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中東問題の背後にある世界宗教を考える

中東で戦争が始まっています。第5次中東戦争の臭いです。背後にあるものは宗教です。私たちは、あまりにも「宗教」に疎いので、自戒を込めて「世界宗教」についてまとめます。
「一神教」は「多神教」と異なり、互いを認めず、排斥・拒否しますから、
ハマスの排他主義は、イスラエルの原理主義と、対立・衝突・抗争は避けられません。妥協しないから深刻です。しかし、これに巻き込ませて世界戦争にならないようにしなければなりません。

私は宗教家ではありません。だから、特定の宗教を「伝道」するための解説ではありません。取り上げるのは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教です。
 
   I  have  called  you by name,  you  are  mine

この英文をどのように翻訳したら良いでしょうか・・・。
これはマザーテレサが「ベッドサイド」の壁に掲げていた言葉であるといわれます。しかし、これは、旧約聖書にある言葉なのです

I have called you by name, you are mine (旧約聖書イザヤ書 43-1)
この英文を「I」を何と訳するかで意味が変わりますね。
単純に「私」と訳したら・・・意味不明になりますね。
そこで「神」と訳したらどうでしょうか?   
全く異なるものになりますね。

私=神様には手足がない。神様がやりたいことを、私の手・足でやる
というのです。私の肉体は、人間の私のものではない。神様の手足なのだという意味になります。いかがですか?

  「ユダヤ教徒」にとって、聖書は「旧約」だけです。

旧約聖書にユダヤ民族の2000年の歴史が記されています。
「創世記」に始まって、イザヤなど沢山の「預言者の言動」が「多様な物語」のように展開しています。

「はじめに神は天と地を創造された」と、創世記は始まりますね。
この中に「神は6日間働かれて7日目に休まれた」・「アダムとイブが神を裏切った」・「ノアの方舟(はこぶね)」の話・・・とかありますね。

続いて、「預言者モーセ」がエジプトからユダヤ民族を率いて脱出する話が記されています。映画の「十戒」をみた人も多いでしょうね。
民族全体が捕虜生活を余儀なくされた「バビロンの捕囚」も出てきます。
ヴェルデイのオペラ「ナブッコ」で、合唱をした人もいるでしょうね。

私は、エルサレムに行ったことがあります
今日もエルサレムの「嘆きの壁」の前で、敬虔なユダヤ教徒たちが祈りを捧げていると思います。
戦争と混乱がなければ、エルサレムに行くことを勧めます。
では、ここで、簡単な質問をしますから、答えてください。

<質問1>エデンの園で、アダムとイブが食べた「木の実」はどちらですか
   ①知恵の実  ②生命の木  
         *ヒント:その後人間は「科学」を発達させた

<質問2>ノアに「大洪水」が終わったことを知らせたのどちらの鳥ですか
   ①鳩     ②カラス   
         *ヒント:「平和」とは神の怒りが解けたこと

        死海文書のレプリカ

先日、孫が私の家に来たので、久しぶりに「死海文書」のレプリカを見せました。そして、私がイスラエルを旅した想い出をはなしました。

「アテネから、テル・アビブの国際飛行場についたのは、真夜中だったんだよ。エルサレムまでのバスなど交通機関はないので、迷ってウロウロしていたら、声をかけてくれる人がいてね」
「怖かったなあ!真っ黒な山高帽子を被った体格の良い男が3人いてね」「エルサレムまで行くのなら一緒に行こうと・・・」
「飛行場から1・5時間くらい離れているから、度胸を決めて彼らの自動車に乗ったんだ」「私の両サイドに真っ黒い髭を生やして、真っ黒な服を着た屈強な男たちが座るんだよ」
「内心、冷や冷やしていたけど、カラ元気を出して」

・・・「いい人たちでね。ホテルまで送ってくれたんだ。」

レプリカは「死海文書」というんだけど
1946年ころ、死海に近い洞窟で羊飼いの少年が、「不思議な文書」を発見して大騒ぎになってね・・・それは、ユダヤ教の一派の人たちが書き残した旧約聖書の一部分だったのだよ。
現在、イスラエル聖書館にあるけど、私は興味津々でね。
イスラエルまで「確かめ」に行ったんだよ。
聖書館で買ったレプリカをテーブルの上において話しました・・・。

     
         十字架上のイエス
「新約」とは、新しい神との約束という意味です。
神は、一人の人間の姿をしたキリスト(救い主・メシア)をこの世に遣わし、人間の罪を贖おうとした・・・という意味です。原罪・贖罪などです。

新約聖書は「イエス・キリスト」の言動を記した4つの「福音書」が中心で出来ています。福音書に続き、伝道者「パウロが信者に送った書簡」、最後は「ヨハネの黙示禄」です。この中に、「ノストラダムスの予言」があります。

「山上の垂訓」「狭き門」「汝の敵を愛せよ」「豚に真珠」「野の百合をみよ」などが記されています。
また「12人の弟子」「ユダの裏切り」「最後の晩餐」「奇跡」「ゴルゴダの丘」「十字架」など、私たちが知っていることが沢山あります
 

        私の散策、エルサレムの街の中  
            

私はまず、「イエスはどんなところで生まれたのだろうか」と思って、バスに乗ってベツレヘムに行きました。クリスマスで馴染みが深い「馬小屋」の跡だといわれるところをめざしました。
キリスト教会がありました。ここはパレスチナの人が多く住んでいる地域ですから、広場で暴動が起こったことがあります。

また、ある日、イエスが弟子たちと渡った「ガリラヤ湖」で、私は泳ぐことにしました。
湖畔で、新約聖書にもある「魚」を食べました。淡泊な味で美味しかったです。普通の魚でしたけど・・・。

また、十字架を背負ったイエスが歩いたという「東エルサレムの細い道」を歩いてみました。勿論、本物ではありませんが「映画:ベンハー」のシーンのようでした。細い道を・・・
エピソードで有名な「マグダラ村」と「ナザレ村」へ行こうとして、バスに乗ったら「迷子」になりました。明らかに準備不足でした。

 ここで質問です。

<質問1>イエスの父・母の名前は何と言いますか。また、イエスの弟子は何人ですか
 A ①ヨセフ ②ヨハネ ④パウロ ⑤イザヤ ⑥マリア ⑦サラ ⑧ガブリエル    
 B ⑨10人 ⑩12人 ③13人 ④14人 ⑤15人 

<質問2>「福音書」の記述者でを4人をあげてください
 ①マルコ ②パウロ ③マタイ ④ルカ ⑤ヨブ ⑥イザヤ ⑦ペテロ 
 
       早朝、拡声器から流れるアザーン
イスラムの世界です。
「アザーンという独特の呼びかけ」で1日が始まります。
生活のリズムが、日本とは全く違うのです。「宗教国家」ですからね。

アザーンというのは呼びかけです。「アラーに栄光あれ!お祈りをしましょう!」というわけです。
イスラム教徒は「生活と信仰が一体」ですから、早朝のアザーンは当然です。毎日、メッカに向かって、5回のお祈りは欠かすことができません。

自動車で走っている時でも、“サーッ”と降りて、絨毯を敷いて「メッカに向かって祈る」のです。祈りは大きな声で・・・
つぶやきでも小さな声でもダメです。信仰を告白するのですから

イスラム教徒のことを「ムスリム」といいますが、ムスリムには、絶対に信じなくてはいけないことが6つあります。行うことが5つです。「六信五行」といいます。これが、生活のリズムです。
そのほかに、ハラム(禁忌)といって「やってはいけないこと」が決められています。例えば、飲酒すること・豚肉を食べることなどです。
田舎は信仰が厚い人が多いですね。

          
            エルサレムの岩のドーム
エルサレムは、キリスト教徒にとっても、イスラム教徒にとっても「聖地」です。だから、どちらの信徒も譲れないです。十字軍も、この地をめざしました。「キリスト教徒のものだ!!」といってね。「イスラムが占拠するなんて許せない!」といってね。
これだって「戦争」です。大義名分は、自分サイドです。いつだってね
そして、今も「争っている」のです。

実は、この2つの民族の「共通の先祖」は、アブラハムです。
旧約聖書:創世記にある記述の中から「争いの根元」を拾ってみます。
神話のレベルですが、戦争に関わる重要なことですから・・・

アブラハムは高齢になっても妻(サラ)子供ができないので、(ハガル)というエジプト人の奴隷に子ども産ませます。これが「イシュマエル」です。しかし、超高齢(90歳)になったサラが妊娠します。アブラハムは100歳です。
そこで生まれたのが「イサク」です。彼がユダヤ人の祖先になります。

やがて、この2人を囲む人たちが「相続」争いをします。
そして、イシュマエルと母親ハガルは、砂漠に追放されます。
苦労したあげく、イシュマエルはエジプト人の妻をめとります。これが、アラブ人の祖先になったというのです。

繰り返しますが・・・神話的な物語ですが、イスラエルとアラブの争いを考えると、避けて通ることができない点です。根っこの深さを痛感しますね。1948年のイスラエルの建国以前にある話ですが・・・
 
      仏陀の教えは「人間的な悩み」から出発している

キリストは、わずか3~4年の伝道生活をしたのにすぎませんが、仏陀は、入滅するまでの40年間伝道しました。

キリストが「神が人間」で現れたというのに対して、仏陀は「人間が苦しみを乗り超えて悟った」という点で、全く異なる立ち位置です。
 
多くの日本人は仏教徒もしくは仏教徒に近い感性をもって生活していますね。この多神教は、インドのバラモン教という多神教を根っこにもっていますから「排他的ではありません」ね。
ここが「一神教」のユダヤ教・キリスト教・イスラム教徒、全く異なる点です。

 
     「人生は苦しみである」・四苦八苦という認識

仏陀は「人生とは苦しみ」であるという認識から出発しています。
厳しいインドの自然・風土の中で「人間とはどんな存在」なのかを追及したから「苦が出発点になった」のでしょう。

だから,「信仰」より「悟る」ことになったのでしょう。
仏陀は「病気」「老い」「死ぬ」そして「生きる」を<四苦>といいました。そして「あいたい人と別れる」「愛していない人に会う」「欲しいものが手に入らない」「心身から生じるすべての苦しみ」の四苦をくわえて<四苦・八苦>といったのです。

受験勉強も「生きる」ことのカテゴリーに入るでしょうね。
私の年齢になると「老」が、苦しみの中心になります。勿論「病」も・・
病気の人は「病むこと」ですから、苦しみを取り除いてくれる「薬」が必要ですね。

「すでに、四苦八苦という毒矢が刺さっているのだから、毒矢を抜くことをしなくてはならない」というのが仏陀の教えの根底にあります。
苦しみの除去です。・・・老化・病気・死から逃げられないのが、生物の宿命です。

            仏陀の生涯

仏陀は、釈迦族の王子に生まれながら、恵まれた「快楽生活」な馴染まず、29歳の時に妻・子を捨てて,バラモンの「苦行生活」に入りをました。
が、悟り切れず、体力を回復したのちに、沙羅双樹の樹下で「坐禅」を組んで「覚者=さとりを得たもの」になったといわれます。
80歳で入滅するまで全国各地で伝道したといわれています。

    
          諸行無常・諸法無我・涅槃寂静

すべてのものは変化する。一定のところにとどまっていない。これが諸行無常です。ところが、私たちの「煩悩(ぼんのう)」は、変化を受け入れようとしないのです。108もあるのですから・・・。

インドには、伝統的な「輪廻」の思想があって、何度も生まれ変わると信じられているのですね。すべてのものは「因縁」によって繋がっており「我」というものはない。
普遍的な真理は「ダルマ=法」である。悟りに至るための修行方法を「八正道」といいました。
涅槃寂静とは、悟りを開いたということですが、スッキリ、清々しい気分になった境地ということですね。だから、人間は死ぬと「涅槃寂静」になったというのですが、私は、まだ「生々しい方が好き」です。

 
             薬師如来と阿弥陀如来

私たちは「この世」で生活しています。生命が亡くなったら「あの世」に行く。
東方にいて「現世」をみられている「薬師如来様」は、日光・月光菩薩を従えて表現されます。左手に「薬」をもっていますが、これは苦しみをやわらげるためのものです。
西方で「来世」を観られているのが「阿弥陀如来様」です。脇に観音菩薩と勢至菩薩を従えています。「南無阿弥陀仏」と「念仏」を唱えると衆生を救済してくれると信じられています。

「南無」とは「よろしく」というような意味です。来世は、他力本願の世界ですが、現世は苦しみながら「闘う世界」ですから、薬が必要ですね。
現世は「修羅の世界」です。苦を超える修行が必要です。

くどくなりましたが、「共生」なくして、人間は生き残れません、排他的な一神教より、私たちの多神教の方が「人類を幸福」にしてくれると信じているのです。






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