「北越雪譜」を読む:14
雪が積もらない暖国に住む私たちにも、雪国の苦難として想像しやすいのが、なだれ(雪崩の字を当てるのが一般的だろうか)だ。
なだれがニュースになって耳目を集めるのは、スキー場、特にバックカントリーといって一般のコースを離れた新雪が深く積もるところを滑っていた人がなだれに巻き込まれたというものだろう。ルールを守っていないことが多いようで、事故を報じるネットニュースのコメント欄には、批判が集中したりする。
楽しいレジャーが悲劇へと変わるのがなだれの怖さだと、現代の私たちは捉える。
しかし、近代以前には、山は、薪や焚き付けにする木を集めに行く場であったし、峠は、たとえばお嫁さんが久しぶりに隣村に住む親の家に里帰りする時の通い道だった。
今なら、誰かが代わりにしてくれている資源の調達も、自動車で数十分の距離にある実家への顔出しも、足で山に分け入って自らするものだった。
なだれや吹雪の恐怖も、それだけ身近だったということだ。
昭和に入っても、雪深く交通が発達していない場所では、スキーを移動手段としていた。
岩波文庫の「北越雪譜」に国文学者の益田勝実(1923〜2010)が寄せたエッセイには、三十年ほど前、越後湯沢近くのTさんから聞いた話として、なだれの恐ろしさが描かれている。
Tさんたち三人連れは、湯沢の町からスキーでもどってきて、あと一息で着くというところでスピードを上げた。Tさんはスキーの腕に自信があり、アザラシの皮を付けたスキーをはいていたが、滑り具合も良く快調だった。
その昔、峠の上から自分の住む村が見えて、おうい、と叫べばそれが夕食の鍋に火をつける合図になったという。それくらい、自分たちの住む町に近くなっていた。
二台目と三台目のスキーの、ほんの短い間に
アワ(表層なだれ)が割って入り、最後の人を呑んだのだという。
この時のスキーは遊びではなかったし、なだれの起きた急坂は“始終通らないわけにはいかない道”だった。
スキーが実用的な移動手段だった頃も、なだれは今よりずっと身近な災害であり事故だったのだ。
*
雪の降らないところで生まれ育ち、スノーボードに数回行ったことがあるくらいで、想像を逞しくして怖がることしかできないというのに、さも色々知っているかの様に書いてしまった。
雪国のプロ、鈴木牧之が、なだれの仕組みについて詳しく解説してくれているので、読んでいこう。
山から雪が崩れ落ちるのを、里言葉になだれという、また、なでともいう。考えてみるに、なだれは撫で下りるのことで、「る」を「れ」に活用させたものだ。山にもいう(確かに、土砂崩れや地滑りをなだれと表現することがある)。
ここでは雪頽の字を使うが、字書によれば頽とは暴風のこととあり、よく雰囲気を掴んでいる。…
地気と天気のせいで岩の様な雪が割れる、とは、日が当たって地面の温度も気温も上昇し、雪の大きな塊にヒビが入るということだろう。
一片が割れると次々と割れていき、大木が折れる様な音がするという。
「山の地勢と日の照すとによりてなだるゝ処となだれざる処あり」とも書かれているが、これは現代人にも理解しやすい表現だ。
また、「なだるゝはかならず二月にあり」とある。今でいう三月だから、春が近づくとなだれが起きやすいということだ。
洪水が起きやすいのも雪解けが始まる頃だった。
雪国の春は、嬉しさもひとしおに違いないが、まったく気を抜けない。
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表層なだれについては、特に科学的な観察眼で書かれている。
なだれようとする雪の氷の大きいものは、およそ十間(18mくらい)以上、小さくても九尺とか五尺(一尺はおよそ30cm)以上、大小、数百数千、ぜんぶ四角いかたちをしていて、削り立てたようなものが高い山から一度に崩れ落ちる、その響きは百千の雷が鳴り、大木が折れて大きな石が倒れるようだ。…
十何mもの四角く削り取られた様な雪のかたまりが、一度に崩れ落ちてくる。おそろしい。
なだれは四角い、と繰り返し牧之は書いているのだが、これは表層なだれのことを表すと考えられている。
また牧之は、ある人に、雪の結晶は六角形なのになだれはなぜ四角いのか、と聞かれて説明しているのだが、その返答は、私にはちょっと何を言っているかわからない…。
どうですか。
何言うてんねやろ、と思いませんか。
六角だったものが、溶けて角が丸くなり、四角になる、四つ角が残る、ということらしい。
完全に溶ければ丸くなり、天へ帰る。それが理屈であると。
このあとも、わかりやすく言うと、とかみ砕く感じで、奥さんがいつも奥さんのままで奥にいるばっかりではダメで、旦那さんに代わってたまには表に出ることもしないといけない(自分の意見を言うくらいの感じか)、だからと言って理屈を言い過ぎて雌鳥が時を作ったら(コケコッコーと鳴いたら)、家内の陰陽が前後して天理に沿わないから家が滅ぶもとになる、とも書いていて、急にどうした、とびっくりしてしまう。
鈴木牧之という人は、こういう説教くさいことも時には言ったのだろうか。
それともこの箇所は、このあと時々出て来ることになる、江戸の編集者の“いっちょかみ”なのか…。
陰陽五行の素養があれば、当時の感覚がもう少し理解できるのかもしれない。
どちらにしても、なんだかよく分からない話でこの項は終わる。
ちなみに尋ねたひとは、なるほど!と納得して帰ったそうである。ほんとうだろうか。
*
さて、今回で「北越雪譜」初編 巻之上 はおしまい。
初編 巻之中 も、雪頽に関するお話から始まるので、どうしてここで区切りとしたのかなと少し疑問だが、初編を手に取りやすいよう三分割したらこうなった、というだけかもしれない。
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