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「北越雪譜」を読む:15

 前回で「北越雪譜 初編 巻之上」を読み終わり、今回からは「巻之中」が始まる。
 引き続き、なだれについて。

 この項のタイトルは「雪頽なだれ人にわざわひす」。
 楽しい話題というわけにはいかなさそうだ。

 吾住わがすむ魚沼郡うおぬまこほりの内にて雪頽なだれの為に非命ひめいの死をなしたる事、その村の人のはなしをこゝに記す。しかれども人の不祥ふしやうなれば人名をつまびらかにせず。

雪頽人に災す

 人の不幸なので人名は明らかにしない、とは現代的表現に思えるが、江戸の昔にもプライバシーを尊重する考え方はあった。
 話にリアリティをもたらす牧之の手法だったかもしれないが。

 名前は明かさないけれど…、と書かれれば、実は名前が明らかなくらい最近の本当の話なんだと、読む人はぐっと引き込まれただろう。
 この項で描かれるのは、雪だ、風流だ、スノボだと浮かれてはいられない、そして鈴木牧之が必ず伝えたいと考える雪国の厳しさだ。

…ある村に、家族と使用人合わせて十人ほどの農家があり、主人は五十歳ほど、妻は四十歳にならないくらい、息子は二十歳と少し、娘は十八と十五だった。子どもたちは親孝行で知られた。

 二月の初め、主人は朝から用があって出掛けて行ったが、さるの頃(夕方四時から六時頃)になっても帰ってこない。
 それほど時間がかかる用事でもないので家族が不審に思って、息子が使用人を連れて父が訪れた家に行って尋ねたが、ここへは来ていないという。それならば、ここだろうか、あそこだろうかと使用人と手分けして尋ね求めたけれど、全く父が来たと言う話が出てこない。
 もはや日が暮れようとするので虚しく家に帰って、こうこうだったと母に話すと、これはおかしなことだと、心当たりのところをここかしこへ人を走らせて尋ねさせたが、どこにいるかやはり分からない。…

 その後、心当たりがあるという老人が訪ねて来て、家族は大喜びをするのだが、それはなだれに巻き込まれたのではないかという、不吉な知らせだった。

…老夫いふやう、それがし今朝西山のたふげなかばにさしかゝらんとせし時、こゝのあるじに行逢ゆきあひ何方いづかたへとたづねければ稲倉村へゆくとて行過ゆきすぎ給ひぬ。我は宿へかへり足にてはるかに行過たる頃例の雪頽の音をきゝて、これかならずかの山ならんと嶺を无事ぶじに通りしをよろこびしにつけ、こゝのあるじはふもとを无難ぶなんに行過給ひしや、万一なだれにあひはし給はざりしかと案じつゝ宿へかへりぬ。今に皈り給はぬはもしやなだれにといひて眉をしはめければ、親子は心あたりときゝてたのみし事も案にたがひて、顔見あはせなみださしぐむばかり也。老夫はこれを見てそこそこに立ちかへりぬ。

雪頽人に災す

 西山というところの峠の半ばに差し掛かるあたりでここの主人に行き会った老人は、どちらへ?と簡単な挨拶を交わしていた。主人は稲倉村へ行くと話してそのまま別れ、老人が宿に足を向けてかなり離れた頃、なだれの音を聞いた。
 これは絶対にあの山だと、峠を無事に越したことを喜びつつ、ここの主人は峠を無事に越せただろうか、なだれに遭わなかっただろうかと心配しながら宿へ帰った。
 まだ帰らないと聞いて、もしやなだれに遭ったのではと言って眉を顰めた。妻と子どもたちは、老人が心あたりがあると言ったので期待したのだが案に相違していたので、顔を見合わせて涙を流すばかりだった。
 老人はこれを見て、長居をせずに帰って行った。…

 このおじいさんが早く知らせてくれれば何とかなったのでは…と思わずにいられない。
 現代のニュースでも、なだれに遭って数時間後に救助された話は聞くし、なだれの起きた場所は分かるのだから、今からでも早く助けにいけばいいのにとヤキモキする。

 この時も、集まっていた若者たちが老人の話を聞いて、それならばなだれのところに行って探してみよう、松明を用意しろ!などと騒ぐのだが、別の老人がこう言う。

「いやいや、ちょっとお待ちなさい。遠くに出かけた者もまだ帰っていないし、今にもその人と同じように主人も帰ってくるかもしれない。なだれに遭うようなうっかりした人ではないんだから、あのじいさんは余計なことを言って奥さんと子どもたちを苦しめておる。」

 絶対に早く探しに行ったほうが良いよな、とやはり部外者の私は思うのだけれど、こういうのも長く生きている人の知恵かもしれない。なだれが起きたばかりの緩くなっているところにドカドカ出かけて行ったら、また別のなだれが起きるのかもしれない。

 少なくとも親子はこの老人の言葉に励まされて、慌てて探しに行かず、主人を探すのに集まってくれていた人たちにお酒を出すなどしてもてなし、夜が明けるのを待つのである。
 その間に、遠くに出かけていた人が帰ってくるが、主人は帰って来なかった。

 ここからが、なかなか辛い。

 やがて夜が明け、村の人はもちろん、話を聞いた人たちがこの家に集まり、手に手に雪を掘る木鋤こすきを持って、家族や使用人も後に続いて、例の老人が言っていたなだれのあった場所に向かう。
 見たところそれほど大きななだれではなく、雪は道を塞いで二十けん(35メートルくらい)ほどの雪の土手を作っていた。
 それほどの規模ではないと言っても、よし、ここに死んでいる、となだれの下が分かる方法はない。どうしようかと人々が佇んでいると、昨夜、お待ちなさいと逸る若者たちを収めた老人が、近くの村に若者を連れて行ってニワトリを借り集めて来た。

 なだれの上にニワトリを放ち、餌を与えながら思いのままに歩ませていると、一羽のニワトリが羽ばたきして、「時ならぬに為晨ときをつくりければ」(夜明けの時間でもないのにコケコッコーと鳴くと)、他のニワトリも集まって声を合わせた。老人は人々に向かい、主人はこの下に必ずいる、さあ掘れ、と号令した。
 これは、水中の死骸を探すときに使う術の応用だという。雪に使うとは、臨機応変で賢い、と後々まで人々は言い合ったそうだ。

 大勢で一度に取り掛かり、なだれを砕いて掘ると、大きな穴ができたが目につくものはなかった。
 さらに力を尽くして掘り、真っ白な雪の中に、血で染まった雪を掘り当てた。

 いた!

 もっと掘り入れると、片腕がちぎれて、首がない遺骸が掘り出され、やがて腕は出て来たけれど首は出て来ない。
 こればどうしたことかと、穴を広くして中をあちこち掘って探して、ようやく首も出て来た。
 雪の中にあったので、生きているようだった。
 先ほどから妻子はここにいたので、妻は夫の首を抱え、子どもは遺骸に取り縋って声をあげて泣いた。
 人々も、この哀れさを見て袖を濡らさないものはなかった。

 ニワトリが見つけたのかどうかは分からないけれど、腕と首がちぎれた状態で主人は見つかった。
 なだれの威力というものがよく分かる。
 テレビで見ただけの知識だが、降ってから時間が経って押し固められた雪は、それを水に換算すれば体積通りの重さがあるわけで、めちゃめちゃに重いというのである。

 この話は、鈴木牧之が若い頃に、主人の発見に立ち会った人から、聞いたままを記したものだという。

 次回はなだれにまつわる少しコミカルなお話で、ホッとしたいと思います。

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