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家庭環境と孤独。21歳には早い。


こんばんは、Koha.kuと申します。
20時間も寝てしまいました。
約半年周期で来る病み期のど真ん中にいます。

前回と同じように彼との秘境のお話の続きを書こうと思ったのですが、そんなテンションではないのでわたしのどこにもぶつけることのできない孤独の話をしようと思います。

私の両親、妹、祖父、叔父

わたしの家庭は一般的に想像する"家族"では、なかった。
いや、正確に言うとわたしが家族認識されていなかっただけかもしれない。
母親は幼い妹達に愛情を注ぎ、父親とは中学生の頃からまともに会話した記憶が無い。外食やお出かけの記憶もわたしの中にはない。
父親は亭主関白。母親は父の機嫌を伺い怯えていた。
父親はほぼ毎日機嫌を損ね、鳴り響く怒声、食器の割れる音、壁やドアを破壊する音。日常茶飯事だった。
特に母親はその原因を長女のわたしにあると言ってきた。
何をしても否定された。
テストで高得点を取っても、交友関係も、妹の面倒を見ても、バイトの給料でプレゼントを買っても、何をしても否定し嫌味をぶつけられた。
朝ご飯にメロンパンを食べていたら、父親に何も言わず蹴られたのは今でも理解不能な出来事だ。次第に親と会話することを辞めた。

そんなわたしの唯一の心の拠り所は同居していた祖父。
休日には軽トラの助手席に乗せてもらい近所のファミレスでモーニングを食べ、野菜を栽培していた畑に連れて行ってもらった。夫婦喧嘩している時は祖父の部屋に避難し幾度も守ってもらった。

しかし、わたしが10歳の頃に病気をし、一命は取り留めたものの後遺症のような形で認知症を発症。間もなくしてわたしのことが誰かも分からなくなってしまった。そこからますます、家庭内で孤立することになってしまう。

さらに不幸は連鎖するもので、中学3年生の夏、叔父の自殺を目撃してしまった。
父親に半分こじつけのような形でお前のせいで自殺した。と責め立てられた。
今でもトラウマで夢に出てくる残酷な出来事だ。

新たな居場所

そんなわたしは居場所を求めるようにインターネットの世界に飛び込んだ。

インターネットの世界は気楽だった。
自分を明かさずとも仲良くなれた。

もともと現実世界で対等な人間と心からの信頼関係を築くことはとても苦手だったがますます現実での人付き合いをおろそかにしてしまった。
その結果、学生生活が残り僅かになろうとしている今も心から信頼できる人も困った時に相談できる友人も作ることができなかった。

実家を離れれば幸せになれると思っていた、。

高校卒業と同時に家を追い出されて一人暮らしを始めた。
高校時代からの貯金により、普段生活する分にはお金に困ることは無かった。しかし、実家暮らしの友達と同じように欲しいものを買ったり、趣味に没頭したりお出かけすることは金銭的にも時間的にも厳しかった。

わたしは趣味は?無趣味だよねー?なんて事を言われるようになった。無趣味なんじゃなくて生活に必死で趣味に費やすお金も時間も無いんだよ。なんてことはプライドが邪魔して口が裂けても言えなかった。
別にその時わたし自身が恵まれてないだとか、不幸だとは思っていなかった。なんなら実家で暮らしてた頃よりも充実していた。

でもどこかで、実家でぬくぬく生きてる周りがうらやましかった。わたしに置かれた環境なんて分かるはずない。なんて見下してしまっていた。
さらに、ひとり暮らしを始めてから意思にそぐわずプライドが高くなった。
全て自己責任で生きていかなければ。誰も助けてはくれないと理解すればするほど他人を信じることも、弱みをさらけ出すことも怖くなり人とあえて一定の距離を保つようになった。

孤独と生きるとは

学歴もお金も時間も趣味も特技も人望も何もない。
ただ、人生の期限までの時間を消耗すべく無気力に生きる。
ふいに自分の存在価値が分からなくなる。
この文章を打ってる現在もだ。

しかし、死ぬ勇気などは無いので今日も消えたいと思いながら過ごす。

SNSでは"孤独とうまく生きていくには"なんて記事が山ほど目に入る。
知ってる。知ってんだよ。
でも、わたしにはできない。
できないことをさらに気負いしてしまう。
負のループから抜け出すことができない。
孤独と生きるとはなんなんだろう。
18歳から独りで頼る場所も人も無く生きてることを褒めてほしい。
なんでわたしが。なんて今日も考えてしまう。

まだ、残したいことはあるのに起きていることがしんどいのでここまでです。

それでは、。
Koha.ku


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