A4小説「NMW」

 「何番ですか?」「あ、56番です。」智恵理がそう答えるライブハウス前には、開場まで20分とあってぞろぞろと人の列ができ始めていた。オールスタンディングで座席がなく、整理番号の順に入場する場合、客どうしで番号の確認をし合い並んでいく。300人が入るか入らないかといったくらいの会場には「NMWツアー」というポスターが貼ってあった。「ナチュラルミネラルウォーターズ」というバンドのようで、列に並ぶ人の多くは、胸に「NMW」とデザインされたTシャツを着ていた。
 ナチュラルミネラルウォーターズは3ピースバンドで、リードヴォーカルのユウとギターのシマ、ドラムのジョーという編成だった。バンド名の由来は、初期からのメンバーであるユウの苗字の「水」川とシマの「水」嶋に起因している。また、ユウは薄くメイクをしてステージに立つことからやや軟派に見え、ユウ寄りのファンのことを「軟水」、シマとジョー寄りのファンを「硬水」と呼び、それぞれのグッズがあるなど、ファンどうしの間でもなかなかの盛り上がりを見せていた。
 智恵理がそのバンドを観にライブハウスに足を運ぶようになったのは5年ほど前だった。もともと音楽は好きでよく聴いており、有名なグループをホールのような大きな会場に観に行くことはあった。ただ、ありきたりで当たり前のような歌詞や、皆同じようなMCに物足りなさを感じ始めていた。そんなとき、会場を出る際に配られるイベント会社のチラシに、3センチ角程度の大きさのNMWを見つけた。
 初めて行くライブハウスは少し不安だった。見るからに怖そうな人もいたが「傘立ては階段の途中にあるよ。」と教えてくれたりして、偏見は良くないと自分を戒めることになった。
 NMWは、出てきていきなり演奏を始める。これは何年経っても変わらない。バンドのポリシーのようなものかもしれない。どちらかというとテンポが早い曲が多く、気が付くと体が勝手に動いていた。聴いたことのない曲調だったので何というジャンルなのかは分からなかったが、きっとロックの一種だ。街中で聞く音楽とは少し違うしテレビで見ることもない。だから知っている人も少ない。売れたいと思わないのか、バンドが路線を変える様子は一向に無かった。
 この日も智恵理は一人でライブハウスを訪れていた。周りには「CDを買ってまで音楽を聴かない。」どころか「CDプレイヤーすら持っていない。」という人ばかりで誘う人がいない。ただ、会場では毎回見かける人もいて、ライブハウスが自分のホームのような気がしていた。
 スタッフの少ないNMWは終演後、物販もメンバー自身が行う。智恵理は「硬水」でジョーのファンだった。Tシャツにサインをお願いすると「もちろん。」と快く応じてくれた。「ジョーさんのドラムってクセになるというか、NMWにはジョーさんのドラムが絶対に必要なんだと思います!」緊張のあまり智恵理は、何を言っているのか自分でもよく分かっていなかった。「ありがとう。でも、逆に俺の方もNMWが必要なんだよ。」ドラムのジョーは本名を花木壌という。「いかにも水を欲しそうな名前だろ?」と隣のシマにペンとTシャツを渡しながらジョーは言った。「俺がカフェで声をかけたの。」とシマはTシャツにサインをし、さらに隣のユウに回した。智恵理は、バンドのエピソードをひとつ知って、ニマニマしていた。

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