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南信州新聞連載中「満洲」

これまで2話をお送りし、現在は3話目をお届け。
テーマは、大陸の花嫁。

この呼称は、当時からのもの。
日本から満洲へ入植した独身男性との婚姻をきっかけに、花嫁として渡満する日本人女性を意味する呼称。主にメディアが用いた。開拓の花嫁・拓士の妻・北満の花嫁など、どれも意味は同じ。まあ、メディアといっても当時の拡散ツールは新聞やラジオ。
「欲しがりません勝つまでは」
などという暴論的な宣伝は、国や軍ではなく当時の朝日新聞が拡散したことは、意外と隠されたこと。今も昔もメディアは第一インパクトを重視し発言の責任には無関心というところだろうか。

満洲国建国にあたり旅立った第1次移民団、団員約500人のうち妻帯者は30人に満たなかったという。これでは食い詰めの吹き溜まり。生活のためにはキチンと家庭がなければいけないのだ。
満洲国軍吉林省警備軍軍事教官・東宮鉄男は花嫁招致に心を砕き、1933年、花嫁募集のポスターを作成して内地の役所に送付し協力を要請した。また、自ら『新日本の少女よ大陸へ嫁げ』を作詞し、花嫁を大陸へ送り出させる機運を高めるよう尽力した。
1934年の4月、第一陣の花嫁が渡満した。このときの斡旋は、縁故や開拓団の出身地で賄われた写真見合いによるもので、現地に行くまで相手の素性も性格さえ知らないというもの。まあ、戦前はこういう見合いは珍しくないものだった。

本編も、伊那の村に花嫁の斡旋が来るという、ドタバタを描いている。
無理に結婚しなくてもいいじゃんという、令和の温い感覚では切羽詰まった彼ら男と女の都合や事情に心情は、分かりにくいかも知れない。
喜劇でもなく、悲劇でもない。
だけど社会のルールに縛られた若い人たちにとって、この選択は人生の分岐点になったことだろう。

下伊那に行かれたら、ぜひ、南信州新聞を御覧ください