異形者たちの天下最終話-7
最終話-7 逢魔ヶ刻に傀儡は奏で、木偶が舞う
服部半蔵は路に迷っていた。
家康を葬り、荼吉尼天の化身たるお六を抹殺し、憂うべき後顧は果たして終えた。会いたい者たちにも、それなりの別れは済んだ。
これから起こる歴史は新しい若者が解決していけばよい。
あとは静かに朽ち果てていくのみである。
迷っている路とは、死に場所をどこに求めるか、ということだった。死にそこなった己は、どこで死んでも野垂れ死にである。それが無縁というものだし、徳川の禄を辞した時点で、それは充分覚悟のうえであった。
薩摩に赴いて己のような生きた死人たちと大海の彼方へ旅立つもよし。伊賀山中で山賊の真似をするもよし。半蔵門で人柱になるのもよかった。
躰が動くうちはよいが、いつかは人並みの古老となりて、その身は朽ちて屍を野に曝すだろう。その屍をどこに晒せば、満足な死に顔を迎えられるだろうか。
(儂はどうやら、まだまだ生に未練がある)
これが答えだ。
まだまだ死ぬ覚悟が出来ていない。
忍びの者として、これは失格だ。現実主義者であり人外の化性というのが、忍びなのである。己の躰を一己の物として扱える冷静さと、動揺することなき精神力が、忍びには要求される。
服部半蔵正成はそれが出来たから、徳川忍軍の総帥として戦国の世を渡り歩き
「鬼半蔵」
の名を轟かせてきた。しかし、いまはそれが欠落していた。老いとは、そういうことなのか。
未練がある以上、半蔵の赴く路はひとつしかない。
江戸城麹町御門。
またの名を、半蔵門。
江戸城にもしものことが起きれば、将軍を甲府まで警護する起点となる要の門。半蔵はここで生き残った特殊任務の男たちを、精神的人柱となって導いていかねばならない。
(ここが忍びの東照宮である)
半蔵はふと、前途が開けたような気がした。
ギャッギャッ。
闇夜に響くのは野猿の啼き声だ。間もなく夜が明けるのだろうか、木々の狭間から青味を帯びた星空が覗く。蒸すような空気が、清々しく肌を濡らす。夏の夜露を拭いながら、半蔵は立ち上がった。心なしか気が晴れて、何やら足取りも軽い。
徳川も何も関係ない。己の存在理由がそこにしかないのなら、そこで厭でも生きてやればよい。そして、いつの日にか、野垂れ死にするのだ。天下を枕に野垂れ死にするのも、気分がいいだろう。
それに……江戸には懐かしい男がいる。
庄司甚右衛門、この男との再会がこんなに早く訪れようとは
(まことに、思わなんだ)
東の空は燃え始めていた。
その東の国へと、半蔵は歩き始めた。
その頃、薩摩の片隅から、碇を上げた南蛮船があった。
旗印は……ない。必要ないというのが真相だ。船は南へ向かって帆を広げ、波を切り裂くように疾走した。
みるみると、倭の岸壁が遠ざかる。
「半蔵、こなかったな」
甲板で島左近が囁いた。
猿飛佐助は新しい主人・真田大助信昌の傍らで、噴煙を上げる山を見上げている。
豊臣秀頼は腰を下ろして、海風を頬に感じて眼を細めていた。薩摩潜伏中に、深く情をかわした女の腹に、その胤が根付くことを、彼はまだまだ知る由もない。その傍らで胸の十字架を握りしめて海原の彼方に想いを馳せるのは明石全登だ。
「神ゼウスの名により秀頼公の前途を照らしたまえ」
そう呟きながら、そっと切る十字の動きを静かに見つめるのは、出雲の阿国と飛び加藤だ。
「こんだけの馬鹿が集まっているんだ。どうせ宛てがねえんなら、半蔵も来りゃあよかったのによ。そうなりゃあ、からかう奴が増えるでよう、さぞ楽しかっただろうになあ」
阿国は薄手の衣の上にもう一着羽織った。海の上では陽が強いことを、信長の記憶を持つ阿国は知っている。それを誰にも教えないところが、まことに意地が悪い。
「そうではないよ」
ふと、猿飛佐助が呟いた。
「半蔵さんは居場所が見つかったんだ。だから残るべき処に残ったんだよ」
「そうかぁ?」
「そうだとも、でなけりゃ絶対来たよ。寄る辺ない者たちがこうして擦り寄っているのだもの。寄る辺のある者は絶対来ないさ」
案外佐助の云ってることは正しいかも知れない。
誰もがそのような気になってきた。それはそれで悪いことではない。むしろ羨ましい話である。
南蛮船は、眩い輝きを放つ光の海へと消えていった。
二度と戻らぬ船、還らぬ旅路へ……。
今日も天下を巡り誰かが踊る。
傀儡が囃し奏でて天下の音色を紡ぎ上げて、木偶がそれと知らずに意思を委ねて踊り舞う。調べを奏でるのは天海か、お福か、半蔵か。いやさ誰もが木偶人形か。
秀頼の胤がのちに島原で
「天草四郎」
と呼ばれることは、後の世のこと。
無間の刻に流れる天下の調べ。
血を流したような夕闇の世情。古来より昼と夜の狭間を
「逢魔ヶ刻」
と人はいう。生と死の均衡があやふやになる魔性の刻。魔性の闇のなかで、今日も傀儡は調べを奏でる。描き上げた天下という名の狂言芝居。
そのなかを、縦横無尽に光彩を放つ木偶人形たち。
誰もが自覚なき木偶人形。
今日も調べは奏でられる。
天下……天下……!
異形者たちが奏でる異形の天下。
〈了〉
【参考史料】
◇「新訂増補国史大系 公卿補任 第三巻」 吉川弘文社・刊
◇ 「日本史料選書⑧ 徳川加除封録」
竹内理三+豊田 武+児玉幸多+小西四郎・監修
藤野 保・校訂
近藤出版社・刊
◇ 「大久保彦左衛門 三河物語」 百瀬明治・編訳
徳間書店・刊
【参考文献】
◇「京都発見 二・路地遊行」 梅原 猛・著
新潮社・刊
◇「石田三成の生涯」 白川 亨・著
新人物往来社・刊
◇「甲州武田家臣団」 土橋治重・著
新人物往来社・刊
◇ 「地方別 日本の名族 三・関東編Ⅰ」
新川武紀+小和田哲男+松本一夫
+佐久間好雄+小川 信+柴辻俊六
+雨宮義人+但野正弘+萩原 進
+山本純美+丹羽基二 ・著
新人物往来社・刊
◇ 「地方別 日本の名族 六・東海編」
杉村 豊+小和田哲男+新行紀一
+奥富敬之+宇田敬幸+飯田良一
+林 董一+森井勝也+小野真一
+後藤裕文+丹羽基二 ・著
新人物往来社・刊
◇「軍師真田幸村」 近藤精一郎・著
新人物往来社・刊
◇ 「読める年表 日本史」
川崎庸之+原田伴彦
+奈良本辰也+小西四郎・総監修
飯倉晴武+今江広道
+金沢邦子+川崎 晃
+川崎庸之+桑田忠親
+小西四郎+左方郁子
+高野 澄+奈良本辰也
+橋本義彦+原田伴彦
+平林盛得+前之園亮一
+松野 光+黛 弘道
+宮崎康充+宮本義己
+百瀬明治+柳 雄太郎
+吉岡真之+米田雄介 ・著
自由国民社・刊
◇「講談社現代新書1551 キリスト教と日本人」
井上章一・著
講談社・刊
◇ 「人物日本の女性史7 信仰と愛と死と」
円地文子+安田富貴子
+永井路子+柴 桂子
+小栗純子+阿部光子 ・著
集英社・刊
◇ 「人物日本の女性史8 徳川家の夫人たち」
杉本苑子+西村圭子
+安西篤子+新免安喜子
+水江漣子+来水明子
+田中澄江 ・著
集英社・刊
◇ 「人物日本の女性史9 芸の道ひとすじに」
小笠原恭子+津村節子
+田中澄江+安田富貴子
+大庭みな子+生方たつゑ
+円地文子+土岐迪子 ・著
集英社・刊
◇「歴史群像シリーズ7
真田戦記 幸隆・昌幸・幸村の血戦と大坂の陣」
学習研究社・刊
◇「歴史群像シリーズ11
徳川家康 四海統一への大武略」 学習研究社・刊
◇「歴史群像シリーズ22
徳川四天王 精強家康軍団奮闘譜」 学習研究社・刊
◇「歴史群像シリーズ40
大坂の陣 錦城攻防 史上最大の軍略」学習研究社・刊
◇「歴史群像デラックス版② 戦国の城〈中〉西国編」
西ヶ谷恭弘・著
伊藤展安・イラストレーション
学習研究社・刊
◇「歴史群像デラックス版② 戦国の城〈下〉中部・東北編」
西ヶ谷恭弘・著
板垣真誠・イラストレーション
学習研究社・刊
◇「Books Esoterica 1
密教の本 驚くべき秘儀・修法の世界」
学習研究社・刊
◇ 「朝日百科・日本の歴史別冊 歴史を読みなおす⑭
環日本海と環東シナ海 日本列島の十六世紀」
村井章介(東京大学教授)・責任編集
村井章介+石井米雄
+菊池俊彦+高良倉吉
+佐藤 信+宇田川武久
+岩井茂樹+遠藤広巳 ・著
朝日新聞社・刊
◇「通辞ロドリゲス」 マイケル・クーパー・著
松本たま・訳
原書房・刊
◇「別冊宝島 シリーズ歴史の発見 徳川将軍家の謎」
宝島社・刊
◇「別冊宝島 よみがえる戦国武将伝説」 宝島社・刊
◇「別冊宝島EX 改訂版・京都魔界めぐり」 宝島社・刊
◇「歴史マガジン文庫
闇と掟 知られざる大江戸ネットワーク」
童門冬二+古川愛哲+名和弓雄
+中村彰彦+秋山忠彌+淡野史郎
+新宮正春+宮嶋敏子+火坂雅志
+邦光史郎+南原幹雄+加藤 蕙
+塩見鮮一郎 ・著
KKベストセラーズ・刊
◇「キリスト教の二〇〇〇年 下」 ポール・ジョンソン・著
別宮貞徳・訳
共同通信社・刊
◇「魔界京都 奇々怪々の戦慄の素顔に誰もが凍りつく」
火坂雅志・著
青春出版社・刊
◇「歴史考証なるほど読本 偽造日本史の正体」
八剣浩太郎・著
廣済堂出版・刊
◇ 「主婦と生活・生活シリーズ91 戦国時代ものしり辞典」
奈良本辰也・監修
主婦と生活社・刊
◇ 「謎と不思議 東照宮再発見(改訂版)」
高藤晴俊・著
日光東照宮社務所・発行
【参考資料】
◇ 「小学館ウィークリーブック23
週刊古寺をゆく 知恩院(2001年7月24日発行)」
小学館・刊
◇ 「歴史読本
特集 家康・秀忠・家光と徳川幕閣(昭和五十三年十二月号)」
新人物往来社・刊
◇ 「歴史読本
シリーズ歴読専科⑤ 天下人の血脈 源氏将軍の謎と系譜
(一九九六年五月号)」
新人物往来社・刊
◇ 「別冊歴史読本 徳川三〇〇年を動かした男たち」
(一九九六年四月十二日臨時増刊号)
新人物往来社・刊
◇ 「別冊歴史読本 1年1頁 徳川300年ニュース」
(一九九七年一月五日臨時増刊号)
新人物往来社・刊
◇ 「歴史と旅臨時増刊 歴代天皇総覧」
(昭和六〇年七月五日臨時増刊号)
秋田書店・刊
◇ 「歴史と旅臨時増刊 戦国大名家臣団総覧」
(平成四年一月五日臨時増刊号)
秋田書店・刊
◇ 「歴史と旅臨時増刊 歴代皇后総覧」
(平成五年五月五日臨時増刊号)
秋田書店・刊
◇ 「大坂の陣人物伝
歴史群像シリーズ40・大坂の陣 特別付録」
長岡慶之助・著
学習研究社・刊
◇ 「浅草教会」
http:/tokyo.catholic.jp/text/shokyoku/asakusa.htm
◇ 「奇本太閤記」 夢酔藤山・著