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『家族ダンジョン』第30話 第二十八階層 交錯する迷路

 冨子は穏やかな顔で言った。
「なんか、広くていいねー」
 視界を阻む壁が一切なかった。膨大な水を湛えた湖面には葉脈のような道が伸び、枝分かれして迷路の状態を作り出す。
 ハムが前に出た。道以外を覗き込む。
「底の方まではっきり見えるぞ」
 茜と直道が別の個所を見た。
「そうだね。道は迷路みたいになっているけど、泳いで渡ることもできそうだし、この階は楽勝かな」
「無理だ」
 直道は濡れた指先を頻りに振った。
 不審に思った茜は湖面にそっと指を入れた。瞬間、悲鳴に似た声で引き上げる。
「なによ、この冷たさは! 凍っているみたいに冷たいじゃない!」
「そういうことだ」
「あそこに見えるのは降りる階段だよねー」
 冨子は端の方を指差した。湖面の底に穴のようなものがあり、階段状の物の一部が見えていた。
「皆の者、俺様に続け!」
 勇ましい声でハムは湖面に飛び込んだ。四肢で水を掻いて底に着くと降りる階段の中に入っていった。
「私達にどうしろと」
 揺れる湖面を見て茜が愚痴を零す。
 後続がいないことに気付いたのか。ハムが怒りの形相で急浮上。鼻の穴から水を噴き出して叫んだ。
「俺様だけを行かせるな!」
「こんな冷たい中に入ったら心臓が止まるわ!」
「シイタケ、そうなのか? 心臓が止まるのならば駄目だな。少し先走ったみたいで悪かった」
 すんなりと非を認めたハムは湖面から這い上がる。静々と歩いて最後尾に付けた。
「まずは道なりに進んでみよう」
 直道の一言に、賛成―、と冨子は陽気に答えた。
 一行は緩やかに行動へ移した。
 茜は歩きながら周辺を見回す。
「それにしてもよく見えるね。意外と簡単に抜けられそう」
「色違いの床が見える」
 背の高さを活かし、直道はかなり先に指を向けた。
「言われると、なんか見えるようなー」
 冨子は踵を上げたがはっきりとしない。
「どこに、なにがあるんだ!」
 ハムに至ってはまるで見えていなかった。
「こちらだ」
 直道が先頭になって他を導く。分岐を右手に折れた。先は一本道で何回か曲がって辿り着いた。
 神妙な顔で茜が前に出る。足元には丸くて平たい突起物があった。
「ボタンのようね。この大きさだと乗ればいいんじゃないかな」
「どうなるのだ?」
 ハムは前脚で突起物を叩く。その程度の力では押し込めないようだった。
「……これもトラップの一種よ、たぶん。ボタンを押すと湖面の水が無くなって降りる階段に行けるようになるんじゃないかな」
「それなら俺様に任せろ」
 ハムは突起物の上に完全に乗った。その重さでじわじわと下がる。
 全員の目が湖面に向かう。表面は穏やかで小波も起こらなかった。
「何の変化もないようだ」
 直道は周囲にも目を向ける。
「そうみたい。じゃあ、なんだろう。このボタンの意味を教えてくれる?」
 茜は直道のポケットに問い掛ける。そこにはピンクのウサギの縫いぐるみが顔を出した状態で収まっていた。
 冨子は困ったような笑みとなる。
「お人形さんごっこはあとにしようよー」
「そ、そんなんじゃ、ないって! やっぱり私の見間違いってことで、この話は終わり!」
 茜は大きな身振りで顔を赤くした。
「次に行くぞ」
 無関心のハムは突起物から降りた。すると反発して元の状態に戻った。
「あそこにもボタンのような物が見える」
 直道は一方に目を凝らすようにして言った。
「わかった! この仕掛けは複数のボタンを押さないとダメなんだよ」
「なるほどねー、じゃあ、ここのボタンは誰が押す?」
「俺様が残ろう」
 ハムは突起物の上にゴロンと横になった。
「……問題がある」
 直道は重々しい声を出すと顎を摩った。
「なによ、問題って」
「人数よりもボタンが多い場合はどうなる?」
「あー、それはあるかもねー」
 冨子は手を合わせて頷く。
「まさか……でも、これって完全なゲームの世界とは言えないし……あるのかな、そんなことって?」
「やってから考えればいいぞ」
 ハムは寝転がった状態で前脚をぶらぶらさせる。
「それもそうだ。私の頭が固かったようだ。ハムに感謝する」
「いいぞ、大いに感謝しろ。神と讃えてもいいぞ」
「なんかハムちゃんが言うと、ご利益ありそうー。ラーメン屋さんで頼むラーメンに無料でチャーシューが付いてくるとかー」
「それくらいならハムらしいね」
 茜は白い八重歯を見せて朗らかに笑った。

 湖面の迷路を巡る。見つけた突起物に茜が乗った。押し込まれた状態を見て引き返し、二人は別の道をゆく。
 直道と冨子は無駄口を叩かず、足を速めた。
「ありましたよー」
 冨子は一人で駆け出し、突起物の上に両足で飛び乗った。沈み込むとくるりと向きを変える。
「直道さんは次のボタンを早く見つけてくださいね。みんなが心配なのでー」
「わかった」
 冨子の糸目が開いた。威圧ではなかった。温かい感情が目の底で揺れている。
「俺に任せろ」
 若々しい言葉で直道は力強く飛び出していった。
 機敏に動き、高い位置から周囲を窺う。進もうとして足を止める。右手に突起物を見つけた。道は繋がっていない。視界の隅に入れて大きく回り込む。
 分かれ道に出ると迷わずに一本の道を選んだ。途中に降りる階段があった。見ると湖面の底まで続いていた。
 希望を目にしたことで速度が上がる。大股で突き進み、前方にある突起物の手前で急に立ち止まった。
 目は穏やかな湖面を見て、頼む、と短い言葉を発した。
 直道は片足を置く。突起物に変化はない。全体重を掛けると静かに押し込まれた。
 瞬間、靴底に振動が伝わる。湖面が波打ち、急速に水位が下がった。
 歓喜の声が遠くから聞こえる。
「よっしゃああ!」
 拳を握り締めた直道は笑顔で叫んだ。
 その後は声を掛け合って全員と落ち合い、湖面の底に降りる階段を使った。
「なんか、普通の迷路よねー」
「迷路がすでに普通じゃないんだけど、ここまでくるとね」
 冨子と茜は緊張感に乏しい会話で周りに目をやる。
 直道は二人の側に寄った。
「それでも迷路だ。気を引き締めないと」
「俺様ならば匂いで階段の位置がわかるぞ」
 言い切るとハムはカツカツと足音をさせて正面の通路に向かう。
「潜った時に感じた匂いはこちらからするぞ」
「ハムちゃん、すごいねー」
 冨子は小躍りするように付いていく。
「あの鼻は信じてもいいかもね」
「そうだな」
 茜と直道は、やや遅れて歩き出す。
 ハムを先頭にして歩いていくと通路が途絶えた。
「方向は合っているぞ」
「まあ、こうなるよねー」
 冨子は糸目を僅かに開いた。ひんやりとした冷気を伴う。その肩に直道が軽く手を置いた。
「階段の方向がわかれば勘で動いても迷うことはないだろう」
「さすがは直道! 俺様の意図をよく読んだ!」
「あの商人が持っていた……五郎だっけ? あの魔法のコンパスよりは質が落ちるけどね」
 茜は笑って付け足した。
 和やかな状態で一行は進んだ。行き止まりや無駄に長い通路に阻まれたものの、ハムの鼻の能力はそれなりに助けとなった。
 降りる階段を目前にして各々が上に目をやる。上りの階段が見える。
「距離としては近いんだけどね」
「俺様はあっという間に到着したぞ」
「ハムはね」
 茜は軽く伸びをした。
「でもー、なんか達成感があるよねー」
「そうだな。少し高揚感も味わった」
「直道さん、嬉しそうに叫んでいたよねー」
 冨子の言葉に直道が咳き込んだ。
「それ、知らないんだけど」
「あれは直道だったのか。俺様は冨子が血走った眼で絶叫しているのかと思ったぞ」
「はい?」
 穏やかな声に冷たい刃が潜む。
「ハムちゃん、悪い子じゃないよ」
「あんた、最近、いつもそれだよね」
 茜の一言が場を和ませる。
 一行は新たな階段を揃って降りていった。


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