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永遠の空蝉

【この物語の主人公は、弓良サトルであり、登場する人物は架空の人物である。】

 夏になると蝉(せみ)が泣く、蝉は七日間、泣き続けて、そして死ぬ。
 死んだ後は、空しい残像だけが残る。
 そして、いつも夏になると、想い出すのだ。
 死んでもいいと思うほど泣いて燃え尽きた時に、空を見上げて目を閉じるとよみがえる。

「 あなたの10年後、20年後に心の奥で想い出す人になりたい。そうすれば、いつまでも輝いたまま一緒にいられるから。」
 そして、今でも彼女は記憶と残像を残して、いつまでも心の奥に存在している。

 大学に入学することになったサトルは、大阪で一人暮らしをはじめることになる。住居は大学まで歩いて30分ほどのハイツの一室にある。大阪では、住んでいる形態に階層がある。「マンション=上流」「ハイツ=中流」「アパート=下流」「パンション=風呂なしトイレ共有=スラム階級」最初の会話の中でどの形態に属するかで親の仕送りなど経済状況がわかるのだ。

 サトルは、初日にさっそく自転車通勤をしようと自転車を買いにいくと、店員さんから、

「一人暮らしなら、早くかわいい彼女を見つけて現地妻をつくりやー。」

 関西弁で気さくに話かけてくれる。この現地妻の響きが、大阪らしく当時の自分には、淡い性的な存在として期待感と、これからの新しい生活に高揚感を感じさせてくれる。

 しかし、現実はそんな甘美なことはすぐには訪れず、自由な時間を持て余す日々が続くのだ。

 ある日、通学していたバスから見ていた求人の広告の時給1200円に惹かれて、パン工場の面接を受けることにした。面接は、髭面で仏頂面の工場長であった。

 彼は、真面目さしか取り柄のない素材だった。ゆえに、すぐに採用され、夕方からのバイトに勤しむ生活となる。

 髭面の工場長は面接で、「若い内は何事も経験だ。車のハンドルに遊びがあるのを知っているか?人生も真面目に頑張るのも大事やで。しかし、遊ぶことはもっと大事やで、わかるな?」と言った。

 そして、「自分がこの工場を動かしていて、自分がいないと工場が回らない。君も早く一人前になって私の仕事を楽にしてくれ」と期待しているぞ、と目力が強い。

 彼は、人生初のバイトなので、生まれたての子猫のように、リスペクトの眼差しで、工事長を見つめた。

 夕方16時からのバイトは、薄暗いベルトコンベアの上を流れてくる「パンの箱」を、「詰まらない」ように流すだけの仕事だ。最初は簡単な仕事に思えたが、老朽化したベルトコンベアは、油(オイル)が足らないのかよく故障しては、滞留した箱を取り除き、スムーズに流れるように手作業で行うのに手を焼いた。16時から22時まで勤め、1日6000 円。週3回も仕事に入れば月に7~8万円の収入となり大学デビューの僕には遊ぶ金としては充分だ。

 他にも、様々なバイトを経験した。⛽ガソリンスタンドに中華料理屋、そして夜のスナックのボーイや塾の講師に家庭教師。
 しかし、ほとんど、続かなかった。
 最後の家庭教師を除いては。

 ガソリンスタンドでは、ガソリンをついだ後に必ず、閉めなくてはならない。しかし、僕はあるポップスバンドのボーカルに似ていた年上の大学の先輩に見とれて、キャップロックを忘れてしまったことがある。

 その後、マネージャーに個室に呼び出され、30分以上こっぴどく説教で絞られ、「 もう二度と同じような間違いをしないように。」 と、念を押されたが、また同じようなことを繰り返してついに解雇となった。自業自得だ。

  中華料理屋では、同僚のヤンキーと仲良くなれずに苦労することになる。
  入りたて新人は、食材の調達の仕事に回される「中華の材料を取りに行く冷凍庫に中に閉じ込められたらやばい」と危機感を感じて、店長に「今日でやめます。」とその日にやめた。真剣に中華料理と向き合う、金髪のヤンキーな人たちと仲良くなれずに、中華の道をなめていたことが敗因だ。みんな真剣に仕事をしている社会で、「学生だから」という許容範囲の中で仕事をしたので結果は、惨敗の連続である。

 スナックのボーイでは、暇な時間に、カラオケをおっさん連中に歌わされ、よく注文票に(ビールの注文の数を正の字を書くのだが)、水増しをして正の字を多く書いたが、気づかれないほど許容度がある職場だった。よく、先輩の兄さんに「3本くらい水増ししといて(^_- ) 。」と正の字を多く書いたりした。最終的には、客が来なくなり、給料が不払いでママに、「ごめんな。来月まで待ってくれるか?」といわれ、3ヶ月くらい後に催促してようやくお給料をもらった。

「 お客さんもそういうところ見ているのだろうな。」

と思ったが後の祭りで、苦笑いしかでない。お客様を大事にしないとしっぺ返しがいつか来るのだ。

 塾のバイトでは、いきなり教壇に立ち、英語だけかと思っていたら、国語の授業を担当させられ、「2重否定は強い肯定文だ!」と言う説明が、下手すぎて、ピッチャー交代。1ヶ月程度の試用期間で終了した。自分の能力のなさを痛感することになる。
 このときに初めて教壇という舞台に立ったが、スキルと経験が伴わないと、クレームとなることを学んだ。塾に来る生徒も真剣なのである。家に帰り親にこう言ったに違いない。
「今日、塾の先生が、国語の授業で2重否定もよくわかってなかったんだよね、あの塾レベル低いわ。」こうなると、塾という組織全体の責任となる。

 それぞれ失敗の連続。

 しかし、これらの失敗の経験を繰り返したが、家庭教師だけ自分に合っていたのか、継続することになる。

 最初に派遣されたのは、建設会社の社長のイガグリ坊主頭のセガレだった。毎週2回全科目を教えていた。そして、途中から、直接契約となり、高校受験の最後の年は、その友達にも教えるということになった。1週間に4回程度の頻度をこなす。
 
 セガレの母親は、たこ焼き屋の屋台を自宅前で営業しており、よくお土産にたこ焼き🐙 を頂いた。学生の一人生活にはとてもありがたい。

 バイトで稼いだお金はというと、好きな音楽レコードを集め、そして深夜に自由にタバコ🚬 をふかしながらロールプレイングゲーム🎮 にいそしむ一人の時間に消えていった。

 いま思えば、この夜型生活を、一年間続けたあげく、あぶく銭のために時間を費やし、🌃 夜型人間となり、朝からの授業に間に合わなくなるという「負のスパイラル」に陥いることになるのだ。

 そして、授業の欠席が多くなったことや、いつも大学に行きかけては授業に遅れて、高校時代からの友人「クマ」のアパートで、酒を飲んでは、毎日さぼる癖が身についてしまったことが最大の原因だ。追い打ちをかけるように、当時流行っていた、メロコアというパンクバンドにはまり、アナーキズムの思想に傾倒してフジロックフェスティバルなどライブに行き倒した結果、ライブでのモッシュやダイブのやり方、ターンテーブルの回し方は上達したが、大学の単位は取れずに、お手上げ状態。

 まさにストリートを迷彩半ズボンで闊歩して歩くアナーキーな若者になっていた。
合い言葉は、「ゲット・ザ・グローリー( 栄光を掴め)✌ 」だ。
「栄光が自由の先にある」と信じて、輝く未来を夢見ていた。完全に自由の意味を履き違えていた。自由と放任の代償である。

 その先に、将来社会で何の仕事に就くとか、貢献するとか全く考えていない。

 日々、当時の音楽で知り合った仲間と楽しく飲みあかし、クラブでレコードをかけるDJ(ディスクジョッキー)のイベントの集客のため駅前でビラを配ったり、ついでにナンパして飲みに行ったりして、勉学そっち抜けの日々を過ごす。

 毎日のように高校から同級生のクマのアパートに遊びに行く。クマは、名前の通り、見た目は熊男で、世渡り上手で、大学の授業はそつなく出席し、友達を増やすことに長けていて、単位も余裕でクリアする優等生だった。

 クマに美術部の彼女ができてからは、さすがに気を遣い、行き場に困った。代わりに、パン工場で知り合ったオオツボのアパートに遊びに行った。
 彼の性格は、根はいいやつ。見た目は根暗で眼鏡をしている。それは工場長の眼鏡と全く同じ形の四角い眼鏡だ。彼は、工場長を尊敬している。彼は強面で頼りになる。特に、見た目とは違い、女友達を広げるのが得意で、合コンやら紹介やらで、めちゃ美人な看護師学生を飲み会に連れきたりする意外性があり、よく遊んでいた。

 大学では、学部間の交流が盛んで、法学部でもない自分がいつの間にか、法学部の集まるマージャングループに入った。そして徹夜麻雀「テツマン」する日々となる。そこで、法学部のハスイと出会う。
ハスイの家は、大量のレコードであふれていた。
 
 音楽ではアナーキズム思想とオルタナティヴ・ロック思想について、そして昔の女の話を聞かされることになる。彼は過去の彼女に未練を残していた。
「ヒトミという女にはひどい目に合わされた。二股をかけられた挙げ句に体だけの関係だけがしばらく続いた。でも、精神的にうつ状態になるくらい好きやったからその関係が切れずにいる。でも、今は、本当に別れた」と顔をこわばらせた。
 「ニルバーナのSmells Like Teen Spirit はヤバイから、サトルも聞いてみて。オルタナティブロックというジャンルやねん。今度集めたレコードでクラブイベントとかやろうと思ってるんやけど、サトルも一緒にやらへんか?」

「めちゃ面白そうやん、やろうや。」と二つ返事で意気投合した。

 ハスイは、ディスクジョッキーのイベントのリーダー的な存在で、両親が学校の教師で厳格に育った反動と女性関係で精神的に追い詰められ、音楽にどっぷりはまった。何より音楽の歴史や思想など説明がとても上手だった。
 特に、エリック・クラプトンの話では、「 大事な話があんねん。」 と夜遅くまで、「Tears In Heaven」 の曲の成り立ちの話を聞いた。その晩は、酔いつぶれて雑魚寝したまま、泣いた。

 サトルはの話に戻ろう。
彼は、当時、ディスクジョッキー仲間の中でも、唯一金髪にしていた。金髪にした理由は、完全に勢いとノリである。

 高校からの同級生で大学に入って、順番に金髪にしていき、僕が3人目の金髪だった。金髪は、ブリーチを3本買い込み、友人の家で、3回染めて白髪に近い金髪だった。髪が伸びるとプリンのように黒いキャラメル色が出てくるし、ブリーチを三回もすると、頭皮のダメージも大きいのであまりお薦めは出来ない。
 ただ、当時、自分の殻を破る方法としては手っ取り早かった。金髪にすると周囲の目が一変するし、普通の人は近寄ってこない。ほとんど話しかけてこない。そんな、世界が一瞬で変わることが楽しく、半年くらいは続く。

 当時、もてる男子が大嫌いだった。
DJ イベントのなかで、ギターポップ中心のジュンというおしゃれさんがいた。彼はもてた。だから、当然、サトルは彼が嫌いだった。

 そして、ジュンから、間接的にハスイを通じて、金髪のサトルを見て、「 彼で大丈夫?レコードをスムーズに回せる?」 と、いぶかしげな発言があったが、ハスイが、「 責任を持ってターンテーブルの回し方を教える。」 ということでなんとか丸く収まった。

 サトルは、当時、レコード盤を集めてはいたが、レコードプレーヤーしか持ってなかった。ステージを盛り上がる曲、メロウに踊らせる曲など、緩急をつける必要があった、しかし、奥手のタイプであることは言うまでもない。
 さらに、イベントで盛り上がる有名どころのレコードは数枚しか持ってなかったが、それは個性の強い曲ばかりだった。本番の日が決まってから、イベント当時に流すレコードを10枚ほど選曲する作業に入った。そして、ターンテーブルをスイッチングする作業はハスイの家にある機材しかなくて、直前は夜遅くまでいり浸り状態だった。
 この時に、初めて、ギターの弾き方や、譜面の見方も教わった。そして、フェンダーのストラトとアンプをヤマハで2日間悩んだあげくに購入したのだ。

 かつて高校時代に、「 チキンズ」 というバンドをつくって3日間で解散するという愚業を、大学時代にまた復活させたかったが、ギターの練習はもっと早くに練習しといた方がいい。大人になってからギターを習っても継続させるには、想像以上の才能と努力と仲間が必要だった。

 DJ イベントでは、まず大学で、ビラ配りをして集客する。大阪梅田にある、ダウンという箱を借りて、ギターポップ、オルタナティブ・ロック、パンクロック、ミクスチャーロックと順番にディスクジョッキーも交代で回していく。フロアにいる観客と相対するDJ は、盛り上がりの雰囲気とリズムの抑揚とスムーズに曲の切り替わり(スイッチング)を行い、雑音(ノイズ)や無音状態を作ってはいけない。

 ターンテーブルの針を持つ手が震えた。

 ハスイが「 失敗しても何になかった顔で次の曲にはいればええんよ。」 と勇気をもらい、覚悟を決めた。

 パンクロックの担当の僕の番になると、最初に、緩やかなメロコアの曲から始めて、徐々に盛り上げる曲で、フロアの盛り上がりを煽りながら、爆発サウンドの「 バック・ドロップ・ボム♪」 の曲ではじけさせる。終盤では、昭和のパンクロックバンド、アナーキーの曲を入れた。観客の盛り上がりは、はじけた最高潮から男だけ盛り上げる曲に変わった。

 そして、女性客が少なくなったところで、バトンを次の順番のディスクジョッキーモテ男、ギターポップのジュンへつないだ。彼は、1曲目に「Tracy Ullman – Breakaway ♪」 をかけた。すぐに女性の観客が戻ってきた。そしてイベントは成功という名の、ムーブメントを感じさせる盛り上がりを得て、終幕した。

 多くの良かったという意見をいただいたし、相変わらずジュンは女性のファンに持てた。

 その後ジュンに至っては、イベント終了後、あるレーベルに気に入られて、東京へ進出することになる。うらやましさとあこがれもあり、嫌いなやつだがエールを送った。

 人生の分岐点では、覚悟を決めて、自分の意思で一つの道を決めなければならない。
その道を踏み出そうとするときには、日本では、快く送り出す、敬礼のような古いしきたりがあるはずだ、日本の文化へのオマージュとともに新たな旅たちを僕たちは祝福した。

 こんなイベントを繰り返したのちに、なんとかなる楽観主義者の、おおばかものは、ついに留年をすることになる。19歳の自分の力は、とてもちっぽけで、親身に気にとめる大人もいなかった。

 唯一、京都の親戚の叔父から、「元気か?飯でも、いくか?」と連絡があった時には、すでに時遅し。もう単位が、取り返せない状況だった。

 「顔色が悪いな。人生はやり直しができるゲームだよ。学生にはモラトリアム期間(猶予期間)があるんだよ。でも、それをやり過ごすとやり直すのは大変だぞ。オマエは社会で自分の位置が今、どこにあるのかわかっているのか?
 社会は大きな三角形のピラミッドの階層でできている。オマエはいま、その最底辺にいる。這いつくばって上を見上げて見ろよ。」
 クスリとも笑わない金髪の自分を、怪訝な顔で叔父は話しかけた。僕は、自分が底辺をはえずりまわるネズミのような存在に思えた。

 ただ「ネズミだって楽しむことはできるんだ。」そう開き直る哲学もきっとあるはずだ。「我思う故に我あり。」ドイツの哲学者デカルトの言葉だが、大人との距離感、社会との距離感を測るにはまだ若すぎた。

 そして、大学生の2回生となり、すっかり夜型人間となった僕は、40単位が進級条件のところ12単位しか取得できず、ついには留年することになる。

 それは、同級生だと思っていた仲間同士が1階で談笑したあと、エレベーターに乗る瞬間、2階から3階に行くのに、一人だけ重量制限オーバーで「 ブーーーーーーーーーー」 とブザーが鳴り、一人だけ降ろされるような感覚だ。

 そして、上階に行く仲間を、手を振って、指をくわえて見送る。一人、島に取り残された気分だ。ついに、完全に一人になった。

 留年すると、同級生が三回生へ進級するのに、ひとつ下の二度目の2回生という猛省の日々を送ることになる。特にいやだったのは、2回生の必修単位に「体育」の授業があった。

 「なんで大学生になってまで体育の授業を受けないといけないのか」と理解できなかったが、仕方なく出席した。そこでは、年下で唯一、仲良くなった、鈴木ボンバー(名前は鈴木で父が体育教師で昔からボンバーと呼ばれていたらしい)と仲良くなり、その体育の単位もなんとか取得した。
 彼は、コミュニケーション能力が高く、男女問わず人気があった。進級できたのは彼のおかげだろう。

 電話で、親に相談した。とにかく勉強のやる気はあるけど、バイト生活など、夜型人間になったことが原因で単位が思うように取れなかった。
 自分の責任なのに自由放任主義の監督不行き届きという、親へ責任転嫁して、言いがかりをつけた。

「 やる気があるのでチャンスがほしい」 と、なんとか学費は出していただくとになった。
 僕の大学では、法学部と文学部、経営学部があり、いろんな仲間と交流ができる。ある日、法学部のハスイに紹介された、「クニ」と出会った。
 彼は、1回生のときに人妻と恋に落ち、文学部を1年で中退し、人妻の旦那の会社に就職した。不思議な三角関係を保ちながら、建設会社で仕事を続けていた。

 彼は音楽と女に一筋という生き様で笑顔が二枚目俳優のようにさわやかで、性格もオオツボとは正反対の男気のあるナイスガイだ。ハスイとクニは音楽性も共通していて、北野武監督の「キッズ・リターン」の世界観に似ていて、羨ましいほどで、何か共通の価値観と人生観を共有しており、まさに親友という印象だった。ハスイが悩んで切れずにいた前の彼女のヒトミのこともクニには相談して断ち切れたらしい。
 やはり、恋の相談は、誰か背中を押してくれる助力が必要だ。

 よく二人で音楽や恋愛のことで話をした。サトルは彼女の話をよくして、自慢したりしたが、クニからは、あまり彼の女の話をしたがらない。それほど一途だったということだったと思うし、チャラついた感じは全くなかった。真剣に一人の女を愛し向き合っていたのだろう。だから、女関係では、相談もしたし、さみしさを紛らわすためよく二人で飲みに出掛けた。彼の笑顔を見ると、不思議と自分の悩みがちっぽけに思えて乗り越えられそうな気がしてくる。

 クニは、「 パンション」 に住んでいて、飲みに行くと口癖のようにいつも言っていた。「 パンションは、マンションよりも上の階級なんだよ。成り上がるための上昇志向の城やねん。」
 パンションとは、共同の玄関と共同のトイレ。風呂はない。風呂は彼女のマンションで入れてもらうと言っていた。彼は、中退した負い目や、すでに働いていたこともあり、社会の厳しさを日々、懸命に生きていた。ハツラツとした笑顔は、たくましく、当時のどうしようもなく、あがいている自分からは少し大人びて見えた。
 
 ふたたびサトルの話に戻ろう。

 実はこの一年間で、彼女ができたのだ。彼女との出会いは、中学からの友人が、所属している大学のサークルでの新歓コンパで知り合った。 隣の席にすわり、ひと目見て、彼女しかいないと確信するほど一目惚れである。とにかく短い時間だけどストレートに口説いた。
 
 そして、初めてのデートの約束にこぎつけ、心斎橋三角公園で待ち合わせをする。赤い革製のカバンを「 たすきがけ」 にしていた彼女の胸の谷間にドキドキときめいたのだ。 同い年だけど、関西弁の彼女は、異次元の人だ。小学生の高学年の頃、家族旅行で、京都の旅館で、卓球をしていたときに出会った、関西弁の家族の同い年くらいの女の子も関西弁で、チャキチャキしていて、その頃から憧憬の憧れがある。
 彼女は短大卒だったので、社会人一年目。自分より年上を感じさせるお姉さん的存在である。

 彼女とは次のデートで映画を見ようということになる。 そして僕の家に必然的に来てから映画を見るのだ。このときに見た映画は、「スワロウテイル」だ。映画の内容は、途中までしか見てなくて、頭の中は彼女にどうやって、どのタイミングで、襲いかかろうかという、間合いを計ることでいっぱいだった。 
 
 そして、不器用に、彼女の肩を寄せて、歯が当たるくらいの勢いでキスをするしかなかった。実際、僕も女性には不慣れで、彼女にだいぶリードしてもらったのだと思う。よく覚えてないのだ。

 そして、体の関係を結び、付き合い始めた。付き合ってから関係を持つか、関係を持って付き合うかは、当時も今も賛否両論あるが、そのシチュエーションは様々だ。 
 人生では、関係を持ってからつきあいを考えることが多い。絆の作り方は様々だけど、どちらが正解なのかはいまだにわからない。ただ、付き合うということになれば、自分の彼女として友達に紹介もし、大事にする必要があるのだ。昔から、男という存在は女の人を守るために存在すると信じている。
「世界は救うことはできないが、一人の女性を救うことくらいはできるはずだ。」
 そして、車道で歩くときには、彼女を安全地帯の歩道へいざない、自分は車にぶつかりそうになりながらも、彼女を守るという男気を持つようになる。
 
 二人はお互い、共通点がほとんどなかった。でも、彼女に惹かれた。彼女には、相通ずるなにかがあった。彼女と一緒にいれば何もいらなかった。
 すべてにおいて彼女に、意識が向いていた。当時、パンクロックバンドのボーカルでシド・ビシャスがしていた南京錠のついたネックレスをプレゼントされしばらくつけていた。原付バイクのベスパで、彼女と二人乗りをしていて、よく警察にも捕まり、減点を受けたが、それすらも楽しい日々だ。
 彼女と付き合うようになり、家の合い鍵を渡した。この合い鍵でよく彼女はご飯を作りに来てくれた。
 大学から帰ったら、カレーを作って待っていてくれた時なんかは、これまでの生活にはない彩りを感じることになる。カレーをつくって待っている彼女は、夕暮れのオレンジ色に照らす部屋で、「コトコト」と鍋を温めている。 
 そして、彼女が笑顔で、「おかえり。サトル♡」という夢にまで見たシチュエーションだ。これは夢だ。現実ではないのではと見紛うほどた。

これまでの日常風景から一新した。

 夕暮れのオレンジ色の部屋の中で、エプロンを着けた彼女を後ろから抱きしめる。そしてキスをする。「鍋がコトコト」と音を立てても二人は、抱擁をやめれない。嬉しくて彼女を抱きしめてしまうのだ。 
 この瞬間が永遠に続くことが、「幸せ」という感覚なのだろうと思った。しかし、何かを得ることになれば、何かを失うことになることが後でわかる。ただ、彼女ができた喜びは何事にも代えがたい。

 ある夏の日にはPL花火を一緒に見に出掛けることになる。夏の暑い日に近鉄の生駒駅まで電車で行き彼女の会社の管理するマンションの一角で見物した。夏の夜空に咲く大輪の花火はとてもたくましく強かった。
 「たまやー✨ 。かぎやー🎇 」とはしゃぐ彼女を見ているのがとても好きだった。その日の風景が目に焼き付いている。夏の暑さと沸き立つような地面からの熱と夜空を彩る花火。
 彼女の弾けるような笑顔とはしゃぐ声。
 他になにもいらない。
 できるだけこの時間が続くことを願った。
 秋には、京都の嵐山に紅葉を見にいき、出町二葉の豆大福を歩きながら食べた。   
 クリスマスには、初のディズニーランド旅行に行った。初めての東京旅行では、彼女がすべて旅行は手配してくれた。
 当時、東京は、地下鉄サリン事件の起こった直後で、地下鉄を乗り継いだりしたときにも、あちこちに警官が見張っていて、レコード探しをしながら、サリン事件の現場に行こうということになり地下鉄に乗り、二人で警官を見ながらはしゃいだ、東京弁を話す人々を見て、まねするだけで、テンションが高く二人で大笑いして東京の街を闊歩する。 
 夜は、ホテルに二人で寝転んで寝ていたときに彼女からの一言。
 「ごめん、今日は月に1回の日なんだよね。」
サトルは意気消沈してしまった。 
 そんなとき男は、彼女の体をいたわり、ぐっとがまんするしかない。そして、まさに「その日だから」といわれたわけだから、少し離れて寝るしかなかった、その時だった。

 突然、ミッキーマウスマーチ♪を口ずさみながら、サプライズのプレゼントをしてくれたのだ。 

 手編みの手袋だった。

 これを通勤時の電車で編んで、1日1回の電話の会話のあとに編んでいたことを知らされ、涙が頬を流れる。 不覚にもベッドで隣に女がいるのに嬉し泣きをしたのだ。 
 
 初詣は、ついに僕の地元広島宮島旅行へ行くことになる。宮島旅行では、青春の18切符を二人分購入し、ローカル沿線で、大阪から瀬戸内の沿岸を、半日かけて電車の旅だ。 
 しかし、この旅行では、僕は宿を取っておらず、とても怒られた。 多分、「 実家に泊まればばいいんじゃないかな」 と楽観的な考えだったのが、とにかく甘かったのだろう、彼女は、気を遣うから実家には泊まりたくないのだ。(まー、当たり前だが、彼女の考えを予想できなかった未熟さが自分にあった。) 
 そして、どうしていいかわからず、終電を終えた広島駅でうろうろいている僕を捕まえて、タクシーに乗り込んだ。 
 運転手に「近くのラブホへいって。」そうタクシーに注文をつけた彼女はとても頼もしく、僕は、何もできずに彼女の言うまま、ホテルに到着。

 結果はオーライ。 
 しかし、「 なんとかなるさ」 の「 ケセラ・セラ」 の精神が、また彼女の怒りを誘い、ホテルではお説教タイムだ。 
 当時の僕は、体の関係を持つことがすべてでこの日もそれが目的化していたのだ。
 しかし、彼女は違う。
 女性は、色んな感情(たとえは、この人で本当にいいのかと考えている。旅行のプランを持っていなかったことを悔いている。本当に将来この人と人生を歩んでいいのか悩んでいる)があり、体の関係を目的化した僕とはこれから果たして付きあっていくのが良いのか不安になるのは当然だった。

 しかし、当時の彼がそんな事がわかるはずもなく、彼女といる時間がすべてで、幸せで、客観視したり大人として成長したりするような視点は全くない。
 彼女は友達感覚もあり恋人である。彼の思春期では、もっとも長くお付き合いをしたまぎれもなく運命の人だ。
 宮島に行く途中、実家に彼女を連れて行った時のことだ。実家に彼女を連れていくのは初めてのことで、母親がなにを思ったのか、近所の小料理屋で、「 二人前の折り詰め寿司」 を準備してくれた。彼女は手土産など持ってなかったので、なにか持ってくれ
ば良かったと後悔していた。
 しかし、僕も彼女の実家に遊びにいったときに、手土産なんて持ってなかったし、彼女の姉の手作りコロッケをいただいて、帰りに彼女の父親に車で駅まで送ってもらったときには、緊張してなにも話ができなかったし、そのような通過儀礼の時どのように準備して、どんな行動をするのが大人として正解だったのかわからないが、間違いないのは自分が無知だったことだ。
 
 とにかく彼女の実家に行ったことを友だちに自慢することが嬉しくて、それ以上の関係にするにはどうしたら良いかなど方法はわからなかったのだ。
その後、学生の自分に、果たしてこのまま付き合って大丈夫だろうかという不安は彼女にあったと思う。
 
 ある日、彼女の運転で神戸や芦屋付近をドライブした時のことだ。
 
 彼女は「 いらち(いらいら性)」 だった。ある帰りの高速道路の道中で、口げんか😠 をした。そんなときに、二人で前を走る車を指さして、こう言った

 「ハイウェイで上りに進む渋滞で連なったテールランプと、下っていく連なったヘッドライトの流れを見てよ。サトルは車がこっち向きに来ている車と向こうに行く車、どっちを先に見ている?」

「あっちにのぼってく車かな」と答えた。

「じゃあ、私たち同じ方向を見てるやん、良かった。」
 微笑んで仲直りした。
 
 七月の初旬、暑さ和らぐ雨が外で降っている。夜中に雨音で目が覚める。

 キャミソールを着た彼女がベッドの隣で、虚ろな彼女が優しく囁く。
「どした?」
彼女の声は僕を気づかっていてとても優しく、まるで、これまでの不甲斐なさをすべてを許してくれるように、笑顔でたずねてくれる。

「雨だね。雷も鳴っている。怖いね。」
 ふたたび彼女は、腕枕のなかで寝息を「スースー」と心地よく耳元ではいて、僕を安心させてくれる。
 また雨とともに雲の上では轟々と何か噴出しそうな音が鳴り響く。

「キスして。」
彼女は僕の目を見つめて目をつむる。
 僕は、優しく、腕枕の彼女の唇に唇を合わせる。彼女が反応して唇を求めるように、探すように舌先を確かめ合う。温度が伝わり、感触が二人の心に火を灯す。僕は、彼女のキャミソールをゆっくりまくりあげ、太ももからふくらはぎを優しく撫でる。彼女は僕の脇腹あたりをなでる。彼女の陰部に優しくこっそり手をのばし陰部が濡れているかを確かめる。
 そして、雷が鳴りひびくなか怖さを紛らわすように彼女は吐息とあえぎ声をだし、興奮させるのだ。 

 夏の幸せなひととき。誰にも隠しておきたい二人だけの夜だ。彼女の声はだんだん激しくなる。僕の息づかいも応じて声とともに頂点へと上っていく。
 行為が終わると、ふたりは抱き合って安心したように、ふたたびに眠る。腕枕の中で静かに寝息が「スースー」と鳴り響き耳元に息があたる。
 
 まるで何もなかったかのように。

 今でも、夏の暑い日に、蝉しぐれの中、昼寝をしていると、隣に彼女が現れる。

 手を伸ばして、彼女の肩に触れ、抱き寄せてキスをする風景を想い出す。毎年この時期に見る夢にあらわれる永遠の空蝉だ。

 そして、サトルの留年をきっかけに彼女も責任を感じたのか大学に一緒に休みの日に来てみたりして、しばらく付き合っていたが、もがき苦しみ勉強をし始めた自分に、愛想がつきたのか、お別れすることになった、別れ際に、未練たらしく僕はプロポーズをした。
 
 彼女は「あなたの10年後、20年後または年寄りになって思い出す人になりたい。

 結婚すると現実の人だけど過去の人はいつまでも、輝いたままの二人でいられるから、笑顔で別れよう。」

心に染みるお別れの挨拶だ。

 ついに運命人であるはずの彼女と若さゆえに別れを決心する。 
 しばらく感情は、吹き荒れた野原のようで何もなく空虚で、春なのに冬の木枯らしのようにむなしい日々がつづいた。
 心の中に吹きすさぶ木枯らしがなくなるまで、相当の時間が必要だった。半年から一年は、別れを振りきるためこれまでの反動が押し寄せた。

 彼女は、心の中で、美化され、いつまでも、心の奥が彼女の居場所となっている

第1章 了 
つづきはこちら↓↓↓




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