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尖るか尖らないかそれが問題。そして第三の選択。

僕は「人との付き合い」と「自分のありたいさま」を天秤にかけて、バランスの良い中庸を探すことがよくある。

言葉というのは便利な性質を備えていて、一つの物事を、見る角度を変え、客観と主観を行き来し、スケールを変えて、表すことができる。

このような性質の恩恵で、お金を使わない人を「節約家」「お金に堅実な人」と語られ、言葉の性質のせいで「ケチ」「ガメつい」などとののしられる。ポジティブとネガティブは両立してしまう。
(これまでの学生生活での一番の収穫だろう)

「自分のありたいさま」を貫く事は自身の視点にとってポジティブなこと。しかし、「人との付き合い」の中ではネガティブなことな場合があり、自身のしたいことを我慢して寄り添うことがしばしばある。
(相手もこちらに寄り添ってコミュニケーションをとってくれているのは間違いない。ただ、たいてい相手が乗り気なものは相手の「自分のありたいさま」を貫いたもの。お互いに自我を通すのがいいのか?)

僕は、「自分のありたいさま」を目指したいのか、「人との付き合い」を大切にしたいのか、まさしく今、悩んでいる。

他人の評価を気にせずに自分の人生を歩んでいくのか、他人の評価を気にしながら他者との生活を営んでいくのか、この二つに悩んでいる。

個人的には、自分の人生を歩みたい。
人の目を気にしなくなる方法は知っている。他人の目を気にしなくていいほどに、自分の人生に集中すればいい。(悩みが連続的に発生するときほど、することを増やして、それらに集中すればいいと聞いたこともある。)

では、なぜ振り切れないのか。
僕の場合は次のことが原因だと考えている。

多岐にわたる可能性から絞り込んだ「自分のありたいさま」は、「人との付き合い」の中で好きなことor嫌なこと、なりたいことorなりたくないこと、 を明らかにしていくうちに形成されたものである。
そのため、「自分のありたいさま」をはっきりとしたビジョンで持ち続けるには「人との付き合い」が必要である。

この考えには、抜け道がある。
付き合う相手は選べる。

会社の飲み会は嫌いでも、友達との飲み会は好き。そんなことがたくさんある。

なら、仕事以外は、好きに過ごそう。きっと、その判断基準に「給料の出る付き合いか?」を考えて、定時にしっかり帰るのだろう。会社の人から飲み会に誘われて、断ることは「人付き合いが悪い」と評価を受ける。でも、その時間で友達と飲みに行けば彼らから「人付き合いのいい」と評価される。

人との関りが断てないのならば、誰からの評価を大切にしたいか。これが大切なのだろうと、このブログで考えをまとめながら思った。

きっとこれからも時々悩み続けるのだろう。



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