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異形者たちの天下第2話-2

第2話-2 葦の原から見える世界

 その頃の江戸は急速に発展の途にあり、職人たちの活気に満ちていた。
 そして武士たちもまた、組織という枠組みに納められつつあった時代でもあった。当然、その中核には徳川家臣団があり、更に親藩、外様と、幕府体制の骨格形成が試行錯誤の直中にある。少なくとも、戦国乱世のような百姓から立身するという夢は、微塵に消えたと断言できる。
 江戸は開発の陽のなかで活気に溢れていた。
 そう、これは陽の部分である。
 盛りのある空間には当然ながら日蔭の場もある。時代に乗り遅れた夢を見る者たちは、既に門戸の閉ざされた武士への道を、恨めしそうに見上げていたのである。自然、治安はすこぶる悪い。この側に立たされているのは、主の没落により浪人を余儀なくされた者たちも含まれる。石田三成に荷担したため改易された大名家の家臣団がそれだ。従って豊臣贔屓の者は少なくない。彼らの大半は大坂で事が起きれば
「我が先陣仕る」
という下心さえある。このように極めて危険な状態が足下に燻っていることを、凡庸なる将軍・徳川秀忠は気にもしていない。いや、恐らく気付いてはいないのだ。
 豊臣側の勇猛なる諸将は不思議に思っている。
 なぜ街道一の弓取りと歌われた家康が、最も凡庸な男を後継者にしたのだろうか、と。事実、余所へ養子に出した結城秀康や秀忠の同腹弟・松平忠吉などは家康の持つ武人としての気質を受け継いでいる。また松平忠輝にしても家臣たちの人気があったし、聡明な人物である。しかし家康は家臣の人気も薄く凡庸にして思慮分別の浅い秀忠を後継者に選んだ。
 理由は簡単だ。
 家康は征夷大将軍に就任し二年後にこれを秀忠に譲った。天下回り持ちという戦国の慣習を一掃するためである。豊臣秀頼が長ずればその家臣たる家康が将軍職を献上する。そう期待していた大坂方は激怒した。家康は徳川一手で天下を握るつもりと宣言したに等しい。それに引退したとはいえ、家康は幕府を采配した。そのための大御所制度だったし、凡庸な息子の意味がそこにある。秀忠は将軍でありながら、人形だ。家康という傀儡子が手繰る糸で踊らされる木偶人形に過ぎない。
 その意図が読めない者たちは、だからこの事実に困惑している。
 幕府内においてもそうだ。江戸城から下される沙汰に秀忠の入り込む余地はない。家康の親書を老中たちが検討し決定する。秀忠は黙って是を唱えるだけでよい。それゆえに秀忠自身の足下は朧気で危うい。世情に疎く民衆を理解しない将軍には、人気が傾かないのも道理といえよう。
 さて、江戸城下には町造りと平行して大名の屋敷割りが急ピッチで進められていた。ここでいう大名屋敷には二通りがある。諸大名の妻女を人質として預かる処、そして徳川の中核を担う者たちの江戸での拠点。後者は譜代家臣団のみならず幕府組織の拡大に伴い、俄に大名同然の体裁を与えられた旗本たちも含まれる。
 旗本たちは俄大名となり急ぎ家来を求めた。江戸に燻る浪人たちにとってこれは好機だが、現実は違った。好機という点は変わらないが、採用された後がいけなかった。旗本たちは元々戦場で家康の楯代わりになったり世話をする雑用親衛隊である。家来を持つことなど考えもしない。そんな境遇へ突如放り出された彼らに出来ることは
「威張り散らすこと」
しかない。浪人たちの仕官天国である土壌にありながら、一向に浪人が減らないのは、旗本たちの気位が原因である。三河古参の譜代家臣団の信条は、家臣を宝のように大事にするという結束力だった。貧乏な時代を堪え忍んだ譜代衆はそのことを忘れてはいない。しかし天下一となった徳川家から誕生した俄大名たちは、赤貧を知らない。だから突然の立身に驕り高ぶる。
 江戸に燻る親豊臣派浪人たちを仕官させ、恩を売って徳川に忠誠を誓わせようと画策したのは、実は家康の狙いだった。正しくは家康にそう入れ知恵した本多正純の考えだった。しかし秀忠の生きた声でなかったが為に、旗本の統制が乱れた。偏に、将軍の人心掌握術の欠落といえよう。
 浪人たちは仕官することなく江戸の暗部に燻って治安を脅かす存在になった。これは江戸という新興都市の癌細胞のように、じわりじわりと増殖の一途を辿るのである。 

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