まだまだだなぁ、自分
ちょっと日をあけてしまいましたが何か書こうと思います。
今日ちょっと同級生との間で一悶着あり、健全な人間関係、友人関係というものについて今一度考えさせられました。
それがどんな出来事だったのか説明することはここではしませんが、僕の反省としてはただ一つ、
先にごめんなさいと言うべきだったな、ということです。
ごめんなさい。俺が悪かった。これだけで良くなる人間関係って絶対あります。
この行為は多分みんなが思ってるよりもすごく高貴で価値のあることなんだと僕は思います。なかなかさらっとできることじゃない。特に僕みたいな変にプライドの高い人間は、素直に自らの過ちを認めることができない。相手の間違いを一旦飲み込んで、自分が一つ上に立って謝るということがすごく難しい。
僕の中学校の恩師は僕によくこのことを言いました。僕が高校に合格し個人的に手紙を送ってくれた時にも、今年一年ぶりにあって話した時にも、最後にはいつもこの話になりました。
先に謝ることが一番大切なんじゃないか。そして息子には何よりもごめんなさいが先に言える人間になって欲しいんだ。そう語っていました。
なのに僕はそれをこれっぽちも実践できていない。本当に意味がない、小さい人間です。いくら他のことができてもそれができていないのなら人間的な価値は薄い。最後に人から応援される人間にはなり得ない。
これがまず一つ。
あとは「言葉を大切にすること」「自分のことだけにならないこと」この二つについてです。
人間関係においての何かしらのトラブルってーー多分おおよそがコミュニケーション不足にあるのではないかと思います。今日もそうでした。筋を通すべきことを通さない。言うべきことを言わず混乱を招く。
当たり前のことですが、やっぱり言葉って大切です。何か不満、不安、気づきを持った時には誰かに言ってみる。良いもの、良いことを見つけたら素直にこれいいねと言う。多分健全なコミュニケーションに必要とされているのはそんな当たり前の言葉たちではないでしょうか。
僕たちは言葉によってのみ意思創通を図るのです。それが文という形であれ、手話という形であれ、結局は言葉という一つの実体に他ならない。
ごめんなさい、俺が悪かった。これも立派な言葉ですね。
あとは自分のことばかりにならないということ。
みんな忙しいし、大変なのです。みんな自分が大好きで保身に走りたいのです。
でもそれだけだといつか世界は滅んでしまう。あなたの周りからそっと人は消えていく。
「誰かが貧乏くじを引かなきゃならない」
昨日見たゴジラで心に一番残ったセリフです。だれがやんなきゃいけなのなら、俺がやっても良いじゃないか。そんな心意気。
そしてあと思い出されるのは石原慎太郎の言葉です。記者会見然り、衆議院議員辞任演説然り、彼は自分のことしか考えない人々の跋扈する現代を強く憂いていた。
言葉を大切に、人に与えること。
僕はそんな立派な大人になれるでしょうか。
2023/12/13 0:56
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