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自分とは 〜本当の私〜
【自分とは】を考えます。
自分自身とは何でしょうか?
一体どういう事を捉えているのでしょうか?
私達は日々役割を持って生きています。
家族の一員、会社の社員などの役割を持って、
その場面場面に合わせ役割が変化しています。
体験も同様です。
食べる人、見る人、聞く人‥という様々な体験をしながら生きています。
その役割や体験は、
日々の生活の中で変化します。
時間も経過する中で私達の肉体も老い、顔や見た目も変化します。
思考も同様ですね。
瞬間瞬間移り変わる思考は、
常に変化しています。
役割を果たす為に思考が偏ってしまう事で「こうしなければいけない」と囚われると、本来の自分の気持ちが思考に覆われてしまいます。
体験なども「こうするべきなのではないか」という思い込みや
「こうしなければ他人に何て思われるだろうか」という恐怖感に苛まれると
心の奥底にある、
「本当はこうしたい」などの
素直な気持ちが見出せなくなります。
そんな役割や体験など変化するものを、
「これが自分自身だ」と捉えてしまう
これが『無知』です。
ヨーガ・スートラという聖典の
第一章3節では、こうも説きます。
自分とは
役割や体験の中心にいる存在。
どんな役割や体験の時も常に変わらず
「○○をする私」が存在します。
それが「私自身」。
役割を演じ、体験をしている自分を常に観ている存在。
存在、それは「在る」(サットと呼びます)。
存在は経験を知覚し考え「意識の源」となる(チットと呼びます)。
その意識の源は身体の中に限りなく広がっていきます(アーナンダと呼びます)。
人が知るべき本来の自分自身は
そのサット・チット・アーナンダ
(存在、知、限りなく満ちるもの)なのだと説いています。
人間の本質は、常に変化する人生の中で、唯一変化しないもの
と捉えているのでしょう。
ヨーガでは
この自分自身である意味を深く理解し
知恵の修得と体感を伴った理解、
そして気付きに繋げるための
プロセスだとも言えます。
次回、この「自分とは」というテーマを
違う側面から述べていきます。
今日は以上です😊
最後までお読み頂きありがとうございます🙏
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