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生まれてから保育園くらいの当時を振り返る


こんにちは げこふりです。波乱万丈な人生を送ってきた僕の31年間を振り返ってみたいと思います。4歳くらいからかなり記憶が鮮明にあるため、思い返しながらそれ以前は親や記録を頼りに書いていきたいと思います。

生まれてから

生まれは千葉県の松戸市です。とある産婦人科で産声を上げました。日曜日の朝4:30というまだ暗い早朝に。飲食店店長の父とバスガイドだった母の間から生まれ、松戸市で1年ほど過ごしたあとに東京へ引っ越しました。

1歳〜2歳くらいになると公共の場でもワーワー大泣きしていたそうですが、鉄道に乗る時だけは不思議とおとなしくなったそうです。早くも鉄道オタクへの道が開かれていたかもしれません笑 ただ言葉の発達が遅れていたとのことで自閉症の疑いがあるとのことで小児科に連れて行かれたらしいのですが、診断はこのときは見送られました。ただこの頃から保育園年小くらいまで毎週のように発熱があるなど体が弱く、母は本当に大変だったと思います。

保育園時代

母から保育園に連れらるといつもグズって泣いて帰りたいと喚いていたのを覚えています。この頃から逃げ癖や拒否癖があって大人になってもそれがだいぶ残ってしまっているのがかなり心に重くのしかかっています。

また友達の悪ふざけを全て真にうけて、喧嘩やトラブルもこの頃から多発していました。保育士の先生方にも本当にご迷惑をお掛けしたと反省しています。本当に反省だらけの人生。
そして事件は起こります。新婚ホヤホヤで結婚式を1週間後に控えたY先生の顔をどうゆういきさつかは忘れましたが引っ掻いて傷を付けるという男として最低最悪な加害事件を起こしてしまいました。その式についてはどうなったか結末は分かりませんでしたが、さぞお怒りだった事でしょう。その因果は女運の悪さや失恋などに響いているかもしれません。
子どもの皆さん、くれぐれもご注意を。

そして発達障害と思われる特性もどんどん現れていきます。タイヤをくるくる回す遊具がありますがそれに1時間以上夢中になって、周りの子はみんな気持ち悪くなって嘔吐しちゃう子が続出するなか、自分は楽しいから1人でもずっとタイヤを回して乗り続けるというあたおかなことをやっていました。
あとマンホールや排水口に異様な興味を示して他の友達をほっぽってずっと長時間、観察し続けるという奇行をしていました。
かなりASDっぽい特性ですよね。
あとはモノに変な愛称というかあだ名をつけるという謎行為もやっていました。洗濯機に「けった」とつけて呼んでいたり。自閉症のような特性も見られたのです。

保護者からは人気者

そんな珍しい特性がある僕を他の保護者の方からはなぜかウケがよく、可愛がってもらいました。まあ自分の子どもじゃないからある意味安心して見ていられたんでしょうね笑 うちの子じゃなくて良かったと。その点、母は何度も恥をかいたり辛い目に遭ったりして気の毒だなーと思いますよ。31年経った今もこどおじフリーターで居るのだから世の親孝行な息子さん方は早く自立しましょうね(お前が言うな!)

弟はその点、僕の奇行や不甲斐なさを無意識に学習し、僕とは違い良い子でした。ちゃんと挨拶も出来るし大人に好かれる子でしたが後にグレます。その話はまた次のエピソードで…

まとめ

そんなこんなでヤンチャとはちょっと違う変わった幼児時代を過ごしました。それでも毒親でなく認められつつ、ありのままを受け入れてくれてたんだなと両親や祖父母、周りの保護者や先生方にクラスメイトたちに感謝です。

もう20年以上会っていない人も居ますが、ここを見てるかもしれないので言っておきます。「幼児の頃よりは少しだけ成長したぞ〜!」

はい ありがとうございました!幼児編はこんな感じです。

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