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希望の光(不妊治療編)

みなさんこんばんは。
本日もご訪問いただき、
ありがとうございます。

さてさて最後の受精卵が陰性だった前回。
続きを書いていきますね。

最後の受精卵も陰性となり、
泣き崩れました。
仕事を辞め、転院を考えました。
違う病院へ転院するなら、その方面で
仕事を探さなければ、通うことができません。
病院にも転院の話を聞くために、
翌日から早速電話をかけることにしました。
切り替えの早い私…
というか、ここで立ち止まることは
したくなかったのです。


最後の受精卵が陰性になった日、
病院で念のために翌日検査してくださいと
言われた検査キットがありました。

怖くて使えずにいたところ
主人に促され、使っていました。

でも、どうしても結果を受け入れきれなくて。

検査はしてみたものの、
線があるようなないような、
私はついに幻覚が見えるようになったのかと
思い込み、病院へは連絡していませんでした。

その日の夕方、転院の話を聞くため、
病院に電話したところ…
昨日の検査はされましたか?と
聞かれました。

使ったのですが、
あまり線は見えなくて、、、
薄い線のあるような気はするのですが、
はっきりしたのはないので大丈夫です。

と、伝えたところ、今すぐ来てくださいと
言われました。
もう期待して、落ち込むことはしたくなかったので、心を無にして病院へ。


再度検査をすることに…!!


そして、、、、、





先生より

おめでとうございます。
うまくいきましたよ!!

と。

何かの間違いかと思いました。
薄かったので、線が。

でも先生が今回の見せてくださると
ハッキリと出てました。

涙は出ず、心配症な私は
まだ流れるかもしれない…
まだまだ安心はできない。
と、気を引き締めました。

そこから主人に報告。

心配だった妊娠中

それからもお手洗いへ行く度に、
出血はしていないか?
生理は来ていないか?
毎回ビクビクとしていました。
つわりはあまり無く、
本当に?妊娠してる?
と不安ばかり。

安定期に入るまで…
安定期に入っても、産むまでは…
と、ずっとずっと不安との戦いでした。

カフェインレスや徹底した食生活
妊娠後期に入るまではゆったりと
過ごしました。

それは突然やってきた

予定日の11日前の夜。
その日は便秘がひどかったので、
とにかく苦しかった日。
なかなか出ず、トイレで踏ん張っていたせいで
破水してしまい、
夜トイレで尿漏れか破水かよく分からないものが…

慌てて病院へ行きました。
夜だったので、
主人は帰らされました。
破水はしたもののまだまだ
降りてくる様子はなく、
陣痛もなく、
張りもなかったので、
ひとまず入院しました。

急だったので、携帯の充電器を忘れてしまい、
充電は5%。
夜に再度主人を呼ぶこともできず、
充電は明日でいいや、
と思っていたところ陣痛らしきものが。

しかし充電無いせいで、
アプリの陣痛カウンターダウンロード
していないし、使うのも無理。
その辺にあったメモ用紙に
陣痛時間を書き込みながら、
カウントスタート。
初産なので時間がかかると思われ、
基本、ほったらかしでした。
あれ?おかしいなと感じたときには
すぐに家族に連絡して!と言われ
バタバタと連絡。
約6〜7時間の出産でした。
破水後の様子から
考えられないような急展開でした。
コロナ前でしたが、
ひとりぼっち出産でした。笑
1人でテニスボールを腰と壁に挟み
グリグリしていました。
分娩台でも看護師さんとお話し。
いきみ方が分からず
ちゃんと講習受けた?と怒られながら
産みました。笑

1人目あるある

産後は1人目あるあるで、
ガルガルの産褥期。
そして産後うつのような症状。
里帰り中の母と喧嘩し、

主人に当たり散らす毎日でした。


体もぼろぼろ、常にイライラ。
娘を夫には触らせたく無いようなピリピリムード
でしたね…
娘もどちらかと言えば手のかかるタイプで
癇癪持ちでした。

やってみたかったこと

私は長年、不妊治療していましたので、
産んだらやりたいことがたくさんありました。

やってみたいことは、片っ端からしました。
ママスポンサーに参加する。
アンバサダーとして、
Instagramを使ったprなどをおこなう
インスタグラマーのようなことや、
子連れで会議などに参加し
主に広報活動をおこなうようなことをしていました。

大きなママ会なども開催され、
当時は参加していました。
そこで出会う人々から大きな刺激を
いただき、私に影響をくださるのです。


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