四月も終わり、1年でも一番爽やかな季節、五月を迎えたが、 今日は生憎の雨降り、せっかく咲き始めたバラも しょんぼりと首を垂れている。 私が四月に読んだ本の紹介をします。 図書館から「資料の準備ができました」と連絡が 来た順に読むことになるのだが、たまたま女性作家物が続いた。 その都度、読後感は私の読書記録に残しているが、 ここでは長くなるので、簡単な感想に留める。 「光のとこにいてね」「汝星のごとく」「墨のゆらめき」 の3冊はどれも親の育児放棄が大きく物語に関わっている
このところはっきりしないお天気が続いていたが、 今朝は若葉に陽が照り映えて、ピカピカだ。 そんな陽気に誘われて、五月人形を飾る。 我が家に男の子はいないけれど、 季節のインテリアとして毎年の恒例だ。 私には兄が2人いたので、実家では毎年五月人形が登場していた。 実家を整理する時、その兄2人とも五月人形は要らないと言った。 古いものが大好きな私は「じゃあ、私が・・」と言って それ以来、我が家の大切なインテリアグッズになっている。 座敷飾りの五月人形は、本来、鍾馗様、金太郎、
今日はしっとりと小雨が降り、まだ赤ちゃんだった木々の新芽はその色を 増し、それぞれの個性を発揮し始めた。 ベランダのバラ達も水滴のアクセサリーをつけていつもと違う顔を見せて くれる。 つい1週間前までは山を彩っていたヤマザクラの薄いピンクも影を潜め、 今では山藤が「次の出番は私!」と言わんばかりにその伸びた房を藤色に 染め始めた。今頃の木々や植物は一日見ないとその様子を変え、驚かされると同時にワクワクする。 桜が盛りの頃に描いた水彩画2点
前回の投稿で題名を「姥桜の桜ランチ」として公開してしまったが、 姥桜の意味は果たして私の考えている姥桜かしらと、気になり出した。 私は単純に「年寄り」の意味で使ったのだが・・・。 早速、ネットで調べてみると 1))葉がでるより先に花が咲く桜の総称。ヒガンザクラ、ウバヒガンなど。(ちなみに吉野桜も花が先だが、姥桜の言葉ができた時代にはまだなかった品種)葉がないことを「歯なし」にかけた語という。 2)女盛りを過ぎても、なお美しさや色気が残っている女性。 と出てくるではないか!!
関東ではソメイヨシノはすっかり散ってしまい、みずみずしい浅葱色が山々を彩るようになった。 今日は、付近に住まいする料理好き3人組のランチ会。我が家がお当番だ。 終日前からメニューを考えて腐心し 「桜は終わってしまったけれど、今の時期ならやはり桜でしょう」 ・・・ということで桜をイメージしたお弁当を考える。 タイの桜蒸し椀 釜揚げ桜エビと新玉ねぎのかき揚げ 芹、うど、しらすの酢味噌あえ タコと小豆の桜煮 温泉卵と海老の出汁醤油浸し ふきのおかか煮
狭いベランダにも、春はやってきます。つるバラが新芽をつけてツルを延ばし、鉢植えの草花も勢いを増して花をつけています。 タイトルの花々はベランダで積んできたものです。写真には入りませんでしたが、ナルコユリも咲き始めました。小さなすずのような花を並べて俯き加減に咲く様子が大好きです。 昨日はランチのお客様をお招きしたので、朝一番でベランダの花を摘んで 花瓶に入れました。買ってきたお花も豪華で良いけれど、自前のお花は 育った過程を見ているので、「いい子、いい子」したくなります。
しばらくnoteをお休みしてしまった。八十路を過ぎた老婆でもそれなりに、 というか雑用に追われ、心ならずもゆっくりとパソコンの前に座る時間のないまま時を過ごした。 その間に、南九州を訪れた。自分で旅程を組む煩雑さや、ガイドさんから 聞く説明が欲しさに、ツアーでの訪問だ。 鹿児島、指宿、知覧、福山、高千穂峡などを訪れた。 高千穂峡以外の地域は数十年前ではあるけれど、一度、場所によっては 2度ほど訪れている。なんと言っても長年訪れたいと願っていた高千穂峡と 高千穂神社目当ての旅
このところの寒さのぶり返しで、桜の開花が予想より遅れているようだ。 3月も残すところ1週間になり、新たな社会に船出しようとしている若者たちは最後の休みを楽しんでいるだろう。 偶然、2月の読書は歴史物ばかりになった。 「まいまいつぶり」で村木嵐という作家を知り、松本清張賞を取ったという「マルガリータ」を読んでみた。天正遺欧少年使節団として派遣された 11歳から14歳までの少年たちが8年後に帰国した後の様子を描いたものだ。 キリシタンへの迫害や殉教に触れたもので、読んでいて心安
今日はお彼岸お中日、昨日は、ぼた餅を作った。 春はぼた餅、秋はおはぎ、同じお菓子に春は牡丹が咲く頃、秋は萩が咲くからと季節で呼び名を使い分けるのは、日本人ならではの素晴らしい感性だ。 この頃には、まだ肌に感じる風は冷たくてもベランダの植物はいち早く、春を呼んでくれる。その息吹に心ウキウキする。 植木鉢に2月ごろ植えたベビーリーフの摘み残しは、ぐんぐんと背丈を伸ばし、小さな菜の花を咲かせ、小さいなりに強い香りを漂わせてその存在を主張している。 そして昨日は孫娘の大学卒業式が
葉山にある神奈川県立近代美術館で、現在催されている 「芥川龍之介と美の世界」を見学した。 芥川龍之介や夏目漱石の美術への関わり、またその師であった 菅虎雄との関わりに焦点を当てた展覧会で、その視点の面白さに 心惹かれて訪れた。 まだ日本人が西洋の美術の現物を見たことがない時代に、 書物や資料からそれらを検証し、お互いに意見交換をしたり、 「推し」の直筆の書簡などが展示されとても興味深い展覧会だった。 明治大正の文学者は、文学者たるもの芸術・・美術や書に 一家言持つ事こそ、文
今日で東北の震災から13年、被災なさった方々にとっては、 さぞ長い年月だったことだろう。 一昨日に、鎌倉建長寺方丈で開かれた震災応援チャリティーコンサートに出かけた。 東儀一門の雅楽演奏と舞、プロの演奏によるクラシック、ウクライナの ナターシャ グジーさんによる歌とパンドーラの演奏というプログラムだ。 ナターシャさんの歌声に思わず涙するほどの透き通った美しい声だった。 また民族楽器のパンドーラの音色にも驚かされた。 弦が50〜60あると言われ、5、6オクターブの音域を奏でら
毎年、「ひなの日」にはちらし寿司と蛤のお吸い物、道明寺の桜餅を作る。今年も朝から桜餅を作りご近所2軒にお配りする。 「あら嬉しい!⚪︎⚪︎さんの桜餅、本当に美味しい!」の言葉が嬉しくて 恒例になってしまった。 そして同じマンションに住まいし、夫が孫の様に可愛がってる坊やにも・・ ちらし寿司と共にプレゼント ひなの日に先立って、前日には娘宅に我が家のベランダで採れたレモンとちらし寿司の具、桜餅を宅急便に乗せた。 そしてひな祭りの日には間に合わないが、水彩画を描くお仲間にお持
冷たい雨降りの1日だったが、夫と映画館に出かけた。 目的は「PERFECT DAYS」 以前は近くのシネコンまで車で出掛けていたのだが、 先日、車を手放したので電車で30分程の始めての映画館を訪れた。 上映時間の関係で、ランチを済ませてから家を出たのでは 間に合いそうもないので、簡単なランチを劇場のある複合施設で済ませようと早めに家を出る。あまり時間もないし、寒いので温かいものを・・ と探す。フードコートで長崎ちゃんぽんを注文。リーズナブルな上に、 なんと「麺少なめ」という
2月も半ばを過ぎ、来週はお彼岸を迎える。今年は3月並みの陽気という日が多く、厚手のコートの出番は少なく、2.3日しか着ていないコートを洗濯屋さんに出すかどうか悩ましい。 毎年立春を過ぎるとお雛様の出番だ。 立春の日は朝のうちに枡に煎り大豆を入れ、我が家の簡易神棚にお供えし 邪気を払ってもらう。平穏にすぎた昨年への感謝と迎える春も穏やかでありますようにと、心のうちで唱えながら・・・。 夕方になると、その福豆を下げて家のあちこちの窓を開け、 老い二人、ちょっと声を顰めて「福は
久しぶりに人物画を描きました。 人物がは苦手ですが、西欧人らしい雰囲気に魅せられて描きました。 描くたびに、自分の思うイメージに近づけるよう頑張るのですが・・・ まだまだ勉強です。 この寒さの中、不安の中に置かれているウクライナに早く 平穏が訪れますようにと祈るばかりです。
あっという間に1月は終わってしまった。一体何をしていたのか思い出せないほど形に残らず、人生の1ページに、年初の足跡を残せるようなこともなく過ぎてしまった。 あえて言えば、 ・お正月に家族が集まり賑やかだったこと。 ・3回、マーマレード作りをしたこと。 ・2人の友人それぞれと会ってランチをしたこと。 ・6号の人物画を描いたこと。 だろうか。 何もせずにはいられない性分なのにもかかわらず、大した満足感も得られず日々が風のように過ぎ去っていく。 その毎日の隙間時間を埋めてくれるの