A4小説「AIは知らない」

 「手すりの飾りを直しておけ。」カンヂはそう言い残して酒場へと向かった。ジージェイは球体の飾りを手すりの元の位置に戻し、自分も元の位置に戻った。
 賭け事に負け機嫌が悪くなると、カンヂはその飾りを恨めしそうに投げつける。鉄製の飾りは砕けることなくコロコロと転がる。「邪魔だから端の方へ避けておけ、ここだ。」カンヂはすぐに直せとは言わない。「✕」と印を付けた場所に置かせたその球体の飾りを足で蹴り、ジージェイの腹部に命中させた後に言う。「その手すりの飾りを直しておけ。」
 地面を掘り、その穴を埋め、また穴を掘らせ埋めさせる。意味のない作業を繰り返し行うことで、人は精神を病み気が狂うという。手すりの飾りを直しては壊されまた直すという無意味なことを幾度となく繰り返しさせられてきたジージェイの精神はしかし、壊れることはなかった。ジージェイはロボットだったからだ。
 数年前、コンピューターと賭け事で勝負をするといったイベントで、たまたま優勝したのがカンヂだった。賞品は、イベントを主催する企業が制作したAI搭載ロボットか、現金1,000ドルかを選べた。当時、最新技術を駆使したロボット・ジージェイの想定価格は5,000ドルは下らないと言われ、迷った末にカンヂはジージェイを選んだのだった。
 ジージェイの足まわりはキャタピラー駆動であったが、それより上部はヒト型をしており、顔に当たる部分がタッチパネルで、スリープ状態のときには笑顔が表示されていた。カンヂの家に搬入されてからしばらくの間は近所の住人が見学に来るなどチヤホヤされ悪い気はしなかった。しかし最新鋭のロボットとはいえ目が覚めると朝食ができているわけでもなく、掃除や洗濯をするわけでもない。天気予報やニュースを読み上げることと、運ぶ・置く程度のことしかできなかったジージェイを、飽き性のカンヂは次第に疎ましく思うようになっていった。そして、賭け事に負け機嫌が悪くなったときには階段の手すりの装飾を破壊し、足で蹴りジージェイにぶつけるようになった。酒場では「現金にしておけば良かった。今さら売ることもできない。」とくだを巻いた。
 ジージェイは壊された飾りはすぐに直さず、いったん「✕」印の上に置くことを覚えた。さらにはその位置とカンヂとの距離、足の長さ、蹴り上げの軌道や強さ、球体の芯に当たる確率などのデータを蓄積していった。壁や階段の位置といった空間の把握もできていた。
 「今夜の天気は概ね晴れ。」と読み上げるジージェイの言葉を信じ、意気揚々と酒を飲みに出掛けていたカンヂは、酒も手伝ってか怒り心頭で雨に濡れ帰ってきた。「お前はついに天気予報もろくに読めなくなったのか!」ロボットを睨み付けながら暴言を吐くカンヂは、球体の飾りが床にあるのを見つけた。「直すこともしてねぇ!このポンコツが!」と足を振るカンヂは、置かれた飾りがいつもの「✕」印よりズレた位置にあったことには気が付かなかった。ズレた位置に置かれた飾り、足の長さ、頭に上った血、蹴る速度、雨に濡れた靴、データ、飲酒、空振りの確率、倒れる方向、頭の位置・向き、階段の角、後頭部、全てが完璧だった。
 翌日、警察は酔った家主が雨に濡れた靴で滑って転び、後頭部を階段に打ち付け死亡したと判断した。

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