つまらないという事実?

この前、とある映画レビューサイトで「この映画がつまらないのは明らかな事実だ」といったような書き込みを目にした。その書き込みはその後「つまらないのは明らか」なはずの映画に高得点をつけている他レビュアーへの批判(とステマ認定)を展開していく訳だけど、自分はこの表現を若干の違和感を感じつつ受け止めた。

「つまらない」ことは「明らかな事実」になり得るのか?

しばらく考えた結果、ある教科書の内容を思い出した。
小学・中学国語でやらされた、事実と意見の見分けについての学習だ。
あの時習った記憶に従うならば、事実とは誰にでも証明が可能な出来事の内容や数字の変化など。対して意見は人によって捉え方に違いが生じても不自然でない思想や形容。
例えば、「◯◯くんは出席番号5番で歌が上手い」という文章があったとするなら「◯◯くんは出席番号5番」であることは学校の人間なら誰でも容易に確認が出来て尚かつ疑いようが無いので事実だけど、「◯◯くんは歌が上手い」という話になると「確かに上手いよね」「そう?ただ高音出しまくれるってだけじゃん」と人によって賛否が分かれる上に正解がある訳でも無いので意見になる。

更に学校関連でもう1つ、共通テストの英語リーディングの話もしましょう。
ここでは必ずと言っていいほど適切な「Fact」または「Opinion」を選ぶ問題が出てくるんだけど、Opinionに相当する選択肢には大抵comfortableとかsaltyとか形容詞が登場する。逆にFactは日時や時間に関する記述に、誰かの行動の描写など。

以上のことから、形容詞が使われた文章というのは基本的に「意見」であり、「つまらない」も形容詞である以上「つまらないのは明らかな事実だ」なんて易々と言い切るのは少々語弊があると思う。例え意見がどれほど的を射ていたとしても、それは的を射た意見であって事実では無いという訳。
百歩譲って「間違った意見」は存在するだろう。でもその意見の間違いというのも結局は事実の間違いをベースとして起こる訳だし……。

「いやいやいやそんなこと言ったってさあ、例えば4コマ原作の日常系アニメで感涙してる奴がいたら『普通に考えて』おかしいじゃん!!」という人もいるでしょう。でもさ、そういう「普通に考えておかしい」ものを本当に普通に考えられた結果なのかすら熟慮せずに排除した結果辛酸を舐めてきた人々が人類史に大勢いるのはそれこそ「歴史的事実」じゃん。

そもそもインターネット上に多い「自分が好めないものを好む人が許せない人間」というのがどうも自分は受け付け無い。最初に取り上げたレビューみたいに反対意見は全部ステマかエアプ(愚民)か人格破綻者(「この映画で泣けたとかそいつ絶対自分のこと優しいと勘違いしてる無自覚サイコパスだろ」的なの)だと決めつけてかかる輩が多すぎると思う。それもこれも「『感想』に『正解』がある」等と信じてしまっているから出来てくる思考回路じゃ無いんですかねぇ。

最後に、共通テスト繋がりで太宰治『パンドラの匣』を引用します。

「ベートーヴェンに限るの、リストは二流だのと、所謂その道の『通人』たちが口角泡を飛ばして議論している間に、民衆たちは、その議論を置き去りにして、さっさとめいめいの好むところの曲目に耳を澄まして楽しんでいるのではあるまいか。」

評論家やオタクになることより楽しめる作品が多いことの方が人生を楽しくするには効果的だと思う。自分の好きなものを自分が好きならそれで完結してしまえば良い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?