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ナスカの地上絵と政治的混乱の遠因

     ナスカの地上絵は、何の目的で、誰が造ったのか

私は、初めて「ナスカの地上絵」を見た時はビックリしました。
50年以上前のNHK特集「未来への遺産」でした。
誰が、何のために、どうして・・・?

そしていま、私の手元に地上絵が刻印された「カフスボタン」があります。
また、標高3,810メートルの「チチカカ湖の船」もあります。
藁で造った小さな土産物です。「天空の湖」に浮かぶ葦の船がモデルです。

ペルーには、「生々しい現実」と、私たちには考えられない「時間と空間」が流れているのです。
ナスカの地上絵は、1,939年に発見されたものですが、その後、ドイツの数学者・考古学者のマリア・コソック女史が、終生この地に住み着き、地上絵の解明と保護に努力して、ようやく守り切ったものです。「学者の矜持」です。    

       星座や宗教的な儀式のためなの?

ナスカの地上絵は、70個あるといいますが、山形大学のドローンやレーザー測量で168個が発見されたという情報があります。これから「発見」される数も多いでしょう。細かなことは不明ですが、星座や宗教的な儀式と関連しているのではないかといわれています。
一部の研究者は、これらの地上絵が「天文学的なイベント」や「水の供給」に関連しているといいます。真実はわかりません。何のためか?もう少し時間をかけて研究の成果を見ることにしましょう。
 
       インカ帝国は、征服者ピサロによって滅ぼされた

「自国第一主義」・「他国はどうなっても構わない」という覇権主義が、ピサロの存在を許したのです。インカの豊かで多様な貴金属の文化遺産を、溶解し、延べ棒にして自分のものにしてしまう。そこにどんなに大切な歴史的・文化的な遺産が「刻印」されていたとしても、
利益のために無視してしまう。平和に暮らしていた人々を酷使して、自分の利益を最優先してしまった結果です。

いま世界は「自国第一主義」が横行しています。プーチンのウクライナ侵攻、習近平の「一衣一帯」、トランプの政策・・・他の民族の伝統や文化を踏みにじってもかまわない姿勢は、スペイン・ポルトガル・オランダ・イギリス・フランスと共通するものでした、一時の日本の帝国主義も同じです。
    
         ラス・カサス神父 の抵抗

1,550年、征服者のあまりのひどさに「ラス・カサス神父」が、スペインの国王カルロス1世に「インディオの人権」について訴えました。「バリヤドリッド会議」です。そこで、「人間に差別があって当然だ」という、インディオの人権を認めない学者と、大論争をします。現在もあまり変わらない「人権」の議論です。

       ピサロは教養もなく、文化も理解できない人

ピサロは、教養も文化もない人間だったから「他国を尊重すること」も「異文化への尊敬」も何もないのです。
その結果、インカ帝国は滅亡し、永遠にわからない世界になってしまったのです。歴史的にも「罪人」です。しかし,こうした風土は、いつの時代にもあるのですね。

スペインのカルロス1世は、神聖ローマ皇帝のカール5世と同じ人物です。

ピサロは、1,528年に国王から「ペルー支配の許可」を取り、征服の特権、貴族の位まで受けます。

インカ帝国のアタワルパ皇帝は、1532年にピサロと会見しますが、その場で生け捕りにされ、身代金をして「莫大な貴金属」を要求されました。
その上、1,533年に処刑されてしまいます。
その後、ピサロは首都クスコを占領し、反逆を恐れて「新都リマ」を建設します。

        インカ帝国の「アタワルパ皇帝」 

ピサロなど、征服者を「コンキスタドール」といいます。
ピサロの勝利が可能になった背景の一つは、鉄砲などの火器や鉄剣、騎馬兵(アメリカ大陸には馬がいなかった)など、ヨーロッパの科学技術の圧倒的な優位があったからです。

さながら、現在の「核兵器の保有」が国際支配の決定力を持っていること、「国内の内部対立」と重ねてみるとわかりやすいですね。怖いです。

また、新大陸に「天然痘」を持ち込んだことも影響しています。
天然痘は新大陸にはなかった「伝染力の強い病気」でした。天然痘でなくなった人が多かったですね。現在のコロナのようです。
 
        エンコミエンダ制度による統治

「エンコミエンダという制度」を知っていますか。
これは、「遠隔地ある、広大な領土を確保し、維持するための制度」です。スペイン王権が、コンキスタドール(征服者)・入植者を使って、「功績」や「身分」に応じて、「先住民の支配を信託(エンコメンダ―ル)する制度」です。
だから「信託を受けたもの」は、現地の住民に強制労働を強いることも許されたのです。ペルーの「経済格差が生まれた遠因」の1つです。

また「ミタ制度」による原住民の強制労働制度が、「大量の貧しい人」と、ものすごく「少数の富裕層」を作ったことも見逃すわけにはいきません。
ただし、住民の身分は、スペイン国王の「臣民=けらい」に置かれていましたから、いわゆる「奴隷制」と混乱させないように注意したいです。

現在の「貧富の差」「大量の貧しい人々」「常態化した汚職」は、こうした歴史的な背景・社会基盤から発生したものです。
だから、簡単に解消できるようなものではないですね。

そして強力な軍事・警察の存在も見逃すわけにはいきません。現在も・・
人種差別について関心が高まっていますが、中南米には「独特の呼び方」があります。「メスティーソ」は白人と先住民の混血人を指します。
「ムラート」は白人と黒人の混血・「サンボ」は黒人とインディオの混血を指します

ペルーには、日本や中国などアジアからの移民も多くいます。
「白人女性の移民が少なかった」ので、メスティーソが多いのです。
いま日系ペルー人が労働者として沢山「来日」していますね。フジモリ元大統領は日系人です。私の自宅の近くにある工場にも沢山います。

         「空中都市」マチュピチュ

マチュピチュには、クスコから列車とバスとシャトルバスを乗り継いていきます。世界遺産になってから、観光客が一層増えて、マナーが悪く、汚染もされてきましたので、ペットポトルの持ち込み禁止など、観光の条件が厳しくなっています。それは当然のことですね。

規制によって「マチュビチュ」の魅力が消えたわけではありません。魅力の根源は「謎」が多いことにあります。マチュピチュは、南北4,000キロメートルにわたるアンデス地域にあって、標高2,450メートルにあります。

インカ帝国が栄えたのは、1,470年から1,532年までのわずか60年余りにすぎませんから、どうやって建築されたのか、なぜ放棄されたのか。「謎」だらけです。

見事な棚田に何が植えられていたのか、誰がどのように生活していたのかも「謎」です。1,911年に発見されてから、いろいろな説が述べられていますが、剃刀の刃すら隙間を通さないほど「精巧な石組」など、多くの「謎」が現在も続いています。

             モンゴロイドの南米の旅

私たちと共通の先祖の「モンゴロイド」が、14,000年前ごろ、まだジブラルタル海峡が地続きであった時分に、歩いてアメリカ大陸に渡り、海岸沿いに南下し、やがてインカの土地までたどり着く。
これだけで壮大なドラマですね。最後まで「鉄器」と「車輪」と「文字」がない世界でした。        

何回かに分けてアメリカ大陸に移動し、太平洋側を南下してきたモンゴロイドは、やがて南アメリカまで到達しました。エクアドルから海岸線とアンデス山脈にそって、インカ帝国まで「移動の中で築いた古代遺跡」が並んでいます。
今では「キープ(結縄)」を解読できる人がいませんから、仮説とイメージを重ねながら、遺跡を発掘し「アンデスの古代文化」を調査するのですが、これからも多くの発見があると思います。

私は、むかし「黄金のシカン遺跡」の展覧を東京で見ました。2回です。
最初の展覧会は、日本人の島田泉・南イリノイ大学人類学科教授の発見を紹介したものでした。
発掘品を見た時は、絢爛・豪華さと、見事な工芸技術にビックリしました。
全盛期の900~1100年ころの金細工だと紹介されていたと思います。

ピサロでなくても、黄金の大杯やエメラルド・真珠などに眼がくらむと思いましたね。こんな芸術品を溶解して延べ棒にしてしまうなんて!  
黄金で飾られた「儀礼用のナイフ」や「黄金のマスク」をつけたミイラなどもの凄かったです。
シカン遺跡は「月の神殿」と名付けられています。この地域文化の高さが伝わってきます。

      征服者「コルテス」のことも忘れることができない

ピサロと同じように、「アステカ帝国」を滅亡させたスペイン人の征服者「コルテス」についても忘れることができません。
メキシコ先住民の文化・伝統・宗教を徹底的に粉砕し、先住民を奴隷のように使役し、略奪と虐殺を繰り返したことは同じです。
メキシコにもすごい遺跡が残っていますね。旅することを勧めます。

「征服された民族」・「抑圧された少数民族」へのまなざしが重要です。
ここでは、コンキスタドール(征服者)からの視点でなく、「征服されたものの視線」が重要になります。
抑圧された地域・民族のことを考えると腹が立ちます。これからは、この「まなざし」が一層大切だと思います。

      ポルトガルが、日本に急接近した理由
         
皇帝「アタワルパ」の処刑は1,533年。「織田信長」の本能寺の変が1,582年ですから、これらとスペイン・ポルトガルの「植民地獲得競争」と重ねてみるとビックリすることが見えてきます。

ポルトガルが日本に急接近してきた背景に「1494年のトルデシリァス条約」があると思います。新発見した土地を「植民地」にする条約です。
当時の覇権大国によって、南米ばかりでなく、「日本も分割される危険性がある条約」だったたのです。「アジアの経度を厳密に測定することが困難」で̪したから、先に進みませんでしたが、スペインに敗れたポルトガルは、アジアを狙っていました。

この条約によって「ブラジルはポルトガルの領土になった」のですね。
南米のほとんどはスペイン語圏ですが、ブラジルだけが「ポルトガル語」の理由ですね。

「世界経済に及ぼした影響」という観点からみると、16世紀の「ポトシ銀山」・「石見(いわみ)銀山」・「中国の銀の需要」を絡めてみるのも、新しい観点です。

中国・明代の「後期倭寇」(海賊)の頭目である王直は、1542年に長崎県の「平戸」を根拠地に定めました。室町末期ですから、戦国の武将:織田信長の活動とリンクすると、歴史好きの人には、興味深い観点じゃないかと思います。

日本の種子島に「鉄砲」が到来した。・・・ということを知っている人が多いですね。実は、ポルトガルの鉄砲は「王直」の船だった・・面白すぎませんか?

ポルトガルは、やがてオランダの東インド会社支店に追い込められますね。
日本が得る世界情報は「オランダから」のものになります。蘭学です。

こうして「インカ帝国」と「戦国の日本」と「鉄砲」をグローバルに関連付けて考えることが、グローバル時代に期待されていると思います。
 
 

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