性善説
◆人を信じること
転職した先で印象に残ったこと。
「⚪︎⚪︎は結局人を信じているよね、信じているように見せて信じない人が多い中でとても珍しいよ」と慕っていた上司に言われた。
あまり自覚していなかったし、なんならあまり人を信用してはいけない、と気をつけてきた私は、その気質を褒められたことに驚き、そして嬉しかった。
人を信じやすい、人に期待しやすい、は弱点だと思ってきた。
様々なことを相談していた大親友に、その内容を断りなく裏アカで揶揄され拡散されるということを経験した私は、人に心を開くことにとても抵抗を覚えるようになった。
今でこそ、人生を振り返ったり、気持ちを述べる表現を自分からSNS上でしているが、本当に自己開示が苦手だ。気質もあるし、上記トラウマもあるし、はじめに書いたようにあまり自分の内面を知られなくていいと思っている。noteは匿名で顔が見えないからできるのだ。
転職先は、私の考え方を知るためにチームメイトに人生を開示しろという熱い会社だった。
ものすごく準備して臨んだし、仲のいい人達には予め概要を伝えて練習もしていたのに、あまりにしんどくて、途中で泣き出してしまった。
私はよく泣く。
このあと書くように、心の風邪をひいてからひどくなってはいるのだが、子供の時の反動もあるかもしれない。
◆営業職
転職してついた仕事は無形商材を扱う法人営業だった。
営業して売れたらオッケー、というわけでもなく、どこに営業するかからその商材の企画、進行管理、アフターフォローまで一貫して行うマルチタスクの仕事だ。
当時ロジカルシンキングなんて全く身についていなかったし、なんなら考えることが苦手だった。あまりに考え込んでしまうから、いつしか深く思考しないことが癖になっていて、直っていなかったのだ。
手取り足取り教えてもらえると思っていたし、自責思考もあまり強くなかった。
早々に先輩に怒られた。「3ヶ月経ったら新人ではない。相手の時間をもらうということは、それだけのものを用意していて当然だ。失礼だ。」と。
当時は質問の仕方も、「わかりません、教えてください」というスタンスだった。怒られて自覚をし、変わることができた。
「自分はこうだと考えています、どう思いますか?」と聞くようになった。
もっと大学から多くの人と関わっていたら、もっと早く学べていたのかもしれない。このタイミングで、危機感を持つことができて、あの先輩には、一生頭が上がらない。怖かったが、私の成長のために指摘してくれることほど、愛情深いことはない。(もちろん、ただきつい物言いの人は苦手なので、愛を感じさせてくれたのもありがたかった。)感謝しても仕切れない存在だ。
それから、深く考えることを意識し始めた。だから?で?と日々詰められる環境の中、萎縮して全然できないこともあったが、なんとか食らいついていた。
私は威圧感がとても苦手だ。(男性のは特に。というかその時は男性自体にも苦手意識は残っていた。)
泣きながら帰ることもあったが、さすがに電車の中でボロボロ泣くわけにもいかず、時々タクシーを利用し、前職の同期に聞いてもらって次の日のためにガス抜きさせてもらっていた。
一社目で何も変化なく楽に何年も過ごすことより、ハードな環境で成長したいと思ったから転職したので、辛くても後悔は全くしていなかった。
同僚皆が苦しんで仕事をしていたし、残業で一緒に過ごす時間も長かったので、仲間意識もすぐに芽生えた。家族のような気持ちにもなった。
励まし合って、出来ないならできるためにどうするか考えることが出来るようになったし、愚直に手を動かし続けられることが、私のいちばんの強みだった。
そのうち、私はあまり怒られることはなくなっていた。もちろん言われたことをちゃんとやるタイプだから、というのはあるだろうが、何かあるときは1諭すだけで10察し落ち込む私の特性を上司も先輩も理解してくれていたので、激しく怒ることをしなかったのだ。
私は私に向いていない叱責を聞くことや泣いている他人を見ることも苦手だった。職場では毎日のように誰かが泣いている。しんどかった。
異変に気がついたのは、睡眠不足なのに寝れないことからだった。毎日エナジードリンクを飲みながら通勤していた。お腹が空いてお昼ご飯を食べても、大方吐いてしまう。
ちょっとしたことに涙が堪えられなくなった。商談への移動中や、資料作成をしているときなどにも、勝手に涙が流れてくるようになった。普通に同僚に辛いと泣くことも多かったが、それとは違う、泣いてはいけない・泣くのがおかしい場面でも抑えられない。
皆が出来ているのに、自分はなんて出来ないんだろうか、社会不適合だ、消えてしまいたい、死にたい、と思うようになっていた。
いつしか毎日全身に蕁麻疹が出るようになった。
周りからすると、決して出来ていないわけではなかったという。実績も出ているし、やらなければいけないことはちゃんとやる、頑張っているメンバー、という認識をされていたみたいだが、当時自分を肯定的に捉えることが全く出来なかった。
出来ないのだから、数だけはやらないと、でも手を抜くのもダメ。一件一件必死にやらないと。
シトシト静かに泣くならまだしも、嗚咽が耐えられなくて電車を降り、駅のトイレで1時間以上泣いていたことがある。
流石にまずい、おかしい。仕事にならないから一度病院に行こう。薬を飲んででも、仕事をなんとかせねば、と業務中にメンタルクリニックに行った。
中等度うつの診断を受けた。
ああやっぱりなにかあった、とそのまま仕事に戻り、次の商談計画について先輩に相談をしていたが、上司に結果を報告すると2日後からの休職を伝えられた。会社規則で、診断書はその扱いになるとそのとき知った。
やってしまったと思った。
行くべきではなかった。
こんな突然に、え、と頭を整理できないまま、抱えている顧客の引き継ぎを行い、一瞬で2日が終わった。
ここから、心の風邪との長いお付き合いが始まる。病院に行ったのがこのタイミングだっただけで、その傾向はきっとずっと前からあったのだろう。
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