先ずは、自分から
『感謝するといい』
『ありがとうと言うといい』
おそらく多くの人はこの言葉を聞いたことがあるだろう。
私は生まれ持っての自分の少し変わった性質によって人に気持が分かりすぎしてしまい、人の気持ちを理解する側に立ち続けながら生きてきた。
つまり、自分の気持ちを全て後回しにしてしまったのだ。
怒っている人・意地悪をする人・理不尽な人にも、そう言う行動をとってしまう其々の理由がある。
私は良くも悪くも相手の感情を理解し過ぎてしまい自分の感情をコントロールすることが上手い。
無闇に怒らないし、ほとんど愚痴も吐かない。
辛くても言わないし嫌でも断わらない。
そんな風に生きてきたら、自分の本当の感情がわからなくなってしまった。
この世の不思議な法則なのだが、こうやって自分の気持ちを我慢させコントロールさせて生きてくると、次から次に同じような環境が用意されていくようだ。
そして、ついに私がどう頑張っても相手を理解しきれない環境が用意されてしまった時、誰よりも人の気持ちが理解できると思っていたのに、嘘でも『感謝』や『ありがとう』の言葉が口か出せなくなってしまった。
でも、人に対して攻撃的は人間ほど、心が弱く脆いことに気付けてしまう私は、嫌うとか怒るといった感情を相手に向ける事がどうしても出来ず、負の感情を自分が持つことを拒んでしまった。
すると、怒る・恨むというような負の感情の闇よりもっと暗いゾーンに入ってしまった。
つまり怒りなどの黒い感情を手放してしうまと、同時に対極の喜びといった白い感情すら感じなくなってしまったのだ。
ただ息をしているだけのような生き方。喜びも悲しみも感じない深海のようなゾーン。
私は多くの奇跡のような偶然が重なり、今は白から黒まで彩りを感じる世界に戻ってこれた。
何故あんなルートを辿ったのだろう。。。
生まれつきの私の特質もあるのだが、結局自分が自分を大事にしてこなかったからなのだ。
人の気持ちを優先するあまり、自分の心や気持ちを蔑ろにして、自分を傷つけていたのだ。
相手の気持ちを大事にするのも勿論大事なことだが、自分を大事に出来ていないと、最後には相手への愛は出てこなくなってしまう。
不平不満が全ていいそう言うことではないのだが、その都度自分がどう感じているのかをきちんと自分が受け止めてあげることが大事だと思う。
我慢することがあった時は、本当は嫌だったんだという自分をちゃんと大好きでいること。我慢した自分が嫌だったら、次はきちんと自分の意見を伝えたらいい。
感情を吐き出しても出さなくても良いのだが、自分の感情にちゃんと寄り添って、喜怒哀楽というどんな感情を持った自分も大好きでいることができたら、自然と人への愛は出ていくのかもしれない。
先ずは、自分が自分の心へ1番に寄り添っていきたい。そして、どんな自分も自分が大好きでありたいと思う。きっと自分と同じようにしか人へは出来ないから。
色のない世界を見てしまった今だから言える。
【喜怒哀楽】色んな心を見せてくれる自分に『感謝』。そして『ありがとう』。
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