古本屋になりたい:47 本屋の記憶
その昔ニチイだったところが、サティになり、マイカルになり、イオンになり、5年ほど前、完全に閉店した。
家からバスで5分かそこら。
小学校高学年になると、子どもたちだけでも行けるところ。
その隣にシネコンが出来たのは、ついこの間のことのように思える。家から5分のところで映画が観られることに不思議な感覚を覚えたものだが、そのシネコンももう何年も前に潰れてしまい、跡地には古くから地元で知られる病院が移転して来た。
ニチイだった頃からずっと、館の中にはK書店があった。
正確にいうと、ニチイもしくはサティもしくはマイカルもしくはイオンだったスーパーマーケット部分と専門店街に館内は別れており、K書店はもちろん専門店街にあった。
週末に家族で買い物に出かけるときは、道路の混み具合や運転する父の気分によって、車をどこに停めるかで館内に入るルートは変わった。6割くらいの確率で、K書店に近い入り口を利用した。
もっと小さい頃は、スロープを登った先にある屋上駐車場に停めるのが楽しかった記憶があるが、子どももだんだん現実的になる。ニチイに来たらまずは本屋さん、というのが小学生の私の第一優先だった。
本を読んだり、生き物や世界のドキュメンタリーをテレビで見たりする私の小生意気な趣味は、親としては拒絶しがたい良い子の嗜みで、たいていの場合受け入れられた。妹や弟はどう思っていたか分からない。
私はK書店で、あかね書房の「徳川家康」を買い、クレヨン王国シリーズを買い、ナルニア国物語を買った。
K書店は、スーパーマーケットに入っている書店としては小さい方だった。「快速の止まらない駅前の本屋」くらいの広さしかなかった。
レジの前に児童書コーナー、レジから目の届くところに漫画コーナー、文庫の棚が一列、背中合わせにハードカバーと料理書や手芸本で一列、参考書や実用書で一列、館内の通路に面してL字型に雑誌コーナー。少しだけ、郷土の本コーナーもあった。
それだけだった。
よくあのスペースに、ほしい本がちゃんとあったものだと、今しみじみと思い出す。
K書店にほしいものがない、ということは無かった。
いや、よく考えてみれば、小学校四年生の夏休みにナルニア国物語を近所のお姉さんに借りて読んで、年が明けてお年玉を握りしめてK書店に行ったのに、ナルニア国物語は置いていなかった。くそ、田舎め、などと私は思うことなく、目についた中で一番分厚かった「クレヨン王国月のたまご」を買って帰って私は満足だった。
不思議と、あの頃自分の住んでいる街に、何か足りないものがあると考えることは無かった。
コンビニはまだほとんどどこにもなかったし、UNIQLOも存在しなかった。スタバどころかドトールもなかった。というかそもそもカフェなんてなかったのだ。あるのは喫茶店で、大人に連れて行ってもらってミックスジュースを飲むところだった。
ATMだってなかった(たぶん)。お金は窓口でおろすものだった。
中学に入って、友達と街の海側を走る私鉄の駅の方まで遊びに行くようになると、駅前のK書店の本店に行くようになった。
ここも狭くて、それこそ快速の止まらない駅前の本屋くらいの広さだったが、実際には急行が停まる駅なので、本屋の方が小さすぎたと言わざるを得ない。
高校の頃には、幹線道路沿いにK書店の大型店舗が出来て、しかしここはわざわざ足を運ばなくてはいけないので重宝とは言い難かった。この辺りで一番大きな書店だったのは間違いなく、ちょくちょく行ったのだが、これという思い出がない。
結局この街には、ずっとK書店しかなかったし、今もK書店しかない。
Fという書店が一時あったが、いつのまにか併設のレンタルビデオショップに飲み込まれて、今はどちらもない。
ほんの短い期間だが、海の近くのショッピングモールにヴィレッジヴァンガードが入ったことがあった。この辺りの人が本を読まないからなのか、ヴィレヴァンが手を広げすぎたからなのか、わざわざ行きたいところが出来たと喜んだのも束の間、2年も経たずになくなってしまった。
昨年の夏、元ニチイだった元イオンが、再びイオンとしてリニューアルオープンした。
これまでの改装は、元の館を活用したものだった。ニチイ、サティ、マイカルと社名が変遷し、会社が無くなり、イオンとして再出発した時もまだ、建物は基本的に昔のままだった。増築はしても躯体はそのままだから、ちょっと天井が低くて、母は「圧迫感があるから嫌い」だとよく言っていた。
新しいスーパーマーケットは、元の建物を跡形もなく壊して、二階建てのイオンになった。
真ん中に駐車場があって、それぞれ個別の建物を持つユニクロとジーユーと、スタバと、マクドと、JINSと、シャトレーゼと、ペットショップと、スポーツジムが、駐車場をぐるりと囲んでいる。その昔自転車置き場だったところには人工の芝生が敷かれていて、子どもたちがボール遊びをしないように警備員が見張っているが、ゆっくり腰を下ろしていいらしい。
私は芝生に腰を下ろすことはないが、もし腰を下ろして入ってきた方を振り返ってみたならば、懐かしい建物の名残が見える。
美容室や理容室、お好み焼き屋や、ドコモショップが入っていた専門店街の路面店の建物だけが、残されたらしい。
何のためだか分からない。古くて使いにくいだろうに。
懐かしさとか、思い出のためだろうか。
黄土色の瓦を背負った、おそらく南欧風を意識した建物の端っこだけが、遺物として残されている。向いの専門店街は、味も素っ気もない新しい建物に変わったのに。
専門店街のK書店に近かった入り口は、跡形もない。イオンの搬入口になってしまった。
足りないものがなかったK書店はもうない。
私鉄の駅前と幹線道路沿いにはまだK書店があるが、ここではなぜかほしいものが見つからない。私が贅沢になったのだろう。
でも、なくなってほしくないから、月に一度は何かを買いに行く。日本の作家の文庫本とか、K書店に売っていそうな本の目星をつけて。
笛を吹く女神のような民芸調のブックカバーだけはずっと変わらない。
ちなみに母は、新しいイオンも、どこに何があるか分からないから嫌いだそうである。
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