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セレンディピティと人間塞翁が馬

思うようにいかないのが「人生」ですねえ!

私は「短気」だから、うまくいかないと、すぐにイライラします。
すぐに怒ってしまうので、女房には叱られますし
「後悔もする」のですが、しかしダメですね。(苦笑)
一直線に、自分が「期待した方向」に進まないと気に食わないのです。

ある時、友人から、「セレンディピティ( serendipity)」という言葉を
教えてもらってから、少しだけイライラが収まるようになりました。

ものごとを「直線で考えないで、多様な視方ができるようになった」からです。そこで、何度か、意識的にこの言葉を使っていくうちに、少しずつ「なるほど」と思えるようになったのですが・・・。

   セレンディピティって、何のことですか?

セレンディピティとは、「思いもよらなかった偶然がもたらす幸運」を意味する言葉です。
私は「運」をセレンディピティ( serendipity)とつなげて考えています。
思うようにいかなかったり、イライラしたり、自分は運が悪いと思ったりした時は、「セレンディピティ」と考えると、発想が柔軟になります。

つまり、これは「素敵な偶然である」「予想外のものを発見するチャンス」と考えるのです。
人生は多様です。私の人生はそんなことの繰り替えしでした。

             「幸運な偶然を引き寄せる能力」

セレンディピティという言葉の語源は、
『セレンディップの3人の王子たち』というおとぎ話にあるといわれます。セレンディップとは、スリランカの昔の名前を指しています。

セレンディップ王国から旅に出た王子3人が、暴風雨や海賊など当初予想もしなかった困難に次々に直面しながらも、それらを見事に乗り切って、無事帰国するという物語です。  優れた知恵や洞察力を発揮して、幸運な偶然を手にしていくのです。示唆に富んだ楽しい物語です。

          もっと詳しく・・・・

 セレンディップとはセイロン島、現在のスリランカのことです。「serendipity」という言葉は、イギリスのウォルポ-トが生み出した造語です。彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendio )』とい童話を発想の原点にしているそうです。
童話ですから、簡単に読めます。勧めます。

失敗しても、そこから新しいものを「学び取る」ことができれば成功につながる>という内容です。
 
人生では、何事でも、壁に当たったり、挫折したと悩んだりした時がありますね。私は、80余年生きてきましたが、頻繁でした。(笑)
そんな時は「別の回路」を工夫するチャンスが来たと考えると良いのです。つまり「別解」を考えるのです。

「運」は捉え方によって、色々な面・顔を見せてくれます。
少なくとも、私はそうのようにしてきましたから、いつも、いろいろな角度から考えるクセがつきました。だから、簡単には動じません。(笑)

     人間万事塞翁が馬

「セレンディピティ」と似たような言葉を、旧い中国の話で「人間万事塞翁が馬」として見ることができます。
こちらは「物事は、良い面も悪い面もあって、不確かである」という意味で使われることが多く、私もよく使います。

「くよくよするなよ!!人間万事塞翁が馬だよ」とか「まずったなと思ったことが、後になるとラッキーだったということが、度々あったよ!」というようにです。

「人間万事塞翁が馬」の「万事」という表現は、後から挿入したものだと思いますが、この語句を使って、人生の出来事が、最終的には予測できないものであるという意味をこめていますね。
このフレーズで、予測不可能な人生や出来事に対して、良いこと・悪いことの「思い込みはやめる」と解釈すればいいと、私は思っています。

 「人間」を「にんげん」ではなく「じんかん」と読みます

中国語では、「人間」という語句は、日本語のような「人・ひと」という意味はなく、「人間の住む世の中・世間・セケン」という意味になります。
「人間塞翁が馬」の意味も広く、「世の中・セケン」でいいです。
「出典」は准南子の人間訓です。

原文を書いてみましょう・・・

近塞上之人有善術者、馬無故亡而入。人皆之。其父曰「此何遽不為福乎」居數月、其馬將胡駿馬而歸。人皆之。其父曰「此何遽不能為禍乎」家富良馬、其子好騎、墮而折其。人皆吊之。其父曰「此何遽不為福乎」居一年、胡人大入塞、丁壯者引弦而戰、近塞之人、死者十九、此獨以之故、父子相保。故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。 
                  <塞=砦 <胡­=野蛮人>        

「訳」国境近くの砦に住む老人の馬が隣の胡の国へ逃げてしまった。
その馬が優れた「別の馬」を連れて帰ってきた。
今度は、老人の子供が落馬して足を折ってしまった。
そのおかげで、その後、起こった戦争で、兵役を逃れて命が助かった。

禍から幸福に、幸福から不幸・禍にもなりえるので、最後まで予測ができない」という意味で使われます。

この塞翁の出来事から「塞翁が馬」という言葉が使われるようになったのですが、実際に、何が禍で、何が幸か・・・時間・経験に照らしてみると、人生の「幸せ」「不幸せ」はわからないものだと思います。
幸せに見えて結婚した人が、その後、不幸の始まりだったリ・・・(苦笑)
その「逆」だったリ・・・。

    人生の知恵は、簡単に割り切れるものではないですね
セレンディピティ」や「塞翁が馬」を通してみると、如何に人生は面白く多様であるか・・・と思います。「悟ったこと」を言っている人の人生が、実は「悲惨の連続」だったリします。
考え方や判断によっていろいろなものが見えてくると思います。
人生は、広くて、大きくて、面白いですね。
好奇心を燃やして「次も頑張るぞ」が、一番いいんじゃないかと思います。


 

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