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親戚に、歓迎されて思うこと。

これまでほとんど、葬式以外に親戚と会う機会がありませんでした。
母方の祖父母とは、小さい頃は数年に一度会っていたものの、どちらも他界。何が理由か忘れてしまいましたが、祖母の葬式には参列しませんでした。
その祖父母が仲が悪かったらしいというのを、大人になってから知りました。祖母は常連さんと恋仲にあったとかで、祖父と墓も一緒にいれないとかなんとか、根深い問題のようです。

私はデキ婚の子供らしい、というのも大人になってから知りました。(今は授かり婚と言うべきですか)
そして父方の祖父が私を堕ろすように言ったことが最後の切り札となり、父が親子の縁を切ったこと、それ故に私が父方の祖父母に会ったことがなかったことを知りました。
祖父にはなにも特別な感情は抱きませんが、父の親子関係はただの不仲だと思っていたのに、なんだ、私のせいか、という思いは多少感じました。

そんな希薄な親戚関係しか知らずに28歳になった私ですが、ここにきて母方の祖父母以外の親戚のおうちに初めて行ったのです。
この親戚のおうち、実は実家から自転車でも行けてしまう距離にあるのですが、父方の家系のためか母は消極的だったようで、父も自分から挨拶に行くような柄ではないので、私の帰省をきっかけに足が向いた形です。

父方の親戚と言っても関係は遠く、住んでいるのは私からみて、ひいおばあさんの妹にあたる方です。腹違いの子ということで、16歳も離れた姉妹です。(一番末は更に12個差、おそろしや、ひいひいじいさん。)
既に90近い、と父から聞いていましたが、ドアを開けて出迎えてくれた小柄なおばあちゃんの背筋はピンとしていて、「どうもはじめまして」というハキハキした高い声はとても聞き取りやすく、挨拶を返す私に対してチャーミングに目を細めました。
補聴器をつけていて白内障の手術をしたばかり、ということを除いては健康そのもので、歯も心臓も自前でしっかり動いているらしく、頭のハッキリしたおばあちゃんです。いい意味で年不相応です。
34年前に建てたこの家に、60をすぎて定年退職済みの娘さんと二人暮らしです。

私が家に上がるとさらに目元にぎゅうっと皺をよせて、「お母さんの写真そっくりねぇ」「よく来てくれたわねぇ」と笑いました。
母には直接会ったことはないはずですが、遺影を覚えてくれていたようです。屈託のない子供のような笑顔でした。人を品定めするような視線も、嘘偽りも感じませんでした。

13時ぴったりにピンポンしてから結局5時間半も滞在して、夜ご飯もおばあちゃんがその場で作ってくれた三色丼をいただきました。張り切ってたくさん喋ってくれて、最後には少し声が枯れててみんなで笑いました。

歓迎されることって、心が温まるものみたいです。彼の親戚のおうちにいったときに感じた思いを、もう一度味わいました。
他人の家にあがるときは、ある程度貸し借りを意識してしまうものですが、親戚というのは血の繋がりの分それが少し和らぐのでしょうか。
ご飯もコーヒーもありがたいなぁと思って素直に受けとることができました。うまく甘えることができたみたいです。

私の知らない親戚の方々の話を聞きました。
もしかしたら、親戚付き合いに疲れている人からしたらつまらない話なのかもしれません。
でも私にとっては、なにもかも新鮮でした。
ひいひいじいちゃんの娘が、今ここに生きているという不思議。そして白黒の写真からはわからない、生きた人間の話。
この人々の血縁の先に私がいる、という繋がりを生きていて初めて感じました。

わたしも強く生きることができる、こんなパワフルな人たちがいたのだから。そしてこのパワフルに生きてきたおじいちゃんおばあちゃんの誰もがきっと、直接会うことはなくても、私を歓迎してくれる。
このおばあちゃんがいま私に笑顔を向けてくれていることが本当であるように。

昔、「おじいちゃんが生きている間に絶対子供を見せてあげたい」と息巻いていた同期の気持ちが初めて少しだけわかりました。
きっと、自分を大事にしてくれるおじいちゃんおばあちゃんに、孫という形で血が繋がっていくことを見せてあげることができたら、それを目の前にして喜ぶみんなの顔は素敵なんだろうと思います。

そしてもうひとつ棚ぼた的に気づいたことがあります。
会ってくれてありがとう、そう歓迎されたことで、自然と自己肯定感が満たされるのを感じました。私は歓迎されている。生まれる前は歓迎されてなかったんだろうけど、今は私が生きていることで喜んでくれる人が家族以外にもいる。

親戚たちに、会えて嬉しいといわれることがこんなにも寂しい気持ちを満たしてくれるものとは思っていませんでした。
私は愛されてるから大丈夫、そういう気持ちがこんなにも頼もしいものだと知りませんでした。
もちろん、親の愛情は受け取りました。
でも、親からしか受け取れないものがあるように、親戚に喜ばれることからしか受け取れないものもありそうです。

今まで、人から褒めてもらうことで一時的な自己肯定感を埋めようとしてきましたが、「会えて嬉しい」という言葉は、あたたかい川のように、いつも当たり前に流れていくような、根本的な喜びをくれました。その心地よさに少しうっとりとしました。

私なんか淘汰される側の人間だ、と思っていたこれまでは、もしかしたらすごく小さくて狭い世界しかみえてなかったのかもしれません。
私が淘汰されるべきなら、私の先祖たちも淘汰されるべき遺伝子だったということになってしまうのです。でも先祖のみなさんは、もちろん人らしくダメな部分もあるようだったけど、素敵でした。

連鎖的棚ぼたでもうひとついいことがありました。
いろんな人が私を歓迎してくれると思うと、自然と他人に優しくなれることに気がついたのです。
自己肯定感って他人肯定感にも繋がるんでしょうか。
パーソナルスペースを広くとりたい、というエヴァでいうところの最強の拒絶タイプ…に親近感を覚えていた私が、ほんの少しだけ他人に寛容な気持ちになれました。
スペースを分け与えてあげてもいいよ、と思えました。だってみんなも誰かに愛されてるんでしょ、私も歓迎されているんだよ、と。

私は、私に至るまでにあらゆる人生が全うされてきて、その先で母が命を繋いでくれた存在であるのだから、私は私自身だけのことを考えるのではなく、血縁を肯定して強く生きたいと思いました。
「休んでないではやく働きたい!」とすら衝動的に思いました。私も未来の子供たちに語られる人生を過ごしたい。
ただ親戚に会っただけなのに、そんな風に思えることが、面白いです。

ただ残念なことに、父方の方は元気(特に女性)な人が多そうなものの、母方の家系は早死にばかりの様子です。
母に似ているといわれてばかりの私なので、私に残された時間もやはり少ないのかなと思わされてしまいます。
しかしそれでもこの代まで至った強い血を信じて、生きていきたいところです。今まで感じてこれなかった血縁のありがたさを、噛み締めて行こうと思います。

そんな風に思えた日々だったから、よい帰省でした。

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