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ソシャゲのちから

自分の世代からすると、スーパーファミコンのマリオ
が台頭し始めた頃というのが、十代だったと思う。
自分のうちには、なかった。
だから、友人の家でマリオをみんなで代わり番こに
プレイしたとき、わたしは、
「マリオって、三回まで死ねるんだ」と、驚いた。
友人たちは、わたしの番になると、すぐ終わるので
つまらながった。
まず、敵キャラを避けない。
崖があったら、まっ逆さま。
「テッテッテッテ、ヒューン」ってな感じでマリオは
お陀仏三回クリアしてしまった。

そんなわたしが今スマホのアプリゲームを3つ
プレイしている。
いわゆるソシャゲである。
きっかけはこうだ。
子どもとの会話の糸口になるものが欲しいと思った。
ジェネレーションギャップというものは凄まじい。
二人の子どもの会話が全く理解出来ない。
ボカロって、何だ。

超がつくほどアナログ人間のわたしはPlayStation2で
バイオハザードをプレイしたとき、ゾンビが襲って来ても、逃げないでバリバリ食べられてしまうので、
傍で見ている家族はある意味違う理由で怖かったらしい。アイテムを取りに行った秘密のドアの小部屋の中で、いつまでもぐるぐると回り続け、「グワォー」ってな感じで、やはりゾンビさんたちにかぶりつかれて
しまう。

そんなわたしに光明が差したのが、ゲームボーイの
ポケモンである。
当時、小学生だった子どもたちはイワヤマトンネルを
クリア出来なかった。
「おかあさん、どうしよう。イワヤマトンネルから出られない・・・」
「大丈夫だよ、サトシ君が頑張って明日になったら抜けられるよ」
安心して、眠りについた子どもの横でピコピコ、頑張るサトシ君を操作する。
次の日、「ホンマや、サトシ君頑張ってくれはった」
ウン、がんばった。徹夜したもん。

ポケモンの素晴らしいところは、町の人に話しかけると、みんながとても親切で言葉遣いが丁寧である、ということ。
そして、常に前向きで礼儀正しく、例え敵対していても、あいさつは忘れない。
そして、夢、希望、友情といったわたしたちがいつの間にか手放してしまったものが熱く語られること。

二人目の子どもの世代はNintendo DSの全盛期であった。子どもが自分で七夕様の短冊に、
「ニンテンドーDSがほしいです。ちゅうせんで当たるのでもいいです」とお願いしたところ、本当に懸賞で当選した、七夕様、さまさまな代物である。

誕生日プレゼントに何が欲しいか訊ねたところ、「悪魔の箱。」と答えられて、当惑したことを覚えている。ゲームソフトの名称で、しかもパズルやクイズの
レイトン教授シリーズと呼ばれるものの最新作だったのだ。

わたしが子どもとの接点、共通の話題にと始めたのが
Fate/Grand Orderである。
最初は全くわからないけれど、子どもが先生になってくれる。わたしはよい先生の元、すくすくと腕を上げた。

それに味をしめたわたしは、ニーアリィンかネーションの事前予約をして、そのグラフィックの美しさに圧倒された。そして、謎の多いこのゲームの世界観の手がかりになるのではないか、とNieRシリーズの生みの親ヨコオタロウ氏の手がけるシノアリスも始めた。

このゲームどれも無課金で始められるが、
「課金も出来る」。
そしてわたしは完全に「無課金」でプレイしている。
3つも同時にプレイしていたら大変、ということは決してない。
むしろ、ゲームに使えるHPが足りなくなったら、他のゲームにシフトチェンジすればよい。
時間はリアルを優先にして、空いた時間なあんにもすることがないとき、ログインすればいい。
人とつきあうのと、同じではないだろうか。

自分のペースで、自分の気の合う人、または同じ時間帯にプレイしている人とフレンド登録をして、
相手に何も求めない。
そして、自分も頑張らない。
楽しいときは、ノリノリで、気が進まないときは「ごめんなさい。」で、いいのではないだろうか。

そして、人生そのものがゲームみたいなものだと思いませんか。

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