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古本屋になりたい:36 有栖川有栖編「大阪ラビリンス」

 高校に入学してすぐ、入学式の次の日くらいだったと思う。
 お花見行こかと、担任の先生の引率で、クラスのみんなで大阪城まで歩いた。

 学校は大阪城の外堀を埋め立てた上に建っていた。
 校舎を建て替える時に土を掘ったら、古いものが色々出て来て、工事が中断したらしい。先生はそう話してくれたが、大学を出たばかりの男性だったから、古い先生から聞かされた話なのだろう。

 大阪城までなんてずいぶん遠いのではないかと思ったのだが、高台を15分ほど歩くと、ビルとビルの間に大阪城の天守閣が見えた。
 今なら、学校の隣の駅で降りれば、もうそこが大阪城の角だと分かる。
 そのころはまだ土地勘がなかった。

 お城の周辺は公園になっている。
 その日は風が強くて、桜はもう散り始めていた。
 お花見と言っても何か飲み食いするわけではなく、ただうろうろと桜を見た。教室で席が近い子たちと、ふわふわと何でもないことを話すくらいだった。
 それでも、授業をしないでお花見に出かけるとは、自由な校風というのは本当らしいと、私はほっとしていた。
 同じ中学から私ともう1人が入学していたが、クラスは別だったし、これまであまり話したことがなかった。
 高校に行けば、ますます気が合う友だちに会えるよ、と母は予言していたが、まだその気配はなかった。

 桜を見て、その後また教室に戻ったのだったか。それとも、荷物を持って出て、そのまま解散だったのか覚えていない。

 入学して二日でそんな適当に解散とかある?と思われるかもしれないが、結構そういうところがある学校だった。
 二年生の遠足は、現地集合、現地解散だった。
 遠足って何だろう、と思ったものだ。

 「大阪ラビリンス」(新潮文庫 平成二十六年)は、ミステリー作家の有栖川有栖が、大阪を舞台にした小説で編んだアンソロジーだ。
 織田作之助から柴崎友香まで、純文学からSFまで、回想記から捕物帳まで、幅広いラインナップだ。

 宇野浩二は、大阪の街中で過ごした子どもの頃からの回想記。
 小松左京は、真田の抜け穴にまつわるSF。
 堀晃は、大阪の地下街が舞台の、胸苦しくなるようなディストピアもの。噂に聞いて以来読んでみたいと思っていた。
 田辺聖子は、「大阪では昔、タヌキの話が多かった。」で始まる、知り合いのちょっととぼけたおじさんのお話。

 作家としては知っていても読んだことのない作品ばかりで、どれも読み応えがあった。
 その中で、岩阪恵子と有明夏夫は知らない名前だった。

 岩阪恵子の「おたふく」は、年頃の2人の娘を育てながら、うどん屋を切り盛りする女性の話だ。
 出汁のきいた淡い色のつゆの、麺が柔らかい大阪のうどん。
 耳が遠いふりをして喋らないおじいさんが必ず食べる素うどんは、「刻みねぎに、薄いぺらぺらの蒲鉾と小さな油揚げが一枚ずつのっている。」 
 何でもないのに、ああ、美味しそう。

 客はほとんど近所の常連だが、時々、別れた夫が顔を出したりする。
 ギャグ抜きで、吉本新喜劇の面々に演じてほしい。特に大きな事件が起きるストーリーではないが、お客とのやりとりはコミカルなところがあって、ぴったりだと思う。

 有明夏夫の「川に消えた賊」は、明治の初め、開化の頃の大阪が舞台の捕物帳だ。
 主人公は源蔵親分。あだ名は海坊主の親方。旧幕中、東町奉行所の盗賊捕亡方同心に属していた源蔵は、天誅組の残党を討つため出陣した際、敵に左耳を切り落とされ、その凄みのある風貌から、海坊主と呼ばれるようになった。
 渋くてかっこいい東京の半七親分とはだいぶ見た目が違うが、活躍っぷりは遜色ない。

「親方ァ、どえらいこってっしぇえ!」
 表戸をあけるなり、手下てか安吉やすきちは大声を張り上げた。
「騒々しいやっちゃな。なんじゃい?」
昨夜ゆんべね、牡蠣船かきぶねに強盗が入りよりましてん!」
「どこのや?」
「どこのて、難波橋なにわばし淀屋橋よどやばし常安橋じょうあんばし雑喉場ざこば千代崎橋ちよさきばし淀川おおかわに浮かんどる牡蠣船みんなだすわ」

有明夏夫 川に消えた賊

 いやいや、半七捕物帳に比べたらかなり騒がしい。
 上方落語のようなテンポの良い会話で、登場人物の人となりが手に取るように分かる。
 見慣れた、聞き慣れた地名だが、今とは景色が全く違ったのだろうと想像することも楽しい。

 源蔵親分の動向は、ちょいちょい上方新聞という新聞に載る。記事を寄せているのは、源蔵親分も懇意の楽隠居、大倉徳兵衛。
 事件の顛末も、われわれ読者は上方新聞の記事で知ることになる。

「アホンダラァ、おまえの手口はみんな判っとんのじゃ。観念して、全部吐け!」

 これは徳兵衛さん寄稿の記事なので、親分が一言一句その通り言ったかは分からない。
 …言ったんやろうなあ。

 源蔵親分は、手下の者をつかい、自分も足を使って情報を集め、推理を働かせて悪い奴をお縄にする。見た目と口が悪いだけではないのだ。

 源蔵親分の活躍は、かつて角川書店から出版され、その後「なにわの源蔵事件帳」として小学館文庫に入ったのだが、現在は絶版となっている。

 源蔵親分はドラマにもなった。
 一作目、源蔵を演じたのは桂枝雀。人気が出て第二作を、となったが、恥ずかしがりで考えすぎの枝雀さんは、役者はもうやりたくないと辞退。二代目源蔵親分は芦屋雁之助が演じた。

 クラスのお花見から数週間たった、ある日の休憩時間のこと。
 私は教室の自分の席からふと、斜め後ろを見た。
 髪を後ろにしばった真面目そうな顔つきの女の子が、席について、赤い背表紙の文庫本を読んでいた。
 休憩時間にクラスメイトと喋らず、悠然と本を読んでいる。制服を着慣れた感じからして内部生やな。
 一瞬のためらいののち、私はその子に話しかけた。

「アガサ・クリスティ好きなん?」

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