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ショートショート「午前7時30分」

午前7時30分、毎朝同じ時間に僕はこのベンチに腰を掛ける。
学校に行くまでの15分間、このベンチは僕の特等席になっている。

自然公園を名乗るだけあって、この公園は都内にしては中々の広さを持っている。林の広がる公園内には遊歩道や広場が設けられていて、毎朝この時間はおじ様やおば様がランニングやジョギングに励んでいる。

そして恐らく今公園にいる中で最も若いであろう僕は、しかし体を動かさずベンチにふんぞり返っている。別に読書や勉強をしてるわけじゃない。

僕よりも何十年と生きてきた人生の大先輩が汗水流している中で、僕だけがただ呼吸をしてくつろいでいる。
この優越感が良いのだ。自分だけが頑張らなくていい優越感。大人が必死こいて維持している健康を、若さだけで手に入れている快感が本当にたまらない。
顔のしわに汗をためてぐるぐる公園を周回する紳士淑女眺めるのが、もう毎朝の日課になってしまった

「ん?」

ふと遠くから一人の老人が走ってくるのに気づいた。ただの老人ではない。腰で赤い光が回転している。ちょうどベルトのバックルのあたりでぐるぐると。
あれだ。古い特撮のあれ。仮面ライダー一号。ジャージが緑っぽいのも相まって薄目で見ると非常にそれっぽい。

変わったやつだと思ってみていると、だんだんと近づいてくる。
というかどんどん近づいてくる。

・・・速いぞ!?

「・・ーーぁぁくぅらあああああふぶぅぅぅきをぉぉぉーー・・・!!!」

「うおおっ!」

老人は僕の鼻のすぐ先を走り抜けていった。僕は風を感じて思わず身を守ってしまった。いや冷静に考えれば身の危険なんてないけれど。

なんだ、あのジジイ。この長閑な公園であんな必死に走る奴は初めて見た。というかジジイの全力疾走を初めて見たよ。
俺のじいちゃんくらいに見えたけど、心配になるって。
めちゃくちゃ速かったし。

てかなんか叫んでたな。
く、らふ、ぶき、を? くらふぶき、くらふぶき、くらふぶき。
さくらふぶきを。

「サライか。」

いやなんでだよ。サライ叫びながら全力疾走する一つも理由が分からないよ。
サライはもっとゴール寸前のトロトロ走ってるときの曲だろ。そんな短距離並みの速さで駆け抜けるなよ。加山がびっくりしちゃうだろう。

俊足の仮面ライダーは、もう背中も見えなくなっていた。
彼は何者なんだろうか。この公園に通い始めてしばらく経つがあんな奇人一度も見たことがない。下手したら通報されたっておかしくないと思うけど。

公園の遊歩道は環状になっているから、しばらく待っていれば多分また目の前を通過するだろう。

・・・どうしよう。正直気にはなるけど。なんというか、あのジジイが来るまで待機する時間というのがなんかキモイ。
面白いとか優しいとかじゃなくただ変なだけのジイさんをわざわざ待ち構えるっていうのが、ものすごい時間を無駄にしている感じがして腹が立つ。

しかし気になる。あの変身ベルトは結局何だったのか。すごく気になる。
でも、ただでさえ貴重なこの時間を、ジジイ一人のために使うなんて、、

「あっ」

時間で思い出した。僕はすぐにスマホで時間を確認する。

やばい。いつの間にか学校へ向かわなければいけない時間を随分過ぎていた。
僕はジジイを諦めて学校へ走り出す。

本屋の角を曲がって歩道橋を渡り路地に入る。しばらくまっすぐ進んで、近道に工場の駐車場を抜けたら学校は目前だ。まだ正門は閉まっていないから、ギリギリセーフだ。よかった。

僕は安心してスピードを緩めてウィニングランに入った。ゴールまで頑張った自分を褒めてやりたい気持ちになった。その時。

「さぁぁくぅらぁぁぁふぶぅぅきをぉぉぉ」

・・・最悪だ。思わず歌ってしまった。ジジイの熱唱が頭に残っていたせいだ。ほかの生徒も生活指導の先生もいるのに、割り大きい声で歌ってしまった。

一瞬で顔が真っ赤になったのが自分で分かった。
生徒はぽかんとした顔で、先生はにやついた顔をして僕を見ている。
何見てるんだよ。ひっぱたいてやろうか。くそっ。

何もかもあのジジイのせいだ。次あったら足を引っかけてやる。絶対に国技館にはゴールさせない。絶対だ。
僕はそう胸に誓って教室へ入っていった。


しかし、それからあのじいさんを見ることはなかった。あの日課は毎日続けているけど、あの韋駄天の仮面ライダーはもう現れはしなかった。
僕はもう2回も学年が上がって、きっとこんな日課を続けるのもあと少しだと思う。

彼は今どこにいるのだろう。もう一度見たいともあまり思わなくなったけど。
それでもできれば、今も日本のどこかを全力で走り回っていてほしいと、僕は思う。


「さくらー、ふぶーきのー、さらいーー、のそーらへー・・・」


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