『家族ダンジョン』第31話 第二十九階層 見えないダンジョン
上の階の影響をまるで受けていないのか。灰色の石で組まれた壁や床は微塵の黒さもなかった。
「これってー、迷路になるのかしら」
関心事は他にあるという風に冨子は正面の通路に入った。三歩で到着。正面と左右の壁に手を当てる。
「抜けられないねー」
「こちらもそうだ」
右隣に位置する通路で直道が壁と向き合う。じっくりと見ても仕掛けの類いは発見できなかった。
茜は降りた階段を背にして立ち、左右に伸びる通路を眺める。
「私は右の方を見るから、ハムは左ね」
「俺様に任せろ」
二手に分かれて他の通路を見ていく。
「なんだ、これは! 全部、行き止まりだぞ!」
左手の声に右手の茜は怒鳴るように答えた。
「こっちに抜けられそうな通路があったよ!」
声を聞きつけて全員が集まる。
「真っすぐだねー」
冨子は張り合いのない声を出した。
「まさか、このまま抜けられる、なんてことはないよね」
「隠し通路があるかもしれない」
得た経験を活かそうと直道は左の壁に手を当てた。目にした茜は速やかに右の壁に触れる。
「私は正面を担当だねー」
「俺様は守護神として先頭を行くぞ!」
「チャーシュー」
冨子の間の抜けた掛け声に茜が笑った。
一行は用心しながらも着実に進んだ。突き当りを左に曲がる。次は右。道なりに歩くと呆気なく抜けた。
視界は一気に広がった。遮る物は何もない。
「ようやくか! 俺様に続けぇぇ!」
ハムは駆け出し、瞬間、弾かれたように宙を飛んだ。鈍い音をさせてゴロゴロと転がる。
「あんた、なにしてんのよ」
茜は呆れたような声でハムを上から覗き込む。
「気を付けろ! 見えない敵がいるぞ!」
「本当に?」
疑わしい目を前方に向けた。栗色の前髪を掻き上げた状態で目を凝らす。
「敵らしい姿もないし、隠れるところもないよね?」
「私が確かめてみよう」
直道は両手を前方に突き出す。その姿で前へ刻むように歩いて、止まった。
「どうしましたー?」
声を掛ける冨子に直道は答えず、両手を何もない空間に向かって伸ばす。
「パントマイムみたい」
茜の一言に直道が言葉を返した。
「目に見えない壁があるようだ」
「本当になにも見えないんだけど」
「あー、本当に壁があるねー。ザラザラする感じもわかるよ」
冨子は別の位置で右手を左右に振った。
「こんなに見えないなんて、どんな壁よ」
茜は広がる空間に向かって溜息を吐いた。
「見えるが進めない! この苛立ちは尋常ではないぞ! なんとかしろォォォ!」
「近くで叫ぶな! 今、考えてるんだから!」
「そうだな。ここは少し考えた方がいい」
直道は掌の埃を払うようにして戻ってきた。
冨子は壁があると思われる空間に、はあー、と息を吹き掛ける。
「ガラスのように曇るかと思ったのにぃ」
期待した変化は得られなかった。横目で見た直道は腕を組んだ。
「この見えない壁はハムの突進を退けた。強固ではあるが、侵入者を拒む目的で作られた訳ではない」
「言い切れる理由は?」
「壁を蛇行させる意味がない。恐らく見えない壁で作られた迷路なのだろう」
「昔、遊園地にあったよねー。鏡がたくさんある館みたいなの。こっちの方がずっと難しそうだけど」
「これがゲームなら……」
茜は後ろを振り返る。黙って見つめていると表情が明るくなった。
「そう、これが答えなのよ」
見えない壁に向き直ると右へ歩いた。ある程度までくると左手を伸ばし、足を速めた。
「入口があったよ! ここから中に入れる!」
「シイタケ、やるではないか!」
ハムは喜び勇んで駆け寄った。
「当たり前でしょ。あとは壁にぶつからないようにして進めば抜けられるはず」
「よくわかったねー。でも、中に入ったら迷うかもー」
冨子は直道と連れ立って歩く。
「たぶん、大丈夫。ここから真っすぐ行って、左に曲がれるようなら」
茜は左に手を伸ばした姿で歩き出す。二人も同じように左手を当てた。
「俺様は信じているぞ」
最後尾に付けたハムの鼻息が荒い。
茜はゆっくりと進んで左に曲がる。
「当たったねー」
冨子が嬉しそうな声を出した。茜は歩きながら右手を横にすっと出し、ピースサインを作って見せる。
「最初の簡単な迷路と同じ作りになっているのよ。ずっと前に2Dのゲームでしたことがあったから、思い出せた」
「助かった。私では想像も出来なかった」
直道は軽く頭を下げた。茜は顔だけを後ろに向けて恥ずかしそうに笑う。
「大したことじゃないよ。そのトラップ、最初に気づいたのは慶太だから。私は教えて貰ってクリアしただけだよ」
「私達は慶太に助けて貰ったんだね」
冨子はしんみりと言った。
「それは誰だ?」
何げないハムの言葉に冨子は、家族だよー、と明るく返した。
一行は見えないダンジョンを抜けた。すると目の前に木製の宝箱が置かれていた。更に奥には降りる階段が見える。
「木製の宝箱ね。あまり中身は期待できないけど」
先頭の茜はしゃがんで蓋を開けた。中央に小さな金貨があった。その一枚を摘まんで立ち上がる。
「無いよりはマシだから」
茜は冨子に渡した。
「実は普通の金貨と思わせてー」
摘まんだ金貨を掲げる。両面を注意深く見た。糸目が僅かに開いて、すぐに閉じられた。
「普通の金貨でしたー」
さっさと皮袋に収める。
「がっかりする気持ちはわかるが、今は純粋に喜ぼうではないか。俺様の勇気ある行動がシイタケの記憶を呼び戻した。家族の一員として俺様も嬉しいぞ!」
「え、家族だったの?」
冨子は素で驚いた。
ハムは切なそうな顔でじたばたする。
「どう見ても家族だろォォォ! 俺様をなんだと思っているのだァァァ!」
「ペット?」
茜が小首を傾げる。
近くにいた直道は黙ってハムを見ている。唇が僅かに動いたが声にならない。
「……行こうか」
何も思いつかなかったのか。直道は降りる階段に向かった。二人と一匹は言い合うように付いてくる。
「家族でも、いいか」
直道に微かな笑みが浮かんだ。
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