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「北越雪譜」を読む:9

 熊胆ゆうたんという生薬しょうやくがある。
 生薬とは、「動植物の薬用とする部分、細胞内容物、分泌物、抽出物または鉱物など」(登録販売者テキスト2 U-CAN)のことだ。
 漢方薬に使われることが多いと言えばイメージしやすいだろうか。
 熊胆は、熊の胆嚢を乾燥させた生薬である。

 越後国の地図を思い浮かべてみていただきたい。範囲はだいたい、現在の新潟県と変わらない。

 越後の西北は大洋おおうみに対して高山なし。東南は連山巍々ぎぎとして越中上信奥羽の五か国にまたがり、重岳高嶺ちょうがくこうれい肩を並べて数十里をなすゆゑ大小の獣はなはだ多し。此獣雪を避て他国へ去るもありさらざるもあり、動かずして雪中に穴居するは熊のみ也。

北越雪譜 初編 巻之上
熊捕

 越後国の西北は大海(日本海)に面していて高い山はない。東南は高い山が連なって、越中(富山)、上信(長野)、奥羽(東南に限定すれば福島)に跨り、高山の山並みは数十里(一里はおよそ4km弱)に渡るので、大小の獣がたくさんいる。これらの獣は、雪を避けて他国へ去るものもあれば去らないものもあって、動かずに穴居するのは熊のみである…。

 越後の熊胆は上物とされたという。特に雪中にとれたものは高い値で売れた。
 この貴重な熊胆を手に入れようと、春が近づいて寒さが緩み雪が降り止むころ、出羽(山形・秋田)あたりの猟師がチームを組んで越後国にやって来た。

 80年代に小・中学生だった方ならば、「銀河-流れ星 銀-」というアニメを覚えておられるだろうか。原作は、週刊少年ジャンプで連載されていたマンガで、人喰い熊と闘う熊犬たちがたくさん登場する。
 熊犬とはマタギ犬とも言って、狩猟者とともに山に入り狩猟の助けをする犬だ。
 主人(犬)公の秋田犬・銀は、祖父(犬)たちを殺した赤カブトという大熊に復讐するために、仲間を集めていく。登場人物がほとんど犬と熊という、ちょっと珍しい友情と闘いの物語だ。

 この赤カブトという熊がめちゃめちゃ怖い。物語の舞台は本州の東北地方だが、赤カブトは北海道にしか生息しないはずのエゾヒグマとツキノワグマのハイブリッドという設定だ。
 ツキノワグマは体長も体重も人間の大人と変わらないくらいだが、エゾヒグマは大きいものだと、体長2.3m、体重250kgほどになる。450kgにもなることがあるそうだ。

 銀たち熊犬と、熊たち、とくに赤カブトの闘いは、いつも血みどろで壮絶だった。
 私にとっては、「北斗の拳」で秘孔を突かれて死ぬより、赤カブトに食い殺される方が恐ろしかった。銀たち熊犬も、一度熊の喉笛に喰らいついたら絶対に離さない!というド根性なのである。

 越後国にいるのはツキノワグマである。しかし、エゾヒグマでないからと言って恐ろしくないわけではない。
 危険を顧みずに熊を狙うから、熊胆は貴重でありその値段は上がったのだ。
 猟師たちは熊犬を連れて、米と塩と鍋を持って山に入った。山から山を渡り歩き、昼は猟をして獣を食べ、夜は木の根や岩の上で寝て、生木を焚いて暖をとり明かりとした。

 場所を見極めて、木の枝や藤蔓をつかって仮の小屋を作り、それぞれ犬を連れて四方に別れ、熊の様子を伺った。
 熊の籠る穴を見つけて目印を残したら小屋へ帰り、今度は仲間を連れ、力を合わせて熊を捕ったという。手には、柄の長さ四尺ほどの手槍や山刀、鉄砲などを持って熊と対峙した。

 そもそも熊は和獣わじゅうの王、たけくして義を知る。菓木このみの皮虫のるいを食として同類の獣をくらはず、田圃たはたあらさず、稀に荒すは食の尽たる時也。

北越雪譜 初編 巻之上
熊捕

 熊は日本の獣の王で、強く、正しいことを分かっている。木の実や虫を食べて、獣は食べない。田畑を荒らすことなく、稀に荒らす時は食糧のない時である…。

 現代では毎年のように、人里に熊が現れてゴミ箱を荒らすというニュースが世間を騒がせる。熊に限らず、鹿や猪が増えて畑を荒らすといった問題もある。
 かつては狩猟によりコントロールされていた生息数が、狩猟の機会が減って、野生動物と食糧とのバランスが狂っているのだろう。
 本来、わざわざ危険な目に遭いに野生動物は人間の前にやって来ない。山に食べるものが不足して人里に降りてくるのだということは、ニュースでも触れられるので、現代の人も知っている。
 賢い生き物だから殺してはいけないというようなセンチメンタリズムでは、解決しない問題だ。
 同時に、危ないから殺しちまえ!と一頭の命を奪ったところで、やはり解決はしない。

 冬眠中の熊は、ほとんど食事を摂らないので、熊胆の質は夏場より百倍良いとされたそうだ。そのため猟師たちは、何mもの雪が積もる山中を、熊を探した。

 熟練した猟師で勇気のある者は、仲間の猟師を穴の前に待たせて、みのを頭に被って一人、熊の眠る穴に入った。蓑の毛に触れるのを熊が嫌って、蓑を避けて前に進む。これを繰り返して熊を穴の奥から入口の方へ誘導し、出て来たところを待ち受けた猟師が槍で突いて仕留めたという。
 このやり方を、鈴木牧之はあまり評価しなかったようだ。

一槍あやまつときは熊の一掻に一命を失ふ。その危をふんで熊をとるわづか黄金かねの為也。金欲の人を過事あやまつこと色欲しきよくよりも甚し。されば黄金は道をもつべし、不道をもって得べからず。

北越雪譜 巻之上
熊捕

 一槍を失敗すれば、熊の一掻きで命を失う。その危険を冒して熊を捕るのは、僅な金のためだ。金銭欲が人を間違わせることは、色欲より酷い。だから、金は正しいやり方で得るべきで、間違ったやり方で得るべきではない…。

 金に目が眩んで、無理なやり方で熊を捕えて熊胆を手に入れようとするのは愚かだと、鈴木牧之は言っているのだ。

 熊は捨てるところがないというが、特に肉は美味しいそうだ。苦労して熊を捕るならば、美味しくいただき(何人前もの肉が取れる)、ささやかなご褒美として熊胆をお金に換えるべきなのだろう。
 江戸時代でも肉食を全くしなかったというわけではない。熊や猪の肉は美味しく滋養がつくものとして、特に山間部では食べられていたようだ。

 熊胆は、現代でも漢方薬として珍重される。中国をはじめアジア各地に、熊農場と呼ばれる熊の飼育施設がある。
 中国で作られた熊胆の一部は、日本にも輸出されている。
 日本では熊猟の機会が減って、熊胆も手に入り難くなった。熊胆を作る技術の継承も、難しくなっているようだ。中国からの輸入に頼っているのには、そういう事情がある。

 熊胆は主に健胃作用を期待して使用するもので、つまり、胃薬だ。
 熊胆は恐ろしく苦い。その苦味によって健胃の効果があるとされるが、現在では手に入りやすい牛胆で代用されることもある(登録販売者テキスト2 U-CAN)。また、化学合成も可能である。

 先日、中国で、生きた熊の腹にチューブを繋ぎ胆汁を取り出している、というネットニュースを観た。熊は弱って死ぬまで、チューブを繋がれたままだという。
 ここまで酷いことが、熊飼育の現場全てで行われているわけではないかもしれない。しかし、人間の胃の働きを助けるために、命を犠牲にしている熊が今も存在するのは紛れもない事実である。



 サーカスの熊ですら遠い記憶になりつつあるというのに、虐待される熊のニュースを見ることになるとは思わなかった、と言えば甘すぎるかもしれない。
 片や、食べるものに事欠いて人里に出て来ざるを得ず害獣とされ、片や、人間の欲望のために内臓を生きたまま搾取される。どちらも、古くから現在まで、熊という生き物が人間の近くにいたからこそ生じた、関わりの究極の姿だ。

 食糧としてはもちろん、薬や衣服となる生き物に感謝と敬意を持つことは、おためごかしの綺麗事ではなく、この地球でできるだけ長く人間が他の生き物とともに生きていくために、どうしてもしなければならない最低限のことではないだろうか。

次回は、熊のほっこりするお話。の予定です。

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