戦争のあとしまつをしない指導者
古今東西の泥沼になる戦争は、大概、嬉々と始めた為政者がその半ばで斃れることにより、残された者たちの事後処理で泥沼と化して永いしこりとなるケースが多い。というよりも、そればかりだと思う。
世界の事例を挙げると、面倒なことも出て来るから、
ごくポピュラーな日本の事例を覗いて見る。
大きなもののひとつが、「応仁の乱」です。
当初の両軍リーダーは山名宗全と細川勝元。両者は途中で没しています。合戦の首謀者が和睦や手打ちをしないため、大乱の大義や目的が明瞭さを欠いたことで泥沼へ。ある意味、未解決の自然消滅のような応仁の乱。
豊臣秀吉の「大陸進出」もそのひとつ。
朝鮮出兵などと大きく持ち上げられていますが、あくまで上陸地であり目的ではない。為政者の気分で始めた海外戦争は、その死で、解決の道筋に苦慮させられる。石田三成などは、その犠牲者と断言できる。きちんと収束しない秀吉こそ諸悪の根源だが、実際、正常な判断の出来る状態だったのか疑わしい部分もある。今日まで尾を引く厄介のひとつといえる。
そして、大東亜戦争。いちばんたちが悪い。統制が不明瞭で、船頭が犇めいて四方八方へ舵を漕いでいる。指導者は亡くなった者を含めて更迭された者や取って代わった者など、誰がTOPかわからない。勿論、当時の天皇陛下に指揮権があったとも考え難い。
一応、戦争遂行責任者として、東京裁判という公開処刑を享受した指導者はいるのだが、うまくすり抜けた輩の末裔やシンパの内に巣食うその亡霊は、きっとまだ、政治の世界にいるのだろう。
日本で一番ちゃぶ台返しのように世の中引っ掻き回して、子供や孫にぶん投げてさっさと先に息を引き取った破壊の主は、間違いなく後醍醐天皇だろう!
鎌倉幕府を滅ぼす道義があったから、諸国の武家も賛同した。
これは、いい。
そのあとに、どういう世の中を作りたいのか。当時の世の中と後醍醐天皇の描いているものが天地ほどに違った。それゆえに一番働いた武士が、一番ないがしろにされた。世の中のニーズよりも自分の妄想具現を優先した結果の南北朝動乱といってよい。
足利尊氏が逆徒の代表とされるが、背中を押してついてくる連中が多いからこそ、挙兵せずにはいられなかったと考えるのが妥当。一度、武士が作った幕府という社会制度そのものに、武家は不服を唱えた訳ではない。ましてや律令の頃に戻って、貴族の飼い犬に戻るつもりもない。この天下騒乱は必然だった。ゆえに後醍醐天皇と足利尊氏で手打ちをしなければ収束しない。
これを放棄し、なおも戦うようけしかけて、後醍醐天皇は薨去する。
終わらせ方の分からない戦争を、始めた人が放棄したための荒廃。室町時代は社会制度の確立と戦乱収束まで、相当な無駄と血を流した末に完成した。それも、長続きしない。
戦国時代は、南北朝や応仁の乱の残り火が燃え広がった社会現象ともいえるだろう。
後醍醐天皇が自ら終いにしたならば、室町以降は違った歴史になったことは想像に易い。
たった一人の帝王の妄執が、国を大きく不幸にした一例だ。
表向き、現在の日本国内で、戦争と後始末しない実行者の図式があてはまる事例はないものと信じたい。オウムの一件など埋火もあるが、テロルは個々の感情を支配できない輩が起こす衝動に過ぎず、一国を焼き尽くすほどでないことは幸いと思う。
中東の問題は、何世紀にも及ぶ宗教がからみつく厄介で、日本人のように多神教の思考では理解に苦しむものだ。これは停戦若しくは休戦だけが、暫定解決にしかならない。
問題は、ロシア。
プーチンの始めた戦争と断言できるのだから、プーチンが幕を下ろさなければ絶対に終わらないだろう。これでもプーチンは穏健派らしいので、武闘派になったら……世界を巻き込むのではないでしょうか。
「戦争は始めるより終わらせるほうが難しい」
古来よりの言葉。
だから、戦争の反対である「外交」が大事なのである。戦争しない道筋を話し合い模索することが重要なのだ。なぜならば、勝っても負けても解決しないのが、戦争なのだから。
誤解されますが、戦争の対義語は「平和」じゃありません。
この誤解は、トルストイの「戦争と平和」から来るのだろうけど、21世紀の戦争の渦中を占めるのが帝政でないにしろ同じロシアというのも、皮肉なものですね。