要だったんだなと思う。

そもそもこの上のひと文が出てくること自体だいぶ成長したな(唐突ですみません)

とりあえず手放せるネガティヴを必死に持ち続けること自体ちょっとしんどくなってきたので、気づけた今は、少しずつ手放していけたらいいな。
それこそ手放すことを意識しすぎるとこれまたしんどくなる予感しかしないので、
本当に少しずつ。


久しぶりの記事なのに、すごく長くなりました。すみません。
個人的にはすっきりしたし、意外となかった視点でもあるなと思ったのでここまで書いてしまいました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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