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調査方法に問題がある福島の小児甲状腺検査

放射線被ばくで がん発見率上昇せず

甲状腺検査評価部会が「まとめ案」を公表


 福島第一原子力発電所事故で、当時18歳以下だった福島県民を対象に行われている甲状腺検査について、福島県県民健康調査検討委員会の甲状腺検査評価部会は7月28日、「先行検査から検査4回目までにおいて、甲状腺がんと放射線被ばくの間の関連は認められない」とする、これまでの検査結果に対する総決算となる「まとめ案」を公表した。
 福島県は、事故当時、18歳以下だった約38万人を対象に甲状腺検査を実施、2023年3月までに、316人が「甲状腺がん、もしくは、その疑いあり」と診断され、うち262人が手術を受けている。国のがん統計などから推定される有病数と比較して、多くの甲状腺がんが見つかっていることについて、評価部会のまとめ案は、「症例のない人を対象として広く実施した精密な超音波検査の結果、命を脅かしたりしないがんを過剰に診断しているのか、将来的に症状をもたらすがんを早期発見しているかのいずれか、または両方の効果によるもの」であり、原発事故による放射線被ばくで小児甲状腺がんは多発していない、との見解を示した。
 ただし、この日の部会では、部会員から、調査方法に問題があり、いまの検査のやり方では「甲状腺がんのリスクをきちんと評価できていない可能性がある」との指摘があった。
 検査を巡っては、治療の必要のないがんまで見つけてしまう「過剰診断」説を唱える評価部会や専門家の見解に対し、国の原子力政策に批判的な脱原発派は、「被ばくで甲状腺がんは多発している」と反発してきた。しかし、この日の部会員の指摘を待つまでもなく、調査方法に問題があることは、統計学を勉強していれば分かることだ。
 いま行われている調査方法では、放射線被ばくと甲状腺がん発生の因果関係を明らかにすることは、容易ではない。バイアスと言って、特定の方向性のある偏りを取り除くことが困難だからだ。たとえば、事故を起こした福島第一原発に近い地域の人ほど、被ばくの影響を心配して検査を受けようとする。そうすると、感度の高い検査なので、受診率が高い地域ほど甲状腺がんの発見率が高くなってしまい、被ばくの影響でがんの発生率が高くなったのか区別がつかない。これを選択バイアスという。また、二次検査で、最終的に甲状腺がんかどうかを決定するのに必要な、穿刺吸引細胞診を受診する人の割合が、二巡目、三巡目と検査を重ねるたびに減ってきている。検査の規準が一定でないことが、がん発見率に影響している可能性がある。これを測定バイアスという。
 このようなバイアスのほかに、いまの調査方法では、発がんに影響を与える放射線被ばく以外の要因である交絡要因を取り除くことが困難だ。たとえば、甲状腺がんは加齢によって増加する。数年かけて、地域ごとに順番に検査を行っているので、加齢によるがん発生率の増加を見ているのか、放射線被ばくによるがん発生率の増加を見てるのか区別がつかない。この場合、加齢が交絡要因となっている。
 さまざまな研究者が、このようなバイアスや交絡要因をできるだけ取り除こうと、得られたデータを事後的に調整しているが、もともとの調査方法に欠陥があるので、必ずしも信頼度が高い結果が得られているとは言えないのが現状だ。
 甲状腺検査評価部会の鈴木元部会長も、「放射線被ばく量」と「甲状腺がん発生率」の間に因果関係がるかどうかを解析するには、福島県立医科大学が行なっている今の調査方法では、物足りないデータしか得られないことを、部会の席上で認めている。
 データの信頼度が低く、どうにでも解釈できる検査結果に対して、脱原発派が「多発している」と決めつけても、国からは「多発してない」と言い返されるだけだ。水掛け論になって議論が平行線をたどり、論争が長引けば長引くほど、国が有利になる。なぜなら、国側が資金も人材も豊富なのに対し、被災者側は資金も人材も限られているからだ。また、原発事故が風化して世の中の関心が薄らげば薄らぐほど、被災者は世論を味方につけることができなくなる。「甲状腺がん多発」を訴える被災者側は、周囲の理解を得ることが難しくなり、「復興の足を引っ張るな」などと後ろ指を刺され、地域社会から孤立していく。負け戦を仕掛ける脱原発派の意図が分からない。
 どうせなら、「多発しているかどうか、仮に多発しているなら、何が原因で多発しているかが分かる調査方法に変更してください」と、統計学的に検出力が高い疫学調査の方法を提案すればいいのに、なぜやらないのだろうか。
 アメリカやオーストラリアでは、過剰診断でなく、治療が必要な甲状腺がんが増えていると報告されている(注1)。もし、それが本当なら、日本とアメリカ、オーストラリアの3国で共通している身の回りにある何かが原因かもしれない。甲状腺がんの原因は分かってない。肥満かもしれないし、カーテンを燃えにくいように加工する防炎薬剤かもしれないし、ホルムアルデヒドかもしれない。ナノ化粧品かもしれないし、残留農薬かもしれない。
 福島県で行なわれている健康な小児を対象にした前例のない大規模な甲状腺検査で、世界中の誰も知らなかった甲状腺がんの原因が分かるかもしれないのだ。身の回りにある化学物質が原因だとしたら、甲状腺検査を続けることで、他の病気の原因をも明らかにできる可能性がある。小児甲状腺がんが発見されたのは、子どもは感受性が高く、甲状腺という部位も発見しやすかったからで、同じ化学物質が今後、命にかかわる大人の他の疾患の原因になり得ることが分かってくるかもしれない。このようなことが分かれば、過剰診断とは言えなくなる。調査の趣旨は、エコチル調査と共通点が出てくるので、国の方針とも対立しなくなる。全員が一丸となって調査を進めやすくなる。受診率も上がるのではないだろうか。もちろん、理想的な疫学調査の手法に近づけば近づくほど、放射線被ばくの影響かどうかもはっきりしてくる。検査の継続を訴えるなら、脱原発派は、調査方法の変更を含めて、もっと建設的な提案をしたらどうだろうか。
 ただし、検出力の高い大規模な疫学調査を始めると、人手不足で通常の医療が圧迫される。そのことで、通常の医療における死亡率が上がる可能性があり、法的倫理的問題が絡んでくる。福島県は、全国で最も人口十万人当たりの医師数が少ない都道府県の一つだ。甲状腺がんの死亡率は極めて低い。しかも、小児の甲状腺がんは症状が出てから、つまり、大人になってから治療を開始しても命に別状ないと言われている。医師不足の中、通常の医療における死亡率が上がるリスクを覚悟のうえで、徹底した小児の甲状腺検査を行う必要はあるのだろうか。
 そもそも、福島県民は何を求めているのだろうか。小児甲状腺検査の継続を求めたり、小児甲状腺がんの多発を訴える人たちは、国や東京電力の責任を明らかにしたいのだろうか。それとも、命を大切にしたいのだろうか。どちらだろう。
 より多くの人の、より深刻な疾患から優先的に対処していくのが社会正義だとしたら、小児甲状腺検査の優先順位は低いと言わざるを得ない。もっと重大な健康課題があるからだ。
 原発事故直後に妊娠した女性から生まれた赤ちゃんに、低出生体重児(体重2500グラム未満)が多かった(注2)。赤ちゃん全体の平均体重も減少していた。大災害後に低出生体重児が増加したときには、標準体重の赤ちゃんも、大人になってから生活習慣病になりやすくなることが、過去の調査で示されている(注3)。
 主な原因は、大災害における心理社会的なストレスと考えられている。いま、日本で多い低出生体重児は、原因が低栄養だ。原因が違うので同列には扱えない。さらに、胎児・乳幼児期に大災害を経験すると、そのストレスの影響による体質の変化は、その人の子孫にまで残ることが確認されている(注4)。
 病気になりやすくなるのは、ストレスでDNAの塩基配列に変異が起き、遺伝子の性質そのものが変わるからではない。細胞の中で、DNAを鋳型にして作られるタンパク質の量が、標準的な人より増えたり、減ったりと、いわば遺伝子を働かせるアクセルとブレーキの調節の具合が、ストレスの影響で変化することで病気になりやすい体質になってしまうようだ。この生命現象は、エピジェネティクスと呼ばれている。
 つまり、放射線被ばくによって起きたDNAの突然変異が子孫に遺伝するわけではないが、広い意味で、原発事故の子孫への影響を気に掛ける母親の不安は的中していたことになる。
 小児甲状腺がんの心配をするより、事故当時、胎児・乳幼児だった子どもたちの心理社会的ストレスの影響を気にする方が優先順位が高いのではないだろうか。人数にすると、大雑把な見積もりで数万人の子ども、つまり、甲状腺がんより、はるかに多い子どもたちのケアが必要になる。
 具体的には肥満対策だ。生まれた時の体重が減少するほど、強い心理社会的ストレスにさらされて生まれ育った子どもたちは、厳しい環境に適応するために、体内にエネルギーを蓄えようとする。すなわち、肥りやすい体質になってしまうのだ。
 原発事故後は、放射線被ばくの影響を避けるために外遊びできずに、子どもの肥満が増えてしまった。そして、コロナ禍でまた、身体を動かす機会が奪われた。肥りやすい体質になってしまったので、いったん肥るとなかなか痩せない。肥満の子どもは糖尿病や心臓病になりやすい。小児甲状腺がんと違い、命にかかわる問題だ。甲状腺がんを心配するより、肥満対策が喫緊の課題のように、筆者には思える。
 筆者の考えに対して、「肥満を強調して、放射線被ばくの影響から目を逸らそうとしている。論理のすり替えだ」と、憤る人がいるかもしれないが、それは誤解だ。なぜなら、肥満を解消することで、放射線被ばくのダメージを減らすことができるからだ。
 肥満で病気になりやすくなるのは、脂肪組織から血液中に過剰放出された炎症性サイトカインが、血流に乗って全身を駆け巡り、血管や臓器が炎症状態になるからだ。放射線も、その電離作用で水分子をイオン化する際に発生するラジカルで、炎症性サイトカインを血液中に過剰放出させる(注5)。つまり、肥満も放射線も、病気の原因となる同じ炎症物質を過剰に血液中に放出させることに変わりはない。炎症に炎症が重なれば、血管や臓器がより深刻なダメージを受けることになる。だから、肥満解消で体内の炎症状態が改善すれば、放射線被ばくによる炎症のダメージも和らげることができる。全然関係ないように見えるかもしれないが、肥満解消は、除染と同じように被ばく対策になるのだ。「心の除染」とはまったく異なり、論理のすり替えではない。
 肥満解消は、生活習慣病対策になると同時に放射線対策にもなる。福島県中通りレベルの放射性物質汚染度なら、何度も除染して放射線量をいま以上に下げるより、仮に、原発事故前より放射線量が高いままだとしても、肥満解消の方がはるかに効果的な放射線対策になるはずだ。そして、健康対策としての肥満解消に反対する人はいないはずから、放射線被ばくを気にしない人と気にする人の間で、意見の対立はなくなることになる。つまり、復興推進派が望む健康増進による地域の活性化・復興推進と、放射線の健康影響を気にする派の望む放射線被ばく対策は、両立可能なのだ。
 このようなことも含めて、事故直後から、専門家と住民との間で対話を続けるべきだったが、文系の研究者も一緒になって、「甲状腺がんは被ばくで多発している」「多発してない」の応酬をするばかりで、対話は行われていない。
 「多発」を訴える人たちの主眼は、事故を起こしたことに対する東京電力と国の責任を追求することにあるように見える。なぜなら、甲状腺がんは極めて稀な病気なので、もし多発しているとしたら、「原因は原発事故による放射線被ばくに違いない。甲状腺がんになってしまった子どもたちは、原発事故のせいで、10年以上経ったいまも辛い思いをし続けている。この先、結婚できるのだろうか。就職で不利になるんじゃないか。一生を棒に振りかねないと、毎日が不安で、子どもたちは悩み続けている」と、多くの人たちの情に訴え、世論を巻き込み、東電と国の責任を追求しやすくなるからだ。
 しかし、これまで指摘してきたように、仮に小児甲状腺がんが福島で多発していたとしても、いまの調査方法では、その原因が放射線被ばくと断定することはできない。肥満かもしれない。火事を防ぐための防炎薬剤など、室内にある化学物質かもしれない。残留農薬かもしれない。アメリカなどで治療が必要な甲状腺がんが実際に増えているとの報告があることから、甲状腺がんの原因は放射線被ばく以外にある可能性が十分考えられるのだ。その可能性を否定できる証拠を示さずに、「事故の被ばくで甲状腺がんが多発した」と決めつけてしまうのは、あまりにも非科学的と言わざるを得ない。冒頭で述べたように、さまざまな欠陥がある調査方法で得られた信頼度の低いデータを根拠に「多発していない」と断定する国も、お世辞にも科学的な態度とは言えないが、国を批判する脱原発派も似たようなもので、どっちもどっちだ。子どもたちの命の尊厳は、いつの間にかわきに追いやられ、福島原発事故後の小児甲状腺がんを巡る論争は、科学を装った政治的な駆け引きになってしまっている。
 部会から「まとめ案」が示された。脱原発派、彼らを支持する被災者、その支援者は、冷静で、建設的な対応をしてほしい。国側も、科学を装ったイデオロギー論争の背後にある、被災者の真実の声を見抜く洞察力を身につけてほしい。命の尊厳を第一に考えるなら、いまの福島に求められるのは肥満対策だ。大地震・津波・原発事故という、前例のない複合災害による心理社会的ストレス下で生まれ育った子どもたちは、太りやすい体質になってしまったと考えられる。放射線被ばくを避けるための外遊びの自粛、新型コロナ対策による運動不足。10年以上、子どもたちは肥満になりやすい不活発な状態を強いられてきた。前述したように、大災害のストレスによる太りやすい体質への変化は、子孫にまで受け継がれる可能性がある。次世代影響という点からも、肥満対策は喫緊の課題だ。科学を装ったイデオロギー論争をしている場合ではない。

注1)
─Qian ZJ et al., (2019) JAMA Otolaryngol Head Neck Surg, 145(7): 617-623
─Schuster-Bruce J et al., (2022) JAMA Otolaryngol Head Neck Surg, 148: 350-359
注2)
─Hayashi M et al., (2016) Open J Obstet Gynecol, 6(12): 705-713
注3)
─Roseboom T et al., (2003) Paediatr Perinat Epidemiol, 17(4): 391-397
─Heijmans BT et al.,(2008) PNAS, 105(44): 17046-17049
注4)
─Stein AD & Lumey LH (2000) Hum Biol, 72(4) : 641-654
注5)
─ICRP (2012) Publication 118. Annals of the ICRP, 41(1-2)

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