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個人的曲紹介#2「あれよという間に・・/MSC」

個人的に刺さった曲を見つけては紹介していく。
またHIPHOPになってしまった、、

第2回目の紹介曲「あれよという間に・・/MSC」

2003年リリースのアルバム「宿ノ斜塔」の収録曲
クラシックとモダンの中間というか過渡期のような時期の曲。
アウトロー系日本語ラップの中でもトップクラスの完成度を誇る名曲

MSC

MSCは、新宿を拠点に活動するHIPHOPクルー(グループ)で、2000年に結成されたMS CRUを原型としている。
有名なのは中心メンバーである漢a.k.a.GAMIだろうか。

新宿という土地柄もあって、彼らのスタイルは筋金入りのアウトロー。
半グレにヤクザ、在日外国人に悪徳警官、あるいは薬物や強盗、抗争など、曲中でもイリーガルなフレーズには事欠かない。

事実、彼らの生活はそういったもの中にあり、漢a.k.a.GAMIついては、薬物所持で逮捕されたというイメージの方が強い人もいるだろう。
しかしそのような実体験が圧倒的なリアリティの楽曲を作り出していることもまた事実だろう。

その現実離れした描写がかえって、田舎で育った私に任侠映画でも見ているかのような刺激を与えてくれるのだ。
そう、彼らの魅力を一言でいえば「刺激的な悪」だ。

降神

今回の曲に参加してるのはMSCメンバーのみではない。「なのるなもない」と「志人」の二人で活動する降神(おりがみ)というグループとの合作なのだ。

降神は高田馬場を拠点としていて、MSCとは拠点が近かったこともあり交流があった。しかし彼らのスタイルはMSCのアウトロー路線とは全く異なっていた。

降神のスタイルは、一言でいえばポエムだ。それはMSCの見せるリアリティとはむしろ対極にあり、抽象的で不思議な世界観と独特のフロウ(抑揚)である種のトランスミュージックに近い浮遊感を味わわせてくる。

MSCやほかのアウトロー路線のラップが苦手な方でも、降神の曲なら楽しめるかもしれない。ラップは不良だけの音楽というわけではないことがすぐにわかるだろう。

平成の閉塞

軽い音で重なるドラムに、悲し気なピアノとバイオリンの音が言い知れない不安を感じさせるトラックは、やはり当時の彼らが抱えていた感覚の一角なのだろう。

平成が始まって10年近く、世紀末を超えていよいよ始まった21世紀は、しかし未だにバブル崩壊の傷を引きずっていた。
かつての勢いを無くし、先行きを悲観しながら生きる先人たちを、色あせた社会を、これから羽ばたいていくはずの若者はどう見ていのかが見て取れる。

不景気が当たり前で育った世代の、冷静で退廃的な目線がありありと伝わってくる曲となっている。

曲は降神の二人のバース(パート)から始まる。この二人が曲全体の世界観の土台を作っている。

競争社会から脱落し、路上生活者となった男の惨状の「情緒」を主観的に歌っている。
ドラマティックな描写と、トラックと融合するようなフロウを冒頭でぶつけることで、曲全体の雰囲気や空気に聞き手を引きずり込むことが彼らの仕掛けだ。

個人的な感想として、降神にしてはリアルな、といかストーリー性を感じる描写が多いと感じた。彼らのほかの曲もぜひ聞いてほしいのだが、彼らは本来もっと難解な詩を書く。
有り体に言えば支離滅裂なうわごとのような詩が彼らの曲のマイノリティだ(それでも統一された世界やメッセージが伝わるのが凄い所なわけだが)。

それに比べて今回の曲では
「己が願った未来とは違い 競争社会で踊れなくなった 大人が道端に石頭をこすりつけ眠る生きた死体 よごれが目立った路上生活者」
のように、いやに具体的というか、具象的な部分がある。

視覚的な状況をはっきりさせることで、聞き手側の想像力を映像ではなく 前後の物語や心情に向けようとする意志を感じる。
普段の映像を想像、もとい妄想させる普段のスタイルとは逆のスタイルを織り交ぜているのだ(もちろんすべてではない)。

さて後半になると、MSCの面々のバースが入る。彼らは歌うのは路上生活者ではなく、裏社会で生きる加害者も被害者も含めたアンダーグラウンドな人間たちの世界だ。

前半がひたすらに現状を見つめる人間の「嘆き」だとしたら、後半はそんな社会で生きなければならない人間の、やさぐれた、淡々とした「意思表示」である。

彼らは不景気な社会や不遇な環境、日常にありふれた悪意をひたすら客観的に歌い、現状をごまかさずに見据えている。しかしそれは悲観とは別者で、そこでどう生きるかを前提とした前向きな観察から得たものだということが伝わる。
そういう意味でも、MSCのバースは土台に前向きな現実論があると言える。

悪事だろうと愚行だろうと、生き延びるためにやるしかないという強い意志と、そのために現実から目をしれさないという覚悟に、そういったことに全く縁のないはずの私も、何故か少しだけ勇気をもらうことができるのだ。

MSCのバースに関してもやはり、普段の彼らの曲とは異色と言わざるを得ない。MSCの普段の曲は、彼らの育った新宿のイリーガルな部分(薬物、暴力、売春など)をよりグロテスクに、よりショッキングに歌っており、そこには若干の「悪ふざけ」が入っていることが多い。

勿論、路地裏の暗闇部分を実際に体験してきた彼らが、そういった場所に生きる人々を馬鹿にすることはないだろう。
彼らはそれをむしろ自分の個性として誇っており、実体験だからこそ、グロテスクさを個性として売り出す資格があると言える。

しかしだからこそ、その前向きな生き方、歌い方ゆえに彼らはその暗い生い立ちを悲観することも否定することも決して出来ない。
人一倍生き難い人生を歩んできた彼らがそれでも成り上がっていくためには、悲観や自己否定は一番の敵だったからだ。立ち止まることも振り返ることも、彼らにとっては死に直結したために、それをただ「悪いもの」として書くことはできなかった。

そのため彼らは自身の体験した事件や、あるいはその手で行った悪事を時には笑い話として、時には武勇伝としてあくまで肯定的に書く。それはただ単に悪い事自慢というわけでなく、生まれや育ちを捨てずに背負って生きていくという彼らなりの哲学と覚悟の賜物なのだ。

しかしながら、今回の曲では珍しく明るい「ふざけ」の部分は少なく。暗い社会や環境を肯定せず、叙情的な雰囲気を見せている。MSCのスタイルである淡々とした描写と「悪ふざけ」の色はうすく、逆に情緒と世界観を前面に押し出してきている。

前半でも述べた通り、この「らしくなさ」は降神でも見られた。
改めて両者を比べると、降神はMSCに、MSCは降神に合わせて自らのスタイルを寄せ合った結果なのではないかと思わされる。
降神の持つ抽象的な世界観とMSCの持つ具体的な前向きな現実主義。それぞれを損ねることなく、バランスよく練り合せた結果なのではないか。

この曲はMSCと降神が、それぞれが自身のスタイルに誇りを持ちつつ、それでも1曲のクオリティを上げるため互いに歩み寄ることで生み出した1曲だと思う。

こと完成度に関しては、この曲は間違いなく史上最高峰の完成度を誇っており、流行り廃りに左右されない価値がこの曲にはあると、私は思う。

P.S

MSCのスタイルの特徴の一つを「悪ふざけ」と書いたが、メンバーの一人である漢a.k.a.GAMIのシングル曲に関しては、むしろその成分は少ない場合が多い。アンダーグラウンドな生い立ちを肯定していることに違いはないが、「悪ふざけ」ではなく、「生き残りをかけた勝負」や「愛すべき故郷」として肯定しており、不良文化をあまり好まない方々にはこちらの方がお気に召すかもしれない。(紫煙、何食わぬ顔してならず者など)

締め

「あれよという間に・・/MSC」の紹介でした。

あまりHIPHOPに偏らせるつもりはないのですが、なるべく知名度の低いものをと考たらHIPHOPになってしまいましたね。

次はHIPHOP以外にしたいと思いますので、ご期待していただけたら幸いです。・・・多分。

ご高覧ありがとうございました。


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