マリー・アントワネット(2006🇺🇸)
原題: MARIE ANTOINETTE(2006、アメリカ=フランス=日本、123分)
●原作:アントニア・フレイザー
●監督:ソフィア・コッポラ
●出演:キルスティン・ダンスト、ジェイソン・シュワルツマン、マリアンヌ・フェイスフル、リップ・トーン、ジェイミー・ドーナン、オーロール・クレマン、アーシア・アルジェント、ジュディ・デイヴィス、スティーヴ・クーガン、ローズ・バーン、シャーリー・ヘンダーソン
幕開けは衝撃のギャング・オブ・フォー "Natural's Not in It"。
いや〜!度肝抜かれた。
マリーアントワネット映画で、ギャング・オブ・フォー使うのかよと。
もう椅子から転げ落ちそうになりました。
これはもう出オチ技というか、二度と使えないし他の誰かが同じようなことをしても二番煎じになるというグレートムタの毒霧的な凄まじい反則技だが、これにはホントにたまげた。ここで使うか〜と。
まずそもそもギャング・オブ・フォーは「四人組」ってことなんで、それをフランス王制時代の映画にぶつけてくるかと。
この時点で普通のマリーアントワネット映画をやる気なんてないということがわかる。
タイトルロゴも思いっきりジェイミー・リードだし!
それから中盤のルイ16世の即位後のパーティー場面ではニュー・オーダーの"Ceremony"。
他にはキュアー、スージー&ザ・バンシーズ、バウ・ワウ・ワウなど。
使われているバンドがいわゆるニューウェーブ(新体制=革命派)ということでそこにハイコンテクスト的な意図を組み込んでいるのかと思いきや、その流れとは関係のないストロークスやレディオ・デプト、エイフェックス・ツインも使われている。エールは常連だけれども。
『ヴァージン・スーサイズ』や『ロスト・イン・トランスレーション』のサントラでも良い仕事をしたブライアン・レイツェルが今作でも音楽プロデュースなのだが、彼が全てを一任されていたのかソフィア監督自身の意見も入っていたのか、その辺はどうなのだろう。
ケヴィン・シールズがバウ・ワウ・ワウをリミックスすることになった経緯も気になるところ。
肝心の中身のほうはと言うとマリー・アントワネット一人のみに焦点を当てて背後にある時代とか政治とか国民とかといったものはほとんど描かれない。
ひたすら宮殿内でのパーティー、舞踏会、噂話、オペラ、素敵なドレスと靴、ケーキ、恋、そういったものだけが映し出される。
ヴェルサイユ宮殿での撮影を始め、衣装、内装、小道具、美術全般に妥協はなく徹底的に"本物"。
それに対して主演のキルスティン・ダンストは普通の現代のアメリカ娘のまんまという感じがして、周りが本物であればあるほど、その虚構性というか虚飾性というか、ある種の空虚さが浮かび上がる。(他のキャストにも言えるが)
それも演出の狙いだったのだろうか?