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5回目のカウンセリングを終えて

今回は、カウンセリングの30分という時間が経つのが早かったように思います。

過去4回は大分、私が話したい内容をまとめてからカウンセリングに向かっていたのですが、今回はざっくりとした悩みごとを持っていきました。

中々「人を好きになれない」という悩み

私は、初対面の人に「嫌い」などネガティブな感情から入ってしまいます。
そこにあるのは、いつ自分の身が脅かされるかわからない、という不安、恐怖心です。
これは、基本的自尊感情が低く「アイムオーケー」な状態を作れていないがためだと感じています。誰かの何気ない一言で私自身の核たる部分が大いに傷つき、ダメになってしまう気がするのです。そして嫌われたが最後、人間関係がこじれ、自分に不利な状況が生まれてしまうのが怖いのです。

会社の人たちの顔を思い浮かべると、みんな「苦手よりの普通」です。
しかし一方で同僚や上司から、ナツミさんは話しやすい、などと好意を受け取ることもあります。
ただ、これは私が嫌われないようにうまく相手にハマるコミュニケーションを作っているのだから当然であり、うまくやれているうちは嫌われるはずがないのです。
つまり、相手の好意は、私自身に向けられた好意ではなく、私の仮面に向けられた好意であるわけで、騙している気持ちになり、受け取れません。

いつ自分が貶められるかわからない、というのを
「まさに基本的自尊感情ですね」というカウンセラーのサトウさん。

でも実際に今までに「人に貶められた」経験はあるんですか、
と聞かれました。

そんなものあるかな、と考えを巡らせて思い出したのは、
高校の部活で先輩から「一番できないやつ」認定された日々の記憶です。
きっかけは、実はよく分かっていません。
楽器が単純に下手だったことと、一方で勉強面は他の子よりも先生の期待がかけられていたのが癇に障った、ということの2つでしょうか。

厳しいけど、やりがいのある部活に来たと思ってました。
しかし段々違和感を抱くようになって、心が疲れてきました。
たったの2、3ヶ月程度の話です。よく覚えていない期間の方が多いです。

記憶にあるのは、部活に行って楽器を準備していたりすると
先輩が変わるがわる私のところに来て「明日絶対に遅刻するなよ」などと繰り返し指示をしてきたことです。
ところがその頃にはすでに心身ともにやられていたようで、そう強く言われた日に限って全く起きられなかったりするのです。
時計を見てああ・・と残念になりながら、母には何も言わずに準備をして、遅刻しても部活に行きました。
散々いろんな先輩にいろんなことを言われました、自分の体が自分で操作できていないような感じがしました。どこか他人の夢を見ているようなおぼつかなさもありました。すみません、とばかり口に出していたものの感情も痛みもよくわかりませんでした。
目を瞑って自転車で坂を駆け下り、制服が破れる怪我をして帰ったのもその頃です。

結局、学校を休んで部活を辞めました。
あれから、目上の人、特に女性に指示されるのが怖くなりました。
最初は優しかった先輩達が、次第に私を睨みつけるようになり、他の子に向ける笑顔を私には見せなくなり、舌打ちをされ、床を思い切り踏みつけて怒鳴られ、私は何度も謝りながら、しちゃいけないところでミスをすることの繰り返しで、完全に邪魔者でした。
でも、この記憶には蓋をしていた期間が長く、今思い出すと地続きで自分のことだったかわからなくなることがあります。

私に「期待してるよ」と声をかけてくれていた顧問の先生も影で私のことを嘲っていたと、後から部活の子に言われました。
何が悪かったかいまいち分かっていないものの、確実に私の振る舞いが原因で、私の失態が原因で嫌われ、
瞬く間に「優等生」から「出来損ないの邪魔者」に立場が一転するという経験をしました。
今思い出しても怖いです。

小学校の時は発表会で一番セリフの多い役をとってばかりいたし、
中学校の合唱コンクールでは指揮者を毎年やりました。
いつも「絶対に私が認められる」という自信を持って前に出ていたのが、高校のこの挫折経験で他人への警戒心へと変わっていきました。

どうも、初対面は「嫌い」から入り、一方で嫌われないように、がっかりされないように仮面を作って振る舞う、という私の方針は、この高校の経験が原因になっていそうです。今まで直視できていませんでした。


「ナツミさんが完璧主義なのは、人に弱みを見せて刺されないための防御策という側面があることが分かったと思います。
今後は、その振る舞いは本当に必要な場面なのかをアセスメントする能力が高まれば、力を抜くところとそうでないところを選べると思いますよ。
今はいつも他人に対してフルガードでいるナツミさんですが、ここはガード下げるよ、という場面をちょっと増やしてくべきかもしれないですね。」
とサトウさん。

まずはガードを下げてみて、人との関係を少しずつ変えてみるのがスタートかも、というこの話には、ちょっと違和感を持ちました。
「もしかしてサトウさんは、私が対人関係で距離を取ってる人間だと思ってる?私距離感含めうまくやれてるはずだけど、なんか誤解されているのかな」
そんな風に思いました。
でもよくよく考えてみると、これは「仮面」側の私の感想でした。
「仮面」の方の私は対人関係で適切な距離を取っていますが、
「私自身」は対人関係で常にかなり距離を取っています。
いつ狙撃されても防御できるように、他人に近づきすぎないようにしています。(なのに、なぜか真正面から食らってもろにダメージを受けることが多々ある。防御できてない。)
私自身が、仮面を外すまでいかなくても、まずはこの防護壁からひょっこり頭を出して、近づいてコミュニケーションを取ってみませんか、ということなのだと思います。

サトウさんは続けて、「自分の中で安心できるマップを作ってみてはどうですか」とも言いました。

このメンバーの時は安心、この席に座ると安心、この仕事やってる時は無敵、など、職場にある安心の要素を挙げてみるとのことです。
言われてみると、職場に安心はありませんでした。いえ、正確には恐らく気づけていないのです。
多分、まずは自分が防護壁を下げてみないと、セーフティゾーンがあるかどうかなんてわからないのだと思います。
「いつ否定されるかわからない」「否定されたが最後」という思いが強く、働いている間はずっと防御して「今日もまだ貶められてないから大丈夫」そんな風に一日を締めくくっていました。

唐突に、「好きな人って誰が思い浮かびますか?」
そう聞かれて、部分的に好き、はいっぱいいるけど、「好きな人」って言われるとパートナー以外にいない、と答えました。

自分のことを好きそうな人を探してみてください、と。
私のことを好きな人なんていない、と自分に厳しいところは出ちゃうと思うけれど、部分的にでもいいから、私のことを好きそうな仕草やサイン、行動を見せてくれる人を見つけてみてください、と。

他人に嫌われないように、とはいつも考えているものの
相手が私のことを好きかどうかは考えたことがなかったなと思いました。
私の仮面を好きな人はいるものの、私のことを好きな人なんているでしょうか。

私のいう「好きな人」の定義を考えてみると、
「私が何を言っても嫌わない、安心できる人」になりそうです。
彼に対しても、出会った当初は「仮面」のコミュニケーションを取っていました。しかし一緒にいる時間が増えて、次第に仮面を外したコミュニケーションをするようになり、それでも嫌わないんだ、ということが分かったから今の安心感に繋がっています。
つまり、私が仮面を外すことが、「好き」の洗礼になってるということです。
仮面、つまり嫌われないためだけのコミュニケーションをやめてみるのが、ガードを完全に下げるということであり、「私自身」でのコミュニケーションということになります。

「彼やご友人に、どんなところで人を「好き」だと思い、相手が自分のことを「好き」だと確認してるのか聞いてみることで、自分の視点を変えてみれませんか?
ある意味、ナツミさんは相手の「好き」の感情に鈍感な人かもしれない。
あんまり深く考えずに好きって決めちゃうのもいいかもしれないですよ。
これで居心地の良さが変わるかもしれない。
今までと違う行動をすることは不安だけどリターンも大きいです。
小さな変化を作っていきませんか、何もやらないでまたきてもいいですけどね。」

最後にこの話を受けて、彼とも話してみました。
結果、「好き」の基準を下げてみることにしようと思います。

旧「好き」:私のことを嫌わないと安心できる人

新「好き」:部分的にいいなと思うところがある人

こうすると、私は会社の同僚も「苦手よりの普通」から大体みんな「好き」になります。
ただ、「好き」の人たちから嫌われるのが怖い、と言った私に
「好き認定のハードルを下げたんだから、苦手よりの普通の人に嫌われるのと同じリスクでいいでしょ」と彼。確かにそうです。

旧基準の「好き」は「大大大好き」に格上げすることにしました。
だからこの基準が適用された今の私には、嬉しいことに好きな人がいっぱいいます。そして大大大好きな人は一人だけいます。そういうことです。

そう思うと、私も人のことを好きでいられるんだと安心する気がしてきました。
冒頭「人を好きになれない」と悩んでいた私ですが、好きの基準を変えればいい、簡単なことです。
そして苦手な人に囲まれていると思うより、好きな人に囲まれていると思う方が居心地がいいですね。当たり前です。

今後は、私が相手のことを「好き」だとまず思うことでガードを下げ、
しばらくしてこの人なら安心できそうだと思った人には本格的にガードを下げ切り、仮面を外したコミュニケーションを取ってみて、「大好き」を増やせばいいと思うのです。
大大大好きは今後も一人でいいですが、大好きに昇格する人が何人か増えれば「受け入れられ、愛されている」という実感から基本的自尊感情も上がるかもしれません。


高校の時の体験が私の対人関係の恐怖心を強くしていた、ということを実感し、その上で人のことを「好き」だと思えるように変わっていこうとしている今がある、ということを、今回の収穫としたいと思います。




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