エッセイ : 僕の身の周りの高齢化問題 5 / 自分以外の人の話をする高齢者と自分の話をする若い人たち

僕が住んでいる地区で、先月、定例の会議があり
仕事が休みだったので久しぶりに出席した。
参加者は高齢者ばかりで、若い人たちは殆どいなかった。
高齢者の人たちは、若い人たちが出席しないことに
文句を言っていたが、若い人たちは現役で働いていて、休みの日も家族サービスをしなくてはいけない
毎日、暇を持て余している人たちとは違う、ということを何故理解出来ないのだろう? と思った。

地区の行事等の説明があった後、高齢者の世帯と若い人たちの世帯の仲が良くないという話題になった
高齢者の人たちの主張は、令和の時代になったとはいえ、もう少し近所付き合いをしても良いのではないか? というもの。若い人たちは、とにかくプライバシーということばかりを主張するとも言っていた。
近所付き合いを求める高齢者とプライバシー重視の若い人たち、という構図になっていたが、僕は、
敢えて以下の発言をした。

お年寄りの人たちは、どうして自分以外の人の話ばかりするのですか?  自分自身の話しをすればいいでしょう。あの家の嫁はこういう人だの、あの家の息子は何処の高校に行っているだの、ましてや悪口まで言えば、今の若い人たちは、そんな人たちとは付き合いたいとは思いませんよ。
本人がいる前でその人の話をすればいいですが、
本人のいない所でその人の話をすれば、自分がいない時は自分の話をされている、と思います。
自分がいない時に自分の話をされるのを好きな人はいません。自分の話をされないためには、自分のことを知られないようにするしかありません。
また、お年寄りの中には、他人のことを必要以上に知っている方がいますよね。
あの家の嫁は、最初はどこどこの会社に勤めていて
そこを辞めてどこどこの会社に行き、あの家の息子と知り合った、とか、あの家のじいさんは、昔、
さんざん貧乏をしたが、商売で大儲けして、御殿のような家を建てて、市会議員までやっているとか、
若い人たちから見れば、どうして他人のそんなことまで知っているの? そこまで詮索されてしまうの?
と思い、警戒心まで持ちますよ。
お互いに自分の話をすればいいでしょう。例えば、
海釣りに行ってこんな大きな魚を釣ったとか、昨日パチンコで3万円勝ったとか、今度出来たラーメン屋に行ったら美味しかったとか、自分以外の人の話ばかりしていたら、若い人たちに、嫌ってください
と言っているのと同じになってしまいますよ。

お年寄りの人たちは小さな声で何か言っていたが、
僕は無視した。確かに若い人たちが譲歩しなくてはいけない部分もある。
だが、お年寄りは自分以外の人の話ばかりするという点を改善しなければ、若い人たちとは上手くやっていけないからだ。

会議が終わり公民館から出て来ると、同じ会議に出席していた40代の奥さんに声をかけられた。
「鈴原さん、ありがとうございました。鈴原さんは私達が言いたいことを全部言ってくれました。私は
人のことが気になるのは自分に自信がない証拠だと思います。自分に自信があれば人のことなど気になりません。この地区に住んでいるお年寄りの人たちは、何をそんなに心配しているのでしょう? 何がそんなに不安なんでしょうね。」

この奥さんは鋭いことを言ったと思った。
確かにそうだ、人のことが気になるのは自分に自信がない証拠、自分に自信があれば人のことなど気にならない。

家に帰ると、隣の家のおじいさんが僕を待っていて
話しかけて来た。

「鈴原さん、俺は鈴原さんの言った通りだと思うよ。人のことをいろいろ言ってりゃ、若い奴らじゃなくたって嫌になるよ。俺だって頭に来ることがある。俺たちの間でも意見が別れていて、俺たちは少数派なんだけど、若い人たちと話し合いたいと思ってるんだよ。ところが、主流派は話し合うというよりも、むしろ文句言いてえって感じなんだよ。何が気に入らねえと思う? 俺は鈴原さんも知ってるけど、将来的に息子夫婦と同居するだろ、主流派の奴らは子どもに面倒見てもらえねえ人たちばかりなんだよ。俺に言わせりゃ八つ当たりなんだけどさ。子どもに面倒見てもらえねえ年寄りってのは、自分の仲間が欲しいし、同じ境遇の年寄りを見つけると安心するし、上手くいってる家族を見るとケチつけたくなるんだよ。文句を言うというより嫉妬みてえなもんだよな。子どもに面倒見てもらえねえ年寄りは、
子どもとちゃんと付き合って来なかったわけだから、そのツケが廻って来てるだけなんだよ。全部自分の責任だよ。でも、ここまで来たら、もうどうにもならねえから、ある意味鬱憤バラシだよな。
鈴原さん、そういう年寄りは無視してるに限るぜ。
俺は息子たちが来たら、息子たちに若い人たちと仲良くやってくれるように頼むつもりだよ。じゃあ、
お疲れ様。またな。」

僕は8年前、父を病気で亡くした。そして、昨年、
母も病気で亡くした。
父が亡くなった病院の看護婦長さんに大切なことを教わった。それは、
子どもは親の面倒を義務では見ない 
子どもは親の面倒を見たいと思って見る
自分の子育てが正しかったかどうかは、自分が亡くなる時に分かる。
ということだ。

次回はこれをテーマにエッセイを書きたいと思います。

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