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季節のない世界-透.5

主な登場人物

まい(主人公):38歳バツイチ、フリーライター。北海道在住。リアルな人付き合いは大の苦手だが人当たりはとてもいい。ネットの出会いからリアルへの発展を望まない一方で、自分の完全な理解者が欲しいと願うアンバランスなメンタルの持ち主。

:30歳、大手メーカー勤務、男性。大阪在住。「まっすぐ」という言葉がこれほど似合う人はいないと多くの人が思うほど、素直で誠実。まいを「大切な人」と言い支えるが、関係の発展は望んでいない。

透とまい

2023年4月17日 18:30

独身になってから、初めて自宅に男性を招いた。

緊張で少し震える手で鍵をあけ、「どうぞ」というと、透は軽くお辞儀をして「お邪魔します」といい、行儀よく靴をそろえて室内に上がった。

「まーいさん、荷物、どこに置けばいいかな?」

一人暮らしには少し贅沢な2LDK、そのうちの一室を透のために空けておいた。普段はほとんど物置と化していて、仕事の資料の本が山積みになっている乱雑な部屋だ。それらすべてクローゼットに押し込み、無理やり片づけたことは内緒にしておいた。

「この部屋、こっちに滞在中自由に使っていいから」

「まじか。ありがとう。つーか部屋広いね」

「北海道の賃貸はこんなもんじゃないかな?しらんけどw

わたしはこっちの部屋だから、別々なら触る心配もないしょ」

「おー!ありがとう!じゃぁちょっと準備するね」

「はーい」



透と出会った店「魚と日本酒のうまいちゃん」は、私の家から徒歩5分程度の場所にある。

再び外に出て、2人で肌寒い夜の街を歩く。通りをゆくカップルたちはみな暖を取るように寄り添い歩いているが、私たちは微妙な距離を保っていた。

暖簾をくぐると、「おっ咲桜(さくら)さんさっきは予約ありがとう!お友達と一緒なんて珍しいっすね~!ゆっくりしてね~!」と大将に声をかけられた。

透が、怪訝そうにこちらをのぞき込む。

しまった。透は私の本名を知らないんだった。

「まいさんて、名前まいさんじゃないんだね」

「うん、ゲームとかでよく使ってる名前をとっさに教えちゃったの。ごめんね。」

「全然ええけど。『まい』って普通の名前だから、本名だとおもてしもてん」

「そう、以前友達に『本名すぐ教えないように』って窘められて。本当の名前っぽい偽名つかってるの。桜の花びらがひらひら舞う~みたいな感じで、ちょっと本名つながりで『まい』って名前にした」

「なーるほど。偉いね。俺はこれからもまいさんて呼ぶね。呼びやすいから。

ま、とりあえずお酒飲もうか。

大将、今日のおすすめは何?」


「あざっす!今日は北海道のでいえば、咲桜さんが好きな国稀、国士無双、北の勝あたりは豊富にありますよ!

あとは出雲富士の青ラベル、阿櫻の無濾過生原酒なんかもありますね~。ラベルがかわいいんすよね、これ。

あ、適当にそこみてボトル手に取ってもらっていいですよ」

私と透は同時に席を立ち、店の片隅に置かれたガラス張りの日本酒セラーをのぞき込む。

「まいさんはどんなの好み?」

「んー一杯目はやっぱりすっきりしたやつがいいよね」

「わかるわー。じゃぁ、北海道のでおすすめある?」

「国士無双ので、旭神威っていうシリーズ?があって、それの青いボトル…

これこれ、おいしいよ」

「おー!じゃあそれにしよう」

「ちょっと高いかもw」

「今日はおごりやから、気にせんでええてw」

「じゃぁお言葉に甘えて」

肴には、刺し盛りと梅水晶、ホヤの塩辛を頼んだ。ホヤはあまり関西では食べないものらしいが、「日本酒に絶対合うから」とおびえる表情の透を横目に無理やり注文した。

すると大将が「あっ今日は咲桜さんの好きなホヤの刺身もあるよ」というので、ついでに頼んだ。

日本酒が注がれ、お通しのポテトサラダが目の前に置かれた。

「では、再会の記念にかんぱーい!」

グラスになみなみ注がれた日本酒で乾杯するのは難しく、透の勢いのいい音頭に反して、互いのグラスをちょこんと寄せ、口を寄せてすするように飲みあった。

「あらためてやけど、北海道寒いな」

「あーそうだ、パジャマとか部屋着どんなの持ってきた?気温と格好があわない、みたいな感じで風邪ひかないか心配で」

「んーけっこうもこもこかもw」

「寒いときはストーブつけるけどさ、気温差が激しいのよこの時期。急に気温あがったりするから、薄手のもの欲しいとかあったら言ってくれたら車出すから」

「おー、ありがとう。じゃぁそんときはお願いするわ。ところで、まいさんここまでで大事なこと忘れてない?」

「え?なんだろう……」

「俺が何日こっちおるかしらんくない?w」

「あー」

「1週間おります」

「1週間」

「1週間です」

「ながいね」

「そうなんよ。地方出張長くなりがち。早く帰ってくる日は積極的に家事とかあればするし、ごはんも簡単なものならつくれるーよ」

「おーたすかる!じゃぁお願いしよう」

「まいさん食べ物の好き嫌い多いから、毎日おしるこでもええかな?w」

「むしろありがたいかもしれないwww」

いつもの通話のようにくだらない話を続けていると、注文した肴がカウンター越しに差し出される。

「はいっおまち~!まずはホヤの塩辛と刺身ね。咲桜さんのお連れさんはホヤはじめてかな?」

「あ、そうなんすよ。なんか食べ方とかあるんすかね?」

「刺身はとにかく早く食べてください(笑)時間が経つとちょっと臭みでてきます。塩辛は塩味強いので、ちょびちょび食べるといいっすよ!」

「あざす!いただきます」

はじめての出会いのときにも思ったけれど、透は所作に育ちの良さがにじみ出ている。正しい箸の持ち方、背筋の伸びた座り方、食べ物や飲み物を口に運ぶときの動作。「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとうございます」もきちんという。

元夫がこのあたりめちゃくちゃだったせいか、とても好印象だった。

おそるおそる、ごく少量のホヤを口に運ぶ透。

「あ、俺、ホヤ好きかもしらんw」

「ほんと!よかった~。私ここきたら必ずホヤ食べる。おいしいよね」

「なんか複雑な味するけど、口の中で酒と混ざるとたまらんな。これは酒飲みなら食べなもったいないわ。

ところで滞在中の1週間の間にもし元の旦那さんが来てもいいように、いろいろ聞いておきたいし、決めておきたいとおもて」

「うん」

「離婚前後どんなんだったかとか、相手どんな性格かとか。もし家に来た場合、俺はどういう対応を取るかとか。俺が勝手に決めて動いて、いない間にまいさんになんかあったら困るし」

「ありがとう。そうだね、じゃぁ元夫についてまず教えるね」

元夫とは私が高校生のときに出会い、付き合い始め、卒業後まもなく結婚したこと。家業を手伝うために義両親と同居していたこと。私が幼すぎて結婚生活をうまく継続できなかったこと。そうして、離婚協議がうまくいかず、調停から裁判まで進んだこと。

離婚までの10年の出来事をあらすじ程度のボリュームで教えた。

「なるほど、まいさんは離婚したこと、結構自分が悪いと思ってるんだ」

「そうだねぇ。若かったし、今ならもう少しうまくやれたんじゃないかとか正直たまに思うよ」

「それはどうかなー。まいさん、優しいね」

「優しかったら離婚してないと思う(笑)

まぁ、元夫が私のためにいろんなことしてくれてたのは事実だし。でも、もう関係は修復できないところまで来ていたからあの時はあれで仕方なかったと思う」

「うん、過去のこと考えすぎても仕方ないしね。で、もし元の旦那さんが来たらどうするかだけど。

とりあえず、俺はまいさんの今の彼氏って設定で大丈夫かな。」

「うん」

「で、元の旦那さんって強い?(笑)」

「いや~どうだろ。透よりは小柄だし、基本男にはヘコヘコしてるからいきなり襲い掛かってくることはないと思うけど」

「俺、体型こんなだけど、肉体派の喧嘩とかしたことないからさw」

「したことあったらいやだわw

警察には以前にも相談してるし、何かあったらすぐ通報するようにする」



「おっと、もうこんな時間か。たらふく食ったし飲んだし、そろそろお会計しよか?」

気づけば日付をまたぎそうな時刻まで時計の針が進んでいた。

「ごちそうさまでした」と二人で大将に礼をいい、店を後にした。

お酒であったまった体と顔に、冷たい風が心地いい。再び少し距離をあけて、家までの道のりを歩く。

付き合ってもいない男性を自宅に泊まらせる、普段の私ならこんな行動は決してしなかった。なぜこんなことができたのか、それは透だったからとしか言いようがない。

私はひどく臆病で、他人に対して気をつかいすぎてしまうきらいがある。相手の顔色を窺っては何かしなければと焦り、けれどもたいてい私がする気遣いはあてが外れていて、かえって嫌な気持ちにさせてしまうことも少なくなかった。リアルでの人付き合いをしない大きな理由はここにある。

さらには、自己肯定感が低く自罰的な傾向があるせいで、特に恋愛関係にある男性に対しては自分の価値を低く見積もりすぎてしまう。「私が何かすることを喜ぶはずがない」と思い遠慮して、それを「愛情がない」と断じられることも多かった。

少しでも否定されると、自分の存在価値を疑い始めるひどく卑屈な人間だ。けれども透は、そんな私をすべて受け入れて、いつも「私にもいいところがあるのだ」と思わせてくれた。

私が少しでも自分の価値を疑い始めると、「まいさんはいい子だね」といって寄り添ってくれる。透は、私にとって稀有な「心の底から安心できる男性」だ。

否定されることがないからどんなことでも提案できたし、私を傷つけることを言わない・しないので、透のどんな提案も受け入れられた。









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