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6月の読書

今日で6月も終わる。プライベートな取り込みで瞬く間にひと月が過ぎた。

その合間を縫って読んだのが、この3冊。

6月の読書

この3冊は全く趣を異にしたものだ。
このnoteの投稿記事で知った「歴史と戦争」・・・半藤一利の本は
何冊か読んでいるが、この本は知らなかった。
読み終わると、必ず読後感を記しているが、今月は終戦記念日も近づいているのでこの本の読後感全文を下記にコピーしてみる。

2024・6  「歴史と戦争」 半藤一利

Noteに記事を書いている方が読んだと記していた本で、
興味を惹かれたので、図書館に申し込んだ。

半藤の全著作集や対談集から抜粋して編集しなおしたもので、
主に第2次世界大戦が始まるまでの世相や、始まってからの
国民の姿、政治と軍に関わりを持った人への検証、又戦後、国民が戦後をどのように受け入れたか、などが短い文章の引用によって詳らかにされていく。

戦中生まれの私は、戦争中のことをほとんど記憶していない。
記憶にあることといえば、防空壕から眺めた赤い空(多分、隣町が空襲に
やられて燃えていた)ぐらいのものだ。食糧不足で親はその調達に苦労していたと思うが、幸というか、ひもじさなど全く覚えていない。
後に親からひもじくて、生の人参をスティック状に切ったものを齧っていたこともあったと聞かされた。
今ならおしゃれなイタリアンかフレンチで綺麗なグラスに入れられて提供されるスティック野菜だ。極めて健康的と言えるが、当時は食べるものがないから仕方なく・・・と親は不憫に思ったのだろう。
人間にとって一番印象に深く残るであろう食に関しても覚えていないぐらい
だから、戦後日本の窮状や政治的なことなど、全く関心の外にあった。

私たちの世代は戦後のバブル景気を経て高度成長期に育ち、身をもって戦争の苦しさを味わうこともなく、八十数年を過ごしてきたとても幸せな世代だと思う。

今、自国中心を唱える人々の台頭が世界中を脅かしている。
ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルのハマスへの徹底抗戦、テレビから流れてくるニュースに目を覆いたくなる日々だ。

本の中で、半藤は「戦争の恐ろしさの本質は、自分が非人間的なっていることに気づかないことにある」と言っている。国民が一丸となって戦うことを
求められた国民は、国を思うあまり、自分たちのしている事が正しいと思い込んでしまうのだろう。真珠湾攻撃の大勝利を伝えたニュースに、国民は
もちろん名だたる文化人、知識人もこぞってその成果を讃え、手放しで
喜び、涙したという。

アジアの植民地開放という崇高な目的を持った戦いとされたが、その本質は
アジアを日本の領土として重要資源の供給源としようとしたものだったと
いう。
その手前勝手な考え方は、今どこかで聞いたような理論と何も変わりない。
「こちこちの愛国者ほど国を害する者はいない」という半藤の言葉は、
そっくりそのまま、現代の世情に対する警告と思える。

様々な戦争にまつわる半藤らしい文章に知らないことばかり・・と政治と軍部の関わりについて改めて歴史を見たという気持ちだ。

意外な思いで興味を引いた一つに、日本が産んだゴジラは1954年
ビキニの水爆実験で、海底に眠っていたゴジラが起こされて日本に来るという設定だったということ、そしてそのゴジラが東京に上陸した日は、
奇しくもその水爆実験で被曝した遠洋マグロ漁船の第5福竜丸が焼津港に
引き上げてきた日だという。

太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で行われた水爆実験は、広島、
長崎の原爆の625倍にも相当する威力を持っていたという。
そこから160kmも離れたところにいた日本のマグロ漁船・第5福竜丸が
放射能を含んだ大量の珊瑚礁のチリを浴び、乗組員が被曝した。
福竜丸の乗組員の一人が、半年後に亡くなったことなどもあり、当時は大きく報道され日米はもちろん世界的に問題視され、日本での反核運動も高まった。
私は以前に第5福竜丸が展示してある江東区の展示館を訪れたことがある。
こうした人類の犯してきた過ちについて、検証し語り継ぐ大切さを感じた。

今、オッペンハイマーの映画が話題になっているが、彼の思わぬところで
事が起こっていることに当時の彼は、どう感じていたのだろう。

ビキニ関連で・・・水爆実験についてググっていた折に、水着のビキニも、
この水爆実験を機に名付けられたものだと知る。
当時、肌を極度に露出した水着にびっくりしたことから、ビキニの水爆実験になぞられて「ビキニ」と言われたのが始まりだそうだ。

今の不穏な政界情勢はどう落ち着くのだろう!
人の叡智がこの状況を克服するよう願うばかりだ。
                       以上


今月読んだ他の2冊「寂しい夜にはペンをも持て」と「朝星 夜星」も中々
読み応えがあった。
「朝星 夜星」は日本で初めに西洋料理を手掛けた「草野丈吉」を主人公に、幕末から明治にかけての政情を絡めて語られる500ページに及ぶ
大作だ。
今回、この小説によって初めて草野丈吉という名前を知り、その肖像が
長崎のグラバー邸にあることも知った。

長崎で軍艦に乗って下働きを務めたことから、ボーイの仕草やキッチンでの料理人の事ごとを学んだ丈吉は、その才もあってオランダ料理やフランス料理を所望する外国人の舌を満足させて、店を大きくし大阪、神戸、京都にも進出していく。

その発端になったのは、海外で洋食を経験していた「五代友厚」だ。
長崎で細々と供していたオランダ料理の味を求めて訪れた5代友厚は
丈吉に店を開くことを勧める。

丈吉もまた5代の言葉に目を開かされて、今まで親兄弟を養うために必死に働いてきたけれど、食と通して西洋を学ぼうとしている人がいることに驚いて、自分に授かった職業を天職とも思って、食で政界に寄与することなども含めて、生涯励むことになる。

「さみしい夜にはペンを持て」はいじめに遭っていた中学生が、文章を表すことによって自分を見つけていく話だ。
その話を海の中の話に例えて綴られる。
出てくる主人公はタコのタコジロウだ。
ひょんなことからであったヤドカリのおじさんに、日記を書くことによって自分を客観的に見つめ直すことができると勧められる。
ヤドカリのおじさんは、言葉の選び方、文章の作り方などをタコくんの
悩みに寄り添いながら具体的に指導していく。

文章を書くことが苦手な中学生辺りをターゲットに著わされたものかも
しれないが、大人にも十分読み応えがあり、「うん、そうそう!」と納得いくことばかりだ。

自分が見聞きしたことをアウトプットする時、自分の観察眼が試される思いがすることはしばしばだ。

歳を重ねて、見えることもある。常に周囲に敏感な触覚を蓄えていたい。

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