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久留里城の重要性

久留里城はいつからという具体性は怪しいのだが、古久留里城とされる縄張りは房総武田氏祖・武田信長という説もあるが、根拠といわれると難しい。「誰?」というよりも
「いつから?」の方が学術的に持って行きやすいのかも知れません。古久留里城は今後の新発見に期待したい。
少なくとも現在地の久留里城は里見義堯からだと考えられている。

土のお城が好きな人には、必ず注目されるのが堀切。久留里城は駐車場からゼーハーしながら歩く片側ノリ面にその片鱗を見ることが出来る。
見上げても詰まらない人もいると思うので……

上からも覗いて見る。本来は板橋なのだろう。敵が来たら外して通せんぼにする。よくある構造のひとつ。


資料館のある部分が二の丸

眼下に三の丸と、向郷が北条との主戦場。

3月から天守本丸まで行くだけは出来るようになった


久留里城が名城であったのは、その立地だけではない。ここは名水の里ですから、城内も水に困ることはない。これは籠城するうえで一番重要なライフラインのひとつ。水さえあれば何とかなるのは、古今東西の常です。

ちなみに模擬天守だから、里見時代にあると誤解せぬこと。


この土饅頭!
江戸時代のことですから、もう里見は遠い過去のこと

江戸時代から明治維新、近世になり久留里城は廃城になったのだから、存在価値は高かったのでしょう。ここが重要であった理由は、安房にも下総にも内房にも外房にも眺望の利く、ちょっとした扇の要になる箇所であり交通の要所だった、ということだろう。
このあたりは、房州日日新聞で連載された里見正史三部作の二作目「夏の波濤」にも描いている。

同じ頃、千葉一族は北条の分身として、当主・千葉七郎直重が小田原城へ入城していた。佐倉城で留守居を務めたのは千葉氏家老・原大炊助邦房等だった。千葉勢は相模国からの与力を集い、この時期、久留里城を攻めていた。久留里城は里見一族の、上総最大の拠点のひとつである。
この久留里救援のため、里見義康は岡本城を発ち、佐貫城にて師走の寒風を感じていた。
「久留里は里見中興の祖・岱叟院(里見義堯)殿ゆかりの地。決して北条に屈するべからざる」
義康はこののち久留里城に入城し、やがて年越しを迎える。里見義康は各地からもたらされる情報を即座に処理していった。
「御館は諜報には得手にござるな」
久留里城代・山本越前守を支える加藤伊賀入道は、かつては淳泰の後見者だった。義頼に屈してのちも上総の要衝を任され、いまは最前線に睨みを利かせていた。高野山西門院への伝奏を担う加藤太郎左衛門弘景は、彼の息子である。
「諜報をよく見極めれば、敵のまことの姿が見えてくる。これからは、耳聡い国が生き残れるだろうよ」
「北条は聡くないと?」
「聡ければ、なんで関白に逆らおうか?敵も知らず己も知らずでは、国を滅ぼしてしまう」
その若さでいう言葉ではないと、加藤伊賀入道は舌を巻いた。
義康はこのとき秀吉の出兵命令を知らない。だからこそ、後顧の憂いがなきよう、上総の地固めを急いでいた。里見義康が対処していたのは、久留里城攻防だけではない。万喜城攻略の布陣、そして江戸湾制海権の備えである。特に万喜城攻略については、長年の懸案であっただけに、力の入れ様は並々ならぬものがあった。
義康自ら久留里城へ乗り込んだ意味は大きい。方面戦を展開する以上、扇の要のように四方へ目配りができる拠点が必要だ。久留里城は房総半島のほぼ中央に位置し、義康にとっても都合がいい。
「岱叟院(里見義堯)殿が終生この地にこだわった理由も、なんとなく分かる。最前線にあらず、ここはまさに軸なのだな」
義康の呟きに応える者はいなかった。いつしか加藤伊賀入道も慌ただしさに座を離れ、義康は薬師曲輪と呼ばれる腰曲輪に、ひとり腰を下ろしていた。
眼下にあるのは、小櫃川や久留里神社の彼方に広がる、陣馬と呼ばれる古戦場だ。かつて里見義堯の時代、ここに北条勢が押し寄せたこともある。そのとき加勢観音の御加護により、これを撃退した伝説は今も語り種だ。
天正一八年(1590)正月。上総国では北条勢とそれに与する勢力が久留里城に向いており、反面、里見勢とそれに与する勢力が万喜城を睨んでいた。このとき、北条に与する千葉氏は、完全に家中の統制が取れていない。それが久留里攻防戦に影響し、厭戦気分を醸し出していた。北条家から養子入りした千葉七郎直重がその実権を掌握できない原因は、血統相続人・千葉重胤の存在が大きい。純粋な千葉の血を恋みる家臣団は、存外多かった。千葉家臣団最大規模の森山衆は、北条からの養子当主を快く思っていない。千葉重胤を立てようという動きも内々ある。そのためだろう、このとき戦場へ送られた者たちだけが、直重が動かせる家臣だった。
           (「夏の波濤」より抜粋)


講師も、扇の要という言葉を用いたから、云い得て妙なのだろう。

断言したい!

昨年のNHKの取り組み、そして次世代育成を見据えて質実剛健をめざす滝川先生を筆頭とした、里見史研究会の躍進。岡田先生の提唱する海(江戸湾)の戦国。
里見義堯の時代が注目されている!
大河ドラマになるなら、この男だ!

もう里見正史を無視できぬ時代が来ているぞ!

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