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10年越しの夢を捨てる時が来た #8


 夏菜子は決して人を寄せ付けないタイプではない。

 むしろ病院ではいつも笑顔でいて、冗談を言っては患者を笑わせるタイプだ。浮き沈みがなく患者を一番に考えて行動するので、患者からもスタッフからも人気が高かった。側から見ると、明るく元気で前向きな女性に見える。夏菜子はそういう自分を完璧に作り上げていた。
 わざわざそうする訳ではないが、夏菜子は自然とそう振る舞ってしまう。家庭環境が作り上げた虚像なのだろう。誰かの期待に応えること、誰かの求めるものになることが夏菜子の処世術だった。だから患者の顔を見れば何を考えているかが分かる。小さい頃から親の顔色を窺って生きてきた賜だ。

 私生活では友人が多く、休日はほとんど出掛ける予定で埋まっていた。

 週末は独身を謳歌する友人と居酒屋をハシゴし、行きつけのカラオケバーで朝まで呑んで歌ったり、クラブで踊り明かしたりする。その場に居合わせた他人とも表面上は気軽に打ち解けてしまうので、社交的で人見知りしない人として盛り上げ役に重宝された。かと言って、誰に対しても適切な距離感を保った関係を見事に作り上げるので、トラブルに巻き込まれるようなことはなかった。

 家庭のある友人とは昼間に夫や子連れで集まり、ランチをしたりバーベキューをしたり健全な遊びを楽しむ。夏菜子は病院で子どもたちと触れ合う機会が多いので、友人の子どもたちの扱いも手慣れたものだった。適当な手土産を持参し、子どもたちの好きそうなお菓子をプレゼントし、クタクタになるまで子どもたちと走り回って遊ぶので、面白くて気が効く人として君臨した。

 旅行好きな友人とは週末国内、連休には海外旅行をすることがあった。弾丸でアメリカやメキシコを訪れた時には、現地民との交流を重視して安いゲストハウスに宿泊した。夏菜子が人に興味があることに国籍は関係ない。むしろ普段出会うことができない価値観との交流は積極的に持ちにいった。どこに居ても夏菜子が出会った人たちは優しく親切だった。

 赤の他人、今初めて関わった人が自分を歓迎してくれるという経験をすることで、夏菜子は過去の傷を癒しているのかもしれない。自分は不要な存在ではないという上書きを繰り返すことで、夏菜子の自尊心は保たれているのかもしれないがしかし、それでやっと人に同じ程度のもので、心にポッカリと空いた穴が塞がることはなかった。

 小学生とか小さな頃は、心の救済を求めて家庭のことを人に言うことがあった。だが、年齢の低い同級生に辛い気持ちを理解されることはなかったし、大人に話せば「大袈裟だ」とか「まだ子どもだから親の気持ちが分からない」とか言って責められて、二次的に傷付けられ余計に苦しくなった。
 時々、同じような環境に生息する同級生と巡り会うことがあったが、共感すると言うよりも自分の方が酷い環境にいるアピールをされるだけで、夏菜子は閉口するしかなかった。自覚的な辛さを他者と比較することはできないが、確かに夏菜子より劣悪な環境で生活する子達はいた。自分の苦しみなど大したことがないものなのだと思うと、夏菜子は辛さを外に吐き出せなくなった。そうして自傷行為が始まった。

 中学生の時、人から好かれる人になろうと心に決めた。それからは、演技の練習をする新人女優のような日々だった。言葉を発する前に必ず脳内でセリフを起こす。一瞬でチェックをして問題がないと判断したら口から発する。全体的なスピード、抑揚、間、視線、手振り等の全てに神経を張り巡らせ、相手の反応を見てその都度修正を入れる。成功も失敗もサンプルにして積み上げ、何十年も掛けて自分がどう振る舞ったら人に喜ばれるのかをスッカリ把握した。
 言語化するとなんとも鬱陶しい一連の繰り返しを、夏菜子は今も無意識に行いサンプルを取り続けている。

 だから夏菜子は好かれる。人の求めるものに一瞬で成り代わることができる。

 誰も夏菜子の中身が空っぽだということには気付かない。

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