うつ病日記 2021/2/11

・新しい睡眠導入剤、効かなかった…

・母話「昔々おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんの芝刈りに犬のポチが着いてきて、ここ掘れワンワンするので掘ってみたら、大判小判が!一方おばあさんは川で洗濯をしていて、どんぶらこと流れる大きなイチゴを見つけました。家に戻ると、おじいさんはイチゴにびっくり、おばあさんも大判小判にびっくり。イチゴを二つに割ると、中からかわいいイチゴちゃんが出てきました。大判小判があったので、何不自由ない生活ができましたとさ。」おしまい。

・父とも話した。ハタチになってしまった。私はダメなやつだから死にたい。職場で、「私はダメなやつ、使えないやつ」と思ってたから、それをほぐすのは時間がかかるかも。
こうして父と話せて嬉しいけど、きっと他の兄妹も重いものを抱えている。話を聞いてあげてほしい。
父曰く、小さい時からそういう話し合いをしてこなかったから、それがこれからの宿題なんだと思うって。宿題って言っても、時間が無さすぎる。いつ死ぬか分からないのに。

・父は鳥取砂丘に母とどうやって行こうか考えた。新幹線で新潟あたりまで行って、そこから景色を見ながらゆっくり行きたい。

・私は今は未来の話をするのは怖い・朝5時ごろ、冷凍の焼きおにぎりを食べた。おいしかった。父は私の消化剤を飲んでハラヘリだったらしい。

2021/2/11 箇条書きメモより



新しい睡眠導入剤、効かなかった。
母から昔話を聞いた。そのあと、父ともいろいろ話した。このページにそのメモを挟んでおく。


朝になってから、もう一回睡眠導入剤を飲んでみた。やっぱり寝たり起きたりって感じ。次からは2錠飲むようにしてみようかな。


昼ごろに起きてきたけど、お昼ごはんは食べなかった。そのあともまた寝たり起きたりしていた。


夕ご飯はケンタッキーだった。
デリバリーで届くまでの時間に、母と風呂に入った。

父が、今日は私の誕生日のことを話題に出さないように、家族に言っておいてくれたらしい。ありがとう。

あと、今日が私の誕生日だからケンタッキーを頼んだの?って母に聞いた。お祝いなんてしなくて良いって言ったのにって。
理由は、母がお祝いしたかったのと、ケンタッキーを食べたかったからだって。
母は1月4日生まれ。正月の時期で、母が小さい時は、母のお母さんの実家の和歌山に帰省してて、その和歌山のおばあちゃん (私のひいおばあちゃん)からしか「おめでとう」って言葉と、プレゼントをもらえなかったらしい。それがトラウマというか、すごく悲しい出来事だったんだって。
だから誕生日は直接「おめでとう」を言いたいんだって言われた。

じゃあ母に免じて許してやるか、となって、ケンタッキーを食べることを許してあげた。


ケンタッキーはおいしかった。
食べたあとはずっとスマホでゲームをしたりして、気を紛らわせてた。


23時くらいに「死にたい」がきて、母と話した。
早く死にたい。私はダメなやつ。1人で死ねない根性なし。
前に、電気コードで首を絞めたことがあることも話した。もうやらないって約束させられた。

いっぱい慰められた。いっぱい泣いた。
「父と母が愛して生まれてきてくれたんだから、あなたの命に価値はあるんだよ」って言ってくれた。


そう言えば、父と母に、別々に「20年間育ててきてくれてありがとう」って言ったら、2人とも「優しい子に育ってくれてありがとう」と同じことを言ってくれた。嬉しいね。



母がお風呂で自分のトラウマのことを話してくれたから、私もトラウマを打ち明けた。
ヒカリの自殺がトラウマだって。突然人が死んじゃうのが怖いって。

母の心臓の音を聞いた。バクバク鳴ってて元気だった。
ずっと止まらないでね、100歳まで生きてね、元気でいてねって言った。
母は、「保証の限りではないけど…」ってさ。そこは「うん」って言ってよね。


ここからはまた母話なんだけど、昔〇〇にいた時、アパートの向かいに老夫婦が住んでて、よくしてもらったんだって。雨の日に洗濯物を取り込んでくれたり、一緒に雪かきしたり。
良いことを聞いたな。覚えておきたいな。母の歴史。


大人になったら責任は生まれるけど、みんなで分け合えば軽くなるって母が言ってくれた。

私は生きていけるのかな。大人として責任を果たせるかな?わからない。こわい。


しにたい。生きていたい。みんなと一緒にいたい。


私は死んだら「無」になるって言ったら、母に悲しいって言われた。
死んでも魂になってそこにいてほしいんだってさ。嬉し悲しで泣いた。

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