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異形者たちの天下第4話-7

第4話-7 大坂という名の天国(ぱらいそ)

 敦賀湊の廻船問屋《伊勢屋》はその屋号の示すとおり、伊勢国が出身という主の経営だ。しかしそれが表向きの看板で、現実は市井に紛れる武将抱えの忍び宿であることはいうまでもない。そしてここの実質の主こそ、島左近であった。彼は石田三成に仕官してのち、配下をこのような表看板とともに全国へ散らしたのである。
 この《伊勢屋》の二階は湊を見下ろせる眺望に長けており、島左近はどっかと窓際に腰を下ろした。そして店の小僧に何やら目配せをした。小僧が階下へ消えるのを見届けると、島左近は眼を細めて海原を眺めた。
「ここ敦賀は主君・石田治部の朋友でもあった大谷刑部の旧領、今でもその恩顧に報いる輩が少なくない。湊の連中も口には出さぬが、徳川の支配を快く思うてはおらん」
 涼しげに島左近は呟いた。
 その鼻歌のように自然すぎる徳川批判に服部半蔵は仰天した。この一言は島左近が徳川への叛意を表したことを意味する。明確には石田三成を報じて大坂へ赴く宣言をしたに等しい。
 険しい表情で睨む半蔵に
「まあ、立ち話もなんだから」
と、飛び加藤が座るよう勧めた。
 どうせ逃げられないのだと、半蔵は腹を括って腰を下ろした。
 やがて小僧が酒樽を担いできた。
「儂も死人だが、そなたも死人じゃわ。腹を割って語りたいと思うてな」
 陽気な声で島左近はざんぶと樽酒を湯呑みごと掬い、半蔵に差し出した。呆気に取られる半蔵の面前で、島左近と飛び加藤も湯呑みで酒を掬いあげ軽々と飲み干した。
「どうした。徳川の忍びは酒も呑めないのかね」
 飛び加藤の言葉にカチンと来た半蔵は、湯呑み酒を呷った。暫くしてくると、刺客という立場が馬鹿らしく思えるほど、半蔵はほろ酔い加減になってきた。
「なあ、半蔵殿。あの家康は本物かい」
 飛び加藤の言葉は唐突だった。
「大御所に本物も偽物もない。大御所は大御所だ」
「そうかい、そうかい」
「厭らしい笑い方をする。何が云いたいのだ」
「いやね、怒って貰ったら困るから、余り云いたくないんだが……外法に傾いてこの世を魔界にしようとする奴なんざ、もはやヒトではない。人でなしと思っただけさ」
 半蔵は身体を強張らせた。
 飛び加藤は知っているのだ。家康が荼吉尼天と結縁して天下を取ろうとしていることを。そのために悪魔の契約も交しているという事実も。ならば当然、島左近勝猛も知っていよう。猿飛佐助も知っているなら、その主君・真田幸村も承知しているだろうし、豊臣秀頼の耳に入っていることさえ考えられた。
「半蔵殿は魔界に魂を売った奴の犬として生きているのだろう。しんどくないかえ」
 飛び加藤の言葉に
「徳川家への報恩が、我が務めだ」
と、半蔵は言葉を荒げた。
「そのために石田治部殿を殺すのかい」
「大坂城へ入れるわけには行かぬゆえ」
「ならば大坂に入れなけりゃ、殺す理由はなくなるな」
 半蔵は怪訝そうに飛び加藤を見、島左近を見た。
「そういうことだよ」
 島左近は湯呑み酒を呷りながら、そういって笑った。
「解せぬな。石田治部は豊臣恩顧の者である。亡き豊太閤の遺児を見捨てて平然としていられる筈などない」
「そうさ。殿は大義の将ぞ」
 穏やかな表情の島左近に、嶮しさが滲んだ。
「豊太閤の遺されし天下の孤児ならば、殿も儂も断じて秀頼君を見捨てたりはせぬ。それが大義の士たる務めだ。しかし、あれは違う……違う。違うのだよ」
「何が、違うというか」
 服部半蔵は困惑気味に声を荒げた。
 なぜ、島左近は秀頼を拒絶するのだ……なぜ、石田三成を大坂へやらぬというのだ。
「判りませなんだか」
「はあ」
「秀頼君の胤は豊太閤ではないということに」
 飛び加藤の言葉に半蔵は戦慄した。
 つまり子胤のない秀吉は子を為せる道理がないのだ。現に淀殿以前の数多き御手付きや北政所には、励んでもその兆候が一切なかった。彼女だけ懐妊というのは、非常識極まりない。
「秀頼君のまことの父親は大野修理。淀殿と今も秘かに通じている天下の間男なり」
「それは……風聞に過ぎぬ」
「この飛び加藤は天下に主もなく漂白の身の上ゆえ、多くの秘密を耳にしてしまうのよ。そなた、孝蔵主を知っておろう?孝蔵主は豊太閤存命の頃にそれを目撃したというておった。恐らくは嫉妬に駆られた北政所の内偵をさせられたのじゃな」
「馬鹿な……あり得ぬ」
「佐助も見たと云っておる。真田丸で将兵が戦っている最中に、淀殿と修理が布団部屋で秘かに睦み合っている姿を」
 服部半蔵は気が狂いそうになった。
 つまり淀殿は秀吉亡きあとも天下を欲しいままにするため、間男に子を作らせて豊臣の女主人であろうとしたのだ。そんな欲得のために、これから罪なき将兵が血を流すことになる。こののちも血を流し続けよう。今このときも、大坂の空の下で死ん臨んでいるのだ。
 この欲望の根幹はなんだというのだ。
「淀も結んでいるのだよ。いや、結んでいたといってもよい。真言立川流、外法による天下平定を」
 半蔵は言葉を失った。
 左近は言葉を継ぐ。
「しかし女は浅はかだ。効験に対する謝恩を忘れるほど目先に走る。だから今度の合戦は家康が勝つさ」
 神仏への祈念には供物が伴う。家康は自身の肝を捧げた。荼吉尼天の名を巧みに隠して稲荷信仰を江戸へ普及させたし、豊川の本尊に献料を惜しまずに投じた。実の母さえも犠牲と為した。が、淀殿はそれを怠った。
 契約の反故に対する神仏の怒りは凄まじい。
 だから家康が勝つのは自明の理だ。
「信じろというのか。そんな馬鹿げた話を」
「しかし現実だよ」
「……」
「そのことを、半蔵殿はよく知っている筈だ」
「だから治部を引き留めるために、貴方たちはここへ来たというのか」
「そうでなければ、話が噛み合わぬだろう?」
 飛び加藤の言葉は容赦ない。
 確かにそうだが……半蔵は戸惑った。頭のなかが混乱している。ならば豊臣家とは何なのだ。この戦いは何なのだ。すべてが血を流すことなく収まるべき処へ収まれば、穏便のうちに天下は定まるのではなかったか。
 飛び加藤は半蔵の肩を叩きながら
「とにかく石田殿を殺す理由はないのだよ。我らが諫めるから手を退いておくれ。のう?」
 しかし半蔵は答えなかった。
 答える言葉が見つからなかった。そしてそれこそ殺意放棄の回答だと、島左近も飛び加藤も受け止めた。

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