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仏勉人好のフランス留学準備。「先生に憧れて先生になった」が生まれる編。

ボンジュール。
ジェーム ル カフェ。

僕はフランス大学院に進学を希望しているふつべんひとよしだ。

語学試験をパスし、出願書類も提出した、残すは面接のみ。
ちょっと心に余裕ができたので、今回は僕がフランス語とフランス留学に固執している理由を、つれづれなるままに書き連ねる。

僕は大学でフランス語を勉強し始めた。第二外国語の選択肢のひとつだったんだ。

なんでフランス語だったんだろうかと考える。まさか卒業後もフランス語に関わるなんて思いもしなかったから、計画的に選んだのではない。

料理の関係にフランス語が多く使われていたからかな。
僕はイタリアンレストランでバイトをしてたことがあって、そのとき店長が言ったんだ。「不思議だよね、イタリア料理なのに、フランス語の単語が多いんだ」って。なぜかこれをすごく覚えてて、それが理由なのかも。

そんなこんなで、フランス語の授業が始まった。

日本人とフランス人の教員2人が1週間に1コマずつ授業をもっていた。
日本人の教員は文法を、フランス人の教員は会話を担当した。

ビジュアルのいい2人だった。授業にいるだけで異国の雰囲気が漂ってたのはそのせいだろうか。

見目の良さの一方で、授業はスパルタだった。
特にフランス人教員の授業は、活気ある反面、圧を感じさせた。
1回の授業でどんどん当てられる。答えられなかったらなんともいえない不穏な空気になる。その上、グループワークのオンパレードで、常に口を動かしているという感じ。

ただ、今振り返れば、外国語の、しかもネイティブが担当する授業なのだから、その特徴を余すところなく活用しようと先生が工夫を凝らした結果だったんだと思う。

その後、いろんな授業でいろんな先生たちを見たけど、
なぜか僕はあのフランス人教員が忘れられなかった。

彼の授業は無駄がなかった。
レジュメは極めてシンプルだった。イラストや、過度な説明文が一切ない。
肝になる要素が分類されて、美しく並べられていた。

彼の授業は双方向が意識されているのが分かった。
ささいなことであっても、必ず発言の機会を設けた。
フランス文学の講義の授業であっても、レジュメの一節を読ませるなどして、必ず学生が参加することで授業が成り立つように考えてあった。

彼の授業は唯一無二だった。
学生ひとりひとりの分析と、先生の頭脳がミックスして、授業の最後にかっこいい結論を見せてくれた。さながらマジックだった。
そして、それはその日、その時間、そのメンバーがいたからこそ出された結論だと思わせる力があった。

彼は研究者であると同時に、熱心な教員だった。
フランス語で書いた文章の添削や、文化の授業、会話の授業、など、シラバスにのっていない授業やサービスを増やしていく。
感情を顕著に表すことはなく、口数も少ない人ではあったけど、彼の行動には熱い気持ちと積極性を感じさせざる終えなかった。

そうか、僕はきっとこの先生に惹かれて、ここまでフランス語に関わってきたんだろう。

人との出会いは恐ろしいものだね。

先生が見ているものを見たいと思ったその時から、僕はもうそれを目指して歩き始めてしまったのだろう。

先生のような人を生んだフランスとはどんな国だろうかと。
先生が操るフランス語にはどんな特徴があるのだろうかと。
先生が好きだという文学作品には何が隠されているのだろうかと。

「学生時代のあの先生に憧れて教員になった」という人をみて、そんな純粋に人を好きになれるっていいなって、思ってた。僕はそんな経験ないって。
きっと君が先生と深く関われるような生徒だったんだろうって、なんとも意地悪な考え方をしたときさえあった。

ああ、ごめんなさい、かの君。

気づいたら僕もそうなってた。

本当に心揺さぶられる時って、自覚症状がないこともあるんだね。
気づいた時には、歩み出してしまっていましたってことが、あるんだね。



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