「北越雪譜」を読む:20
前々回(18回)、和裁をしていた母のことを長々と書いたのは、麻糸を反物に織り上げる越後の女性たちに共感を覚えるからなのだが、女性たちがどのようにして機を織り、また、どのような心持ちでその作業に向かったか、そういったことが描かれた箇所を読む前に、どうしても飛ばすわけにはいかないのが、麻という素材そのもののことだ。
前回、縮とは何ぞ、ということを鈴木牧之の言葉を借りつつ書いた。
今回は、植物の麻がどのように麻糸になり、反物になるかというお話。
(母の話はこの後で良かった。つまり、書く順番を間違えた)
植物の茎から取れる繊維が、どうやって着物の生地になっていくのか、岩波文庫の「北越雪譜」では2ページ程に短くまとめられている。
短くて済んでいるのは、当時の人々にとって、麻が身近な素材だったからかもしれない。麻が糸になり、反物に織り上げられていく工程を、細かにではなくてもある程度想像できたということだろう。
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へそくり、という言葉は一説には綜麻繰りと書く。
綜麻とは、糸にした麻のことで、この糸を紡錘に巻くことを綜麻を繰ると言ったことから、女性が綜麻を繰って稼いだお金の余剰をこっそり貯めておいたものを綜麻繰りというようになったそうである。
単に、隠し持ってお腹の辺りから出すお金、という説もあるようだが、少し前までへそくりは夫に隠れて妻がしているものというイメージもあったから、綜麻繰りの字はその雰囲気をよく表しているように思う。あるいは、反対に綜麻繰りの字が、へそくりとは女性がするものというイメージを植え付けたかもしれない。
「北越雪譜」に、以下のような文章がある。
…縮に用いる紵は、奥州(岩手県の一部)・会津(福島県の一部)・出羽(山形・秋田県の一部)・最上(山形県の一部)産のものを用いる。白縮はもっぱら会津のものを用いる。とりわけ影紵というものは極上品だ。
また、米沢(山形県)の撰紵と言われるものも上級品だ。
越後の紵商人がこれらの国に行って、紵を仕入れて、自分の国で売る。
紵をこれらの国でも‘そ’と言うのは古い言い方である。
麻を古い言い方で‘そ’と言ったのは、綜麻という時のあの‘そ’の類である。…
紵と綜と、似た字が出てくるので少しややこしい。
当時、紵と呼ばれていた、現代でいうところの麻は、さらに昔には紵と言われていた。
紵と書いて‘を’と読むのは、麻を‘お’と読むことがあるのと共通する。‘そ’がどのようにして‘を・お’と読まれるようになったのか、麻を表す言葉がいつごろから‘そ’という響きから‘を・お’という響きにとって変わられたのか、そのあたりのことはわたしには分からない。
ちなみに麻を‘そ’と言うのは、万葉集にも見られる。
また綜は、混じる、一つにするなどの意味があり、糸が撚られた様子を表すと考えられる。
ところで、紵という字は、今この記事を書くためには「ちょ」と打って変換している。
急に出てきた「ちょ」とは何かといえば、苧麻のことだ。
苧は、カラムシとも読み、茎の繊維が麻となる草木である。
麻は、草木の茎を使った繊維のことを指す。その中でも苧を使った繊維を、その昔は紵と表し、現代では主に苧麻と書くことが多い。
麻、の一文字で済みそうなものを表すのに、いくつもの漢字や読みが今も残るということは、それだけ日本各地で古くから扱われて来た素材だということだろう。
日本で古くから使われている麻は、カラムシの繊維を使ったものが多いが、洋服やハンカチに使われる麻はフラックスという可愛らしい花が咲く植物の繊維で、リネンと呼ばれる。フラックスはフランスやベルギー、チェコなど欧州が主な産地だ。
麻ってチクチクするでしょ、と、販売職をしていた頃よくお客さんに言われたが、繊維の長いリネンはあまりチクチクしない。なめらかでひんやりした肌触りが特徴だ。
チクチクする麻のイメージは、麻袋などのゴワゴワした繊維を思い浮かべるからだろう。ジュートやヘンプなど、植物の茎を糸状にしたものも広くは麻と呼ばれるので、麻という言葉がカバーする範囲はとても広いことがわかる。
とは言え、元は植物の茎である麻は、初めから衣類にするのに適した柔らかさを持つ、と言うわけにはいかない。
麻を柔らかくする工程が、砧打ちだ。
麻や、その昔は葛の繊維などを、台の上に置き木槌(砧)で叩き柔らかくする。布の皺を伸ばしたり、紙を薄く伸ばすことも砧を打つというようだが、繊維を柔らかくする砧打ちは、その音を含めて(ポクポク?コンコン?)、秋の風物詩、冬の準備の光景だった。砧、は秋の季語である。
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紵(麻)の繊維をつなぎ長い糸にする作業を、紵績みといった。
…私が一年江戸に滞在していた頃、ある人に言われたのだが、縮に使う紵(麻)を績む(紡績する)にはその辺りの女性たちが誘いあわせて一家に集まり、その家で使う紵を績み、互いにその家を巡って績むと聞いたがどうなのか、と言う。どんな人がそんな嘘を言いふらしたのだろう。…
久しぶりに勝手なイメージにぷりぷりしている牧之さんであるが、これはわたしも牧之さんに謝らなければいけない。
女性たちが集まっておしゃべりしながら手仕事をしているイメージ、持っていました…!
鈴木牧之は続けて、「そうは言っても魚沼も広いから、女性たちが集まって紵を績むところもあるかもしれない。たとえあったとしても、それは下級品の縮に使う紵のことだろう。下級品のことはちょっと置いておくことにして論じない」と手厳しい。
中級品以上に用いる紵を績むには、決まった場所を定めて体勢を正しくし、呼吸に合わせて手を働かせて作業をする。場所を定めず仮のところで作業をすれば、自然と心が鎮まらず、糸に太い細いが出来て用をなさない、という。何人も集まってするようなものではなかったらしい。
また、普通の人が紵を績む時は唾を用いるけれども、縮の場合は茶碗のようなものに水を蓄えてこれを使う、とも書いている。
紵の繊維の端と端を結ぶのに、普通は唾で指先を湿らせたのだが、縮の場合は容器に溜めた水で指を湿らせたということだ。湿らせるためだけではなく、常に手を清めながらの作業だった。
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紵績みで出来た糸を、撚って織糸にする時も、同じく、座を定め体勢を整えた。
…そもそも、績み始めてから織り終わるまでの作業はすべて、雪のある冬に行われる。上級品に用いられる毛よりも細い糸を縮めたり伸ばしたりして扱うのは、雪中に籠っている天然の湿気がなければ為すのは難しい。…
適度な湿気がないと(もともと麻の茎を割いたものである)糸は折れてしまうし、折れると弱って切れることがあるので、上級品の糸を扱うところは強い火気を近づけない。時には織るのが遅れて二月(新暦では三月)の半ばになり、暖かくなって雪中の湿気が薄くなってくると、大きな鉢のようなものに雪を盛って機織りの前に置き、その湿気を借りて織ることもあった、という。
女性たちは、かじかむ指で寒さに震えながら、糸を作り布を織ったのである。
ここでまた、現代人にはピンと来ない陰陽の話が出てくる。
麻で出来た布を、単に布と言ったというのは、前回書いた通りである。木綿が普及する前、布といえば麻で織られたものだった。
そして、おそらくこの「北越雪譜」の中で最も知られた文章が、ここで登場する。
だからこそ越後縮は雪と人とが気力を合わせた名産として知られる。魚沼郡の雪は縮の親と言うべきである…、と続く。
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ようやく、次は機織りを生業とした女性の話が書けそうだ。
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