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満洲 内面葛藤ここだけのこと

もう発表しちゃったんだから、今更にはなるんですけど……。
どんな小説書きでも、作品を描くにあたり
「本当に、書いてもいいのかな」
という迷いに思いが混濁することって、ひとつやふたつじゃない(と思っている……まさか、ワシだけ?)

写真はガラケー時代のもので、実家でみつけたもの。出征関係家族に与えられたのだとしたら、私的なことをこの場で切り売りするのは憚られることではあるけど……祖父は満洲を知っていたのだろう。あの時代、誰にも配布されていたのなら、違う可能性があるけど……。
ガラケー時代にみつけたということは、今から6年以上前。これを自ら執筆する未来を知る由もなく、大事なものだからと、どっかにしまうようジジ・ババにお願いした。
そして現在。
「あれ、どこにしまったんだろうか」
デター!一期一会。これ、生々しくリアルな資料だったのに、とうとう発見できず現在に至る。作品には一切反映なし。
で。
今更ながら振り返る。我が家は、戦没者遺族だったんだなと。まあ、日本中ながめてみれば星の数ほどおられるのですが、意識をするのは、せいぜいお盆の頃くらい。我ながら薄情だなと思う。
折り目節目とは無関係でも、ちゃんとお墓を綺麗にしなきゃと思っていますが、寒さには勝てず……このバチアタリめ!

そういうことを考えると、執筆中、どこかで筆が止まり、行間で描かれもしない無数の人々のことを考えたりもした。兵隊を描かない作品のなかの、同じ世界には紛れもない出征兵士がいるんです。
「人々の生活を描こうと」
いうのは、正面から兵隊さんに向き合える覚悟と技量がないせいなのだ。未熟ゆえの詭弁に過ぎぬ。

もうひとつ。

実際に引き揚げてきた人の話ほど、千の言葉で飾っても、その方の一の言葉の前には無力という経験がある。2年ほど前に亡くなったけど、30年近く我が家の自動車を面倒見てくれた方がいた。引揚げのときは幼少だったが、鮮明に覚えている。忘れられない。NHKがドラマで「大地の子」をやったときも、あれほど綺麗には表現できないのが、真実だと仰った。あのドラマも第1回を観たときは、ここまで攻めるかと仰天だったが、それさえ真実に程遠い引揚げだったのだそうな。
その方が生きておられたら……胸を張って、この作品を紹介できただろうか。亡くなったから、書けたのだろうか。それじゃ卑怯だったかなと、時折り思い出しては自分を責めたりしています。

小説書きって、発表できる作品のタイミングが、ズバリ天の配剤ということが難しいんですよね。
作品が出来ても、世に出なければただの散文。
近頃はお蔵で眠っている作品を揺り起こして、NOVLEDAYSアルファポリスで人の目に触れてもらうことが出来る。ありがたいこと。

そうやって、発表してからもくよくよする自分が女々しいことも承知の上で、ポジティブに切り替えながら頑張ろうと思っております。
生みの苦しみと、生まれたことの葛藤。
因果なものです。
世のセンセー方は、ここまで拗らせないのだろうな。